第二章 来た、見た、食った 3.山の幸(その2)
最初こそパニクったけど、思い返してみれば突進も、充分に余裕を持って躱せる程度のスピードだったし、冷静に観察すればそれほどの脅威は感じない。
こちらを見失ってウロウロしている今なら、腰の剣鉈で首筋を斬ってやれば片付くんじゃないだろうか……
試しに【隠身】を発動したままイノシシに近寄ってみたんだけど……依然として気付かないようだ。なら、ここは思い切って……
……一か八か近づいて喉笛を掻き斬ってやったら、イノシシはしばらくのたうち回っていたけれど、やがて動かなくなった。【鑑定】と【察知】で確かめたけど、きっちり死んでくれたようだ。生まれて初めての戦闘に勝利したわけだけど……思っていたより冷静でいられたな。これってやっぱり……
「……幸いにレベルの低いやつだったみたいだな。僕でも苦労せずに斃せたくらいだし……」
――違う。
マッダーボアは冒険者ランクで言えばCランク相当の魔獣である。ユーリが斃したのはまだ若い個体のようだが、それを踏まえても、転生したての七歳児が単独で斃せるようなものではない。
これは偏に、神がユーリをこの世界に転生させるに当たってステータスを――非常識なまでに――強化していたせいなのであるが、ユーリがそれに気付く事は無かった。それには幾つかの原因がある。
第一に、前にも言ったが神からの手紙にあった〝……その場所で生きていくために最低限必要な能力を与えておいた……〟という一節が最大の元凶であった。この文を読んだユーリが、〝自分の能力は、ここで生きるための最低レベル〟と思い込んでしまったのである。神としては、〝この辺りに棲む最強の魔獣とやり合っても「最低限」生き残れる〟レベルのつもりであったから、これは天と地ほどに解釈が食い違っている。
第二に、この世界の【鑑定】の仕様として、魔獣や野獣の危険度ランクなどは表示されないという事がある。危険度のランクなどはその地に住む人間が決めるものであり、場所によってその評価にも違いが生じるなど、普遍的な知識とは言えないのが理由であろう。それには納得できるのだが、ユーリの誤解を正す上では何の役にも立たなかった。
第三に、神からの手紙が至れり尽くせりであったため、そして【鑑定】と【田舎暮らし指南】が有能過ぎたため、ユーリが自分でヘルプファイルなどを開いて調べようという気が起きなかったというのもあった。不明な情報が多かったら、少しでも情報を得ようとしてスキルをあれこれと調べ回し、やがてヘルプファイルの存在に気付いたかもしれない。しかし、そういうモチベーションが起きなかったため、ユーリはこの先もヘルプファイルというものがある事にすら気付かないまま過ごす事になるのであった。
それはともかく……
「けど……結構な大きさだよなぁ。これなら当分の間は蛋白源に困る事は無いかな。……小鳥を獲れなくなった時にはどうしようかと思ったけど……」
そう。最初ユーリは蛋白源として小鳥を考えていた。古くて使い物にならない種籾を餌に誘き寄せ、罠で捕らえようとしていたのである。いや、実際に餌を撒いて小鳥を誘き寄せるところまではやったのだ。
……その予定が狂ったのは、小鳥たちの囀りを聞いてからである。
『くさのみ だね』
『すこし ふるい みたい』
『けど たくさん あるよ』
『うん たべられる』
小鳥たちのお喋りを聞いて我が耳を疑い、思わず『喋ってる!?』と口走ったユーリであったが、その言葉はどうやら人語ではなく鳥語であったらしい。少し驚いた様子の小鳥たちが、しかしきちんとユーリに話しかけてきたのであった。
『にんげん? ことば わかるの?』
『くさのみ くれた?』
『あ……うん、余ってたから……お裾分け……』
――嘘だ。
古くて食べる気にならない種籾を撒き餌にして、寄って来た小鳥を捕まえて食べようとしていたのである。しかし……当の小鳥たちを前にしてそんな事を話せるほど、ユーリの神経は図太くなかった。
『そう ありがと』
『いただくね』
『あ……どうぞ』
友好的に会話が成立する相手を食べるなどという気にはなれず、狩りを断念したユーリであったが、しかし何でまたこんな事に……と首を捻っていて思い当たった。【言語(究)】、これのせいに違いない。どんな部族であっても話が通じるのは便利だと思っていたが……まさかこういう落とし穴があったとは。
言葉の通じる相手を狩る気には到底なれず、魚か昆虫くらいなら会話も成立しないのではなかろうか、それとも、諦めて植物質だけで生きていこうか……と悩んでいたところに出てきたのが、〝話の通じない〟魔獣であった。対話を拒否して問答無用に突っ掛かって来た相手とあらば、ユーリにしても狩るのを躊躇う理由は無かったのである。
次話は約一時間後に公開の予定です。