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第十九章 不思議な少年 9.過去と未来(その3)

本章の最終話となります。

 何を言い出すのかと、やや警戒がちのユーリに向かって老人が言う事には……



「……食糧の売却……ですか?」

「うむ。前にも言ったとおり、町の方では食糧が不足しておってな。(わし)らの村にも、遠からず商人が収穫物の買い付けに来る筈じゃ。ただ……(わし)らにしてもそう際限無く収穫を売り払うわけにもいかん。現に今、食べる物が不足しがちで、こうして山のものを採りに来ておるくらいじゃからな」

「それで、僕が貯えている分を放出できないか――という事ですか?」

「そうじゃ。見せてもらった限りでは、ユーリ君の畑で穫れる量だと、君一人では食べ切れんじゃろう。かなりな分量が貯えられておるのではないかね?」

「まぁ……そこそこには……」



 ユーリは席を立つと、平素食べている裸麦や蕎麦(ソバ)、大豆を少し持ち出して見せた。



「うむ、思った通り品質も上々……これは何かね?」

「え? 大豆……ソヤ豆ですけど?」

「ソヤ豆?」

「え?」

「「え?」」



 驚いた事に、二人は大豆――この世界ではソヤ豆――の事を知らなかった。



「先程お見せした畑にも植わっていた筈ですけど?」



 そういって説明したところ、予想外の答えが返ってきた。



「おぉ……あれかね。いや、ついうっかりと聞き忘れておった。何で食えもせんものを植えとるのかと思っておったが……やはりこれも毒抜きして食べるのかね?」

「は? ……まぁ、毒抜きと言えば毒抜きですけど……」



 地球世界の大豆に相当するソヤ豆には、苦み成分であるサポニンや、消化を阻害する蛋白質――これは他の多くの豆も同様――が含まれているため、生食はできない。と言うか、生で食べると腹を壊す。そのため加熱調理して、有毒蛋白質を熱で破壊してやる必要があるのだが、村人たちはそれを知らずに生で試食して腹を壊した。以来栽培してはいないのだという。

 実を言えば、この国でも一部ではソヤ豆が栽培されており、少ないながら市場にも流通している。ただしそれらは乾燥状態の豆として流通し、食べる時には水で戻して加熱するので、毒成分の存在には気付かないのであった。エンド村にもそうしたソヤ豆を食べた事のある者はいたが、乾燥後の豆しか見た事が無かったため、同じものだとは気付かなかったらしい。



「……そういう事であったのかね……」

「植えておくだけでも畑の土を肥やしてくれますし、畑作には必須ですよ?」



 豆科植物が窒素固定を行なう事も知らないようであったが、実はこれにも理由がある。

 そもそもこの国では豆科の作物自体が多くない上に、栽培されている豆にも普通に肥料を与えていたので、窒素固定の効果が表に出てこなかったという事情がある。荒れ地に豆科植物が生える事も知ってはいたが、それらは単に雑草として扱われていた。そういった次第で、オーデル老人たちは豆類の実力を知らないのであった。

 そんなオーデル老人に、ユーリは今年蒔いた残りの豆を取り出して渡す。普段食べているのはやや時間が経った貯蔵品なので。



「蒔く時期は少し過ぎてますけど、まだ大丈夫でしょう」

「……戴いていいのかね?」

「ええ。熟す前の青い豆も食べられますけど、くれぐれも生では食べないようにして下さい」

「それは身に()みて判っておるとも」



 心底ありがたそうに豆を仕舞い込むオーデル老人であったが、やがて話の本筋の事を思い出したらしい。



「……それでじゃ、ユーリ君の作物は、正直(わし)らの作物よりも質が良い。なのに同じ値段で商人に売るのは、馬鹿らしいというもんじゃ。商人に交渉して、町へ連れて行ってもらってはどうかと思うんじゃよ。この品質なら町で売った方が良いからの。何、商人には手数料代わりに一部の作物を安く売ってやればいい。人手が必要なら何とか引っ張ってくるからの」

「あ、いえ。運搬は何とかなりますけど……」



 ……これはさて、どうしたものか……


 ユーリとて、この村を出て行く選択肢を考えなかったわけではない。ただしそれは比較的早い時期の事で、農地経営が軌道に乗ってからは、そういう考えはついぞ頭に浮かばなかった。折角ここまで育てた農園である。何が悲しくて捨てて行くような真似ができようか。

 それに、ここを出るとした場合も、想定していた先はエンド村であって町ではなかった。コミュ障とまではいかないにせよ、人付き合いはあまり得意な方ではない。生き馬の目を抜くような都会へいきなり行っても、上手くやっていけるとは思えなかった。


 腕を組んで考え込んでいるユーリを見て、オーデル老人が声をかける。



「商人の為人(ひととなり)の事なら心配は要らんよ? それなりに抜け目の無いやつではあるが、人を(だま)してまで金儲けをしようとはせんやつじゃ。利道がどうこうとか言うておるがの」

「アドンさんなら大丈夫よ。古くからの付き合いで、気心も知れてるし」



 二人の言葉に後押しされる形で、ユーリも決断する。


 思いがけず五年もの間一人で引き籠もる形になったが、この世界で生きていこうとするなら、少しは世間の事も知る必要があるだろう。

 それに、街へ出て行くとは言っても、別段村を捨てるわけではない。農閑期に少し村を空ける程度なら、あるいは冬の一時期を外で過ごす程度なら、さしたる問題は生じないのではないか……?



「……解りました。畑の収穫が終わってからでいいのなら」

「おぉ、それは大丈夫じゃよ。アドンのやつが来るのは麦の収穫が終わってから……八月の終わり頃になる筈じゃ。それで構わんかの?」

「大丈夫、と言いたいところですが……(こよみ)が無いので……」



 そうユーリが告白すると、二人はしまったという顔をした。



「え、えーとね……今は七月の七日で、七月は三十一日あるの。それで、八月も三十一日あるから……」



 少し辿々(たどたど)しく、しかし懸命にドナが説明してくれたところでは、この世界で用いられている(こよみ)は、ユーリが生前使用していたのと同じグレゴリオ(れき)のようだった。ユーリも転生直前の日付を基に自分なりの暦を作成していたのだが、それは間違っていなかった事になる。



(……そう言えば今日は七夕(たなばた)か……もうすぐマオの収穫だし、機織りの上達でも祈っておくかな……)



 七夕は棚機(たなばた)とも書き、日本ではこの日に願を掛けると技芸が上達するという信仰があった。ただし……それは女性の場合なのだが、ユーリはころりとその点を忘れていた。……まぁ、ここは異世界だし、信仰の形も違うだろうが。



 ともあれ、商人の来訪が近くなるとこちらへも報せてくれるというので、それを目安にして予定を立てればいいだろう。

本日で連日更新は終わりとなります。次回からはいつもどおり、火曜と金曜の更新となります。

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― 新着の感想 ―
村で収穫作物を商人に限界近くまで売却してるけど税はどうなってるのかな?
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