第十九章 不思議な少年 8.過去と未来(その2)
「これだけの畑なら鳥や獣も目を付けそうじゃが……その辺はどうしておるのかね?」
当然の如く老人が質問を投げかけるが、鳥やネズミと密約を結んでいるから大丈夫です……などとは言えないユーリは、代わりに以前畑に侵入してきた害獣の事を説明してお茶を濁す。
「そうですね。囲いができあがるまでは、野良犬とかイノシシとかが能くやって来て、苦労させられました」
「……イノシシはともかく……野良犬……?」
「えぇ。五頭から十頭くらいの群れを成してやって来るんです。割と大っきくて、動きも素早いんで、水鉄砲で追い払うのも骨でしたね」
……こんな山奥に野良犬がいるというのもおかしな話だが……水鉄砲で追い払われる程度だというなら、やはり野良犬なのか?
密かに懸念しているウルヴァックであれば、水鉄砲ごときで追い払われるような事は無いだろう。だとすると、これは夜の事か何かで、大きさを過大に見誤ったと考えたが良いか?
些か疑問はあるものの、そう納得しそうになったオーデル老人であったが、傍らの孫娘はそう簡単には納得しなかった。
「待って、ユーリ君。……大きいって……どのくらい?」
「えぇと、大体……そうですね、頭から尻尾の付け根まで一メートル……一メートル半はなかったと思います」
……それは、〝割と大きい〟で済ませられるレベルなのか?
「一メートル半……」
「いえ、だから、そこまで大きくはなかったですから」
「尻尾の付け根まで一メートルもあれば、犬としては異常に大きいわよ……」
そのサイズの「犬型」生物で群れを成すというなら、二人にも心当たりがある。
「それって……ウルヴァックっていう魔獣なんじゃ……? 一頭二頭ならともかく、群れると騎士団でも危ないっていう……」
「そうなんですか? けど、水鉄砲で逃げて行きましたよ?」
「「う~ん……?」」
そうすると、やはり体長を見誤るか何かしたのだろうか、と考え込む二人。
ちなみに、ユーリは斃した個体の長さを目測した結果を話しているので、見誤りという事は無い。
誤解を招いたのは、ユーリの説明がいい加減……と言うか、詳しい説明を端折ったためである。
ユーリは水鉄砲と言っているが、実はアクアランスという中級の水魔法であって、籠める魔力次第では岩にでも穴を穿つ事ができる。この時もただ逃げたのではなく、六頭ほどが斃された後で、残りが命からがら逃げ出したというのが正しい。
「……イノシシというのは?」
「あ、何回か来ました。大きさとか色とかはまちまちでしたけど、その一頭がこれですね」
――と、畑の案内を終えて部屋に戻って来たユーリが、足下の毛皮を指して事も無げに言ってのける。ざっと見たところ体長は――頭の部分を除いて――軽く二メートルを超えている。
「そんな怪物をどうやって……」
「あぁ。落とし穴に落としてやればいいんですよ。前脚だけでも落としてやれば、動けなくなったところを狩るのは簡単ですから」
納得できるような、納得しづらいような、何とも判断に困る答えが返ってきた。
「落とし穴って……そう簡単に掘れるもんじゃないわよね……?」
「あの石塀といい……ユーリ君はひょっとして……」
「あ、土魔法と水魔法を少しだけ使えます」
――ここまではカミングアウトして大丈夫だろう。と言うか、土魔法の事を言わないと、却って石塀の説明に困る。なら、ついでに水魔法の事も話しておいて問題無いだろう。確かこの世界、複数の属性持ちは珍しくない筈だ……
ユーリは自分の持つ魔法のうち、土魔法と水魔法についてだけ明かす事にしていた。さすがに全属性持ちである事は伏せておいた方が良いくらいの見当は付くが、二つ程度ならさしたる問題にはならないだろうとの判断である。
二つの属性魔法を使えるというだけなら、なるほどユーリの判断もあながち間違いではない。ただ、ウルヴァックの群れを撃退するほどの水魔法に、村一つを囲う石塀を造り上げるほどの土魔法となると……
「……あの石塀じゃが……造るのには時間がかかったのかね?」
「それは勿論。一朝一夕にできるようなものじゃありませんから」
その隙にイノシシとかが入り込んだんですよ――という答えを聞かされて、なるほどなぁと納得する二人。
ただ……この時両者がイメージしている「建設期間」には、実は大きな隔たりがあった。
二人の方は――あれほどの石塀だ、建造には一ヵ月や二ヶ月では利かない時間がかかった筈だと考えていた。農作業の合間に子供が一人で造ろうというのだ。年単位の時間がかかったとしてもおかしくはない。
対するユーリはと言えば――自宅の周りの石塀がほぼ一瞬でできあがったのに較べての、「時間がかかった」発言である。実際の所要時間は、最初のうちはユーリが魔力を使い切らないように用心していた事もあって、十日ほどであった。
斯くの如く両者の認識には大きな隔たりがあったものの、互いにそれに気付かぬままに会話が進んでいく。知らぬが仏である。
「なるほどのう。それだけの魔法が使えるのであれば、こんな処で一人暮らしできておるのも納得というもんじゃ」
老人の「こんな処」発言におやと思ったユーリが問い質してみたところ、ユーリが住んでいる廃村の辺りは、魔獣の跳梁が厳しくて、普通の村人には到底住めない場所なのだという。
「えっと……僕以前にも、ここに住んでいた人たちがいたわけなんですけども……」
「よくもまぁあんな場所に住んでおるもんじゃと、儂らは呆れておったのじゃよ」
「正気の沙汰じゃないわよね」
……どうやら、この村を乗っ取られる可能性については、考えなくてもよさそうだ。そう思っていたところ、オーデル老人がやや躊躇いがちに口を開く。
「それで、ユーリ君、ものは相談なんじゃが……」
「はい?」