第二十二章 ローレンセンへ~南南西に進路を取れ~ 5.晒しな日記(その2)
「……ユーリ、ひょっとして昨日の昼間、何かやっていたのもそれか? 立ったまま片手で何かしていたようだが?」
「立ったまま!? 片手で!?」
「いえ……片手というか……」
斯くしてユーリは、「日記帳」の他に、掌サイズの「メモ帳」までお披露目する羽目になったのであるが……即時の、しかも簡便な記録手段を目にした、商人と冒険者たちの食い付きは凄かった。
どちらにとっても情報は重要で、特に後者では生死に直結する事すらある。蝋板を持ち歩く冒険者もいないではなかったが、嵩張る事がネックであった。なるべく記憶に留めておいて、手の空いた時間に清書している者も多いが、どうしても記憶が薄れる事は避けられない。なので小型の蝋板を持ち歩く者もおり、ユーリが持っているのもてっきりそれだろうと思っていたのだが……その場で情報を恒久的に記録できるというのか?
「ユーリ、そのペンみたいなものは、まだあるのか!?」
「魔道具? 魔道具なの?」
「ユーリ君、その紙は? 随分品質が高いようだが、量産は可能なのかね!?」
「ちょ、ちょっと、皆さん落ち着いて下さい」
何でこんな事に――と思いながらも、ユーリは必死に前世の記憶を辿って頭を働かせる。迂闊にも失念していたが、ヨーロッパでも鉛筆の記述が現れたのは確か近世になってからだ。この時代には先進的な代物だったか。ただ、この世界には魔法やら錬金術やらがあるのだし、製法さえ判れば作れないものでもないだろう。
紙の方は……下手に教えると森林破壊に繋がる恐れがあるか? こっちの世界には魔獣がいるから、そう簡単にはいかないとおもうが……いや、そうだとすると、却って自分にプレッシャーが集中する可能性がある……
「このペンは鉛筆……正確にはチャコールペンシルっていいますけど、予備がありますからクドルさんとアドンさんに一本ずつお渡ししておきます」
わっ、と巻き起こる歓声を抑えて、ユーリは話を続ける。
「紙の方ですけど、材料とか製法とかの問題があって、現状では増産は無理です」
「むぅ……仕方ないか。だが、えん……鉛筆?の方は量産できるのかね?」
「こっちもすぐにというわけには……やっぱり材料の事とか、少し調べてみないと何とも……」
あながち嘘でもない。
木炭の粉の方はともかく、混ぜ合わせる粘土の方は、適当なものが入手できるかどうか確言できない。粘土の種類によっては、芯の品質、ひいては書き易さに影響する可能性が大である。塩辛山で大量に採取できるのならともかく、現在のところ粘土は多量には採掘できない。普通の土からも作れなくはないが、手間と暇が物凄く――二度とやりたくないほどに――なるのである。
「そうか……ユーリ君、すまないができるだけ早く確認してくれるかね?」
「そう言われても……アドンさんの方で原料の手配ができれば別ですけど」
「――っ! 原料は何だね!?」
「ネックになりそうなのは粘土ですね、今のところ」
寸刻考えていたアドンであったが、ローレンセンへ到着次第手配をする事を約束した。なので、ユーリも見本として、アドンに五本ほどの鉛筆を渡しておく。鉛筆がこれ程早く引き取られるとは想定していなかったので、ユーリとしても残りは余裕のある数ではない。
ローレンセンに着く前からこんな為体で大丈夫なんだろうか。些か不安の念が兆したところへ、ドナが怖ず怖ずと質問を投げかける。
「あの……ユーリ君、日記なんかつけてたの?」
「あぁ、書き始めたのはあの村に来て……祖父がいなくなってからです。その……覚えなきゃいけない事がたくさんあったので」
「そう言えば……何か変わった字で書いていたようだが?」
さり気ないふりを装ったアドンの追及には、
「こっちの文字はまだ上手く書けないので……」
と言いながら目を伏せてやると、案の定、皆が目を逸らしたり俯いたりしている。……我ながら随分と性悪になったものだ。
「それはともかくユーリ君、君のお祖父さんは随分と色んな事をご存じでいらしたようだが……一体何者であられたのかね?」
「さぁ……僕にとっては、祖父は祖父なので」
……実在もしない祖父の設定など、そこまで深く詰めてはいない。今後の事を考えると、もう少し設定を煮詰めておいた方が良いかと密かに思うユーリであった。




