第二十二章 ローレンセンへ~南南西に進路を取れ~ 1.盗賊退治
午前にハンの宿場町を出てかれこれ六時間、そろそろ日が傾き始めた頃に、ユーリが待ち伏せの気配を察知した。
「クドルさん……進路前方に八人ほどが屯しています。道の脇にではなく、道から少し離れた林の中に隠れているみたいですから、盗賊とかそういうのの待ち伏せじゃないですか?」
「何……距離は?」
「ざっとですが、一キロ弱といったところでしょうか」
「一……そ、そうか……解った。俺たちの方で対処するから、ユーリは手を出すな」
クドルは一キロという数字に驚いていたようだが、存在自体はもっと前から察知していた。ただ、林の中にいるというだけでは真っ当な狩人の可能性も捨てきれず、ユーリも報告するのに躊躇していたのだ。報告を躊躇ったもう一つの理由は、盗賊の待ち伏せなら物見役ぐらいは派遣していそうなものなのに、それらしき者が見当たらないという事もあった。けれど、監視を続けている間ずっと街道脇から離れる様子を見せず、気配を隠そうとしている――成功しているかどうかは別として――様子も窺えたので、クドルに注進に及んだのだ。
ユーリからの報告を受けたクドルは、即座に仲間に警告を発すると同時に、ユーリに外へ出ないようにと言い含めた。グリードウルフをあっさり狩って見せたとはいえ、クドルから見ればユーリはまだ子供――実際には、あと一年で冒険者ギルドに登録できる十二歳なのだが、童顔のせいか十歳くらいと思われていた――である。盗賊とはいえ人殺しに手を染めさせるのは無論、見せるのも教育上宜しくない。クドルなりの配慮であった。
その後もしばらく走っていた馬車が急に停まると、外から荒々しい叫びと悲鳴が聞こえてくる。ドナを初めオーデル老人とアドンは少し身を固くしているが、肝心のユーリの方は――自分でも思った以上に――冷静に事態の成り行きを見守っていた。【探査】やら【察知】やらのレベルが並外れて上がっているために、馬車の中にいながらにして、外の様子は手に取るように判る。
――斥候役が短剣で盗賊の首を掻き斬ったのも、弓兵の放った矢が盗賊の胸を射抜いたのも、壁役が盾で盗賊を殴り潰したのも、魔術師の風魔法が賊の喉笛を斬り裂いたのも、クドルの剣が頭目らしい男を袈裟懸けに断ち斬ったのも……そして……逃げ延びた一人が、人質を取ろうというのか、馬車の扉に手をかけたのも。
「――おいっ! 動くんじゃねぇ! 大人しくしてりゃ命まで……ぐふっ!」
凶暴そうな目付きで馬車に乗り込んできた賊は、脅迫の言葉を言い終える前にその生涯を閉じた。【隠身】によって物音一つ立てずに背後に回ったユーリが、横に寝かせたナイフの刃を肋骨の隙間から突き入れて、その一突きで賊の心臓を貫いたのである。
――十二歳の子供とは思えないほど、鮮やかな暗殺の手並みであった。
実は、【田舎暮らし指南】に含まれている【対魔獣戦術】には人型の魔獣との闘い方も……そして無論、対人戦闘そのものの技術も詳しく解説されていた。魔獣の中には魔力の動きに敏感なものもいるので、魔法によらない戦闘技術を磨く事も、生き延びるためには必須である。命大事を信念とするユーリは、何の疑問も無くそれらの技術を習得し……そして今回それを躊躇う事無く行使したのである。
日本に生きていた頃のユーリ、いや「去来笑有理」であれば、その手で人を殺すなどという行為には激しい嫌悪を示したであろう。しかし、こちらの世界に転生し、こちらの世界の苛酷さ厳しさをその身で知った「ユーリ」としてみれば、魔獣であれ人であれ、自分の安全を脅かすものに対して容赦する理由など無いのであった。
これについては、ユーリが既に人型の魔獣との戦いを経験していたというのも大きいだろう。森の中に入った時、どこか爬虫類めいた小人のような魔獣――【鑑定】によればレプトゴブリン。リザードマンとはまた違うらしい――の小グループと一戦交え、これを殲滅していたのである。人型なら交渉も可能だろうかという期待に背き、ユーリの姿を見るなり――例によって例の如く――グギャゲギャと喚きながら石槍や石斧を振り回して襲いかかって来たので、ユーリとしても感情を交えず殲滅作業に就く事ができた……どころか、きっちりと解体して魔石や素材、肉に至るまで回収したのであった。
――ここで少々裏話を明かしておくと、ユーリが殺人に嫌悪感を抱かなかったのには、神による若返りの処置が関係している。あれは単に肉体を若返らせているだけではなく、転生後の生活に支障が出ないようにメンタリティを調整する効果もあった。
以前にユーリたちのいた世界から「召喚」した人材が、殺人に対する嫌悪感から長生きできなかった――殺された――という失敗への反省から、転生者のメンタリティをこちらの世界に適合するように調整する事は、神たちが人材を転生させる時のスタンダードな手続きと化していたのであった。
ともあれ……
何の感情も表さずに自分が仕留めた男の屍体を見下ろすユーリに、ドナが怖ず怖ずと声をかける。
「……ユーリ君……あの……」
「ユーリっ! すまん、大丈夫かっ!?」
更に、自分たちの失態からユーリに人殺しをさせてしまったクドルたちも、沈痛な表情を隠そうともせずに乱入して来た。
――心配そうな彼らの声を聞いて、ユーリは我に返ったように顔を上げた。
「あぁ、心配させてすみません。別に気分が悪いとか、そんなんじゃありませんから。ただ……」
「「――ただ?」」
「いえ……獲物を狩ったのに解体しないというのが、何か不思議な感じで」
……これはやはり問題があるのではなかろうか。
苛酷な場所で狩りをして生き延びてきた事の弊害だろうか。淡々とした表情でとんでもない事を言い出したユーリを、その場の全員が無言で見つめる。
これから向かうローレンセンの町は王国でも屈指の商都であり、必然的に破落戸や小悪党の数も多い……
そこにいた全員が、絡んできたチンピラを返り討ちにして、いそいそと解体しようとする――あるいは、バレなきゃ大丈夫ですよね、とか言いながら屍体をマジックバッグに回収する――ユーリの姿を幻視できるような気がした。
――これはアカン。文明国における社会秩序とか禁忌とか原罪とか、そういうものをきっちりしっかりと教えておかなくては……
そう決意した一同の耳に、その決意をぐらつかせるようなユーリの声が聞こえてくる。
「クドルさん、盗賊の討伐証明部位ってどこなんです? 首を持って行けばいいんですか?」