第十九章 不思議な少年 7.過去と未来(その1)
空気の読めない孫娘の事を愧じ入ったらしく、老人が詫びるような視線を向けてくるが、こんな事もあろうかと予め備えをしていたユーリに抜かりは無い。
軽く溜息を吐くと――パフォーマンスである――ユーリは訥々と話し始めた。五年の間、考えに考え、練りに練ったカバーストーリーを。
「……どこから来たのかは、正直憶えていません。物心付いた頃は、祖父と二人で旅暮らしでしたから。祖父は生きていく上で必要な事を色々教えてくれましたが、僕の身の上についてはほとんど教えてくれませんでした。大きくなったら教えてやると言うだけで。……五年ほど前にここへ流れ着いて、雨風も凌げるし畑もあるしで、ここに住み着く事に決めたんです。畑は祖父が世話していたんですが……ある日を境に祖父が帰って来なくなって……。黙って僕を捨てるような祖父じゃありませんから、出て行った先で何かがあったんでしょうが……今より子供だった僕には確かめる術も無くて……」
――というのが、ユーリの考えたカバーストーリーである。都合の悪いところは全て「祖父」におっ被せて、終いにはその祖父も行方不明にしてしまう。全てを藪の中、闇の中に隠してしまう心算であった。日本ならご都合主義と非難されそうだが、この世界では通用するだろう。自分が――中身はともかく見た目は――年端もゆかない子供である事も事実なら、山へ出向いた人間が帰って来なくなる事も、この世界では身近な事実なのだ。
「……そんな事が……」
「……ごめんなさい……」
案の定、二人は信じてくれたらしい。あまりのチョロさに申し訳無い気持ちにすらなってくる。
些か暗くなった雰囲気を振り払おうとするかのように、オーデル老人が口を開く。差し支えなければ、畑というのを見せてもらえないだろうか、と。
ユーリに異存のあろう筈が無かった。
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「ほう……これが……」
オーデル老人は感心のあまり言葉が出ないという体である。隣にいるドナも目を見開いて無言のままだ。
老人の頼みに一つ頷いて、ユーリが案内したのは自宅裏の畑である。他の場所にも畑はあるのだが、手始めとしてはここから見せるのが筋だろう。
二人が目を奪われたのは、畑の手入れが――ユーリ一人でやっているとは思えないほどに――行き届いているのも然る事ながら、何よりも土の様子であった。黒々として軟らかいそれは、エンド村では望んでも得られないような良質の土であった。
これには幾つかの理由がある。
まず第一に、ユーリは事ある毎に畑に堆肥を鋤き込んでいた。最初のうちは山野から腐葉土を運び込んでいたのだが、後になると引き抜いた雑草雑木は勿論、生ゴミや下肥、果ては魔獣の不要部分など、栄養になりそうなものは片っ端から土魔法で【堆肥化】していったのである。堆肥化の土魔法は擬似的に醗酵を再現したものらしく、その工程でかなりの熱を発した。原料に含まれていたかもしれない寄生虫や害虫の卵などは、発熱によって死滅した筈である。まぁ、ユーリは念のために、光魔法で殺菌消毒のような真似も試みていたが。
ともあれ、そうしてできた堆肥を、収穫後に土に鋤き込んでいるのだ。骨粉のようなものまで混ぜ込んでいるので、栄養分は満点である。作物によって栄養要求性が異なるので、施肥量はその都度変えているが。
第二に、連作障害を避けるために、ユーリは植え付けている作物を毎年のように換えていたが、そのサイクルの中に必ずソヤ豆を……言い換えれば窒素固定のできるマメ科作物を加えていた。そうやって土が疲弊するのを避けていたのである。
土作りについてはこれくらいであるが、ユーリはこの他にも――生前に得た知識を存分に駆使して――様々な工夫を試みていた。
第一に、日本で生きていた頃に自然農法や有機農法の本を読んだ事のあるユーリは、一部の畑では収穫後の野菜や穀物は枯れるに任せ、堆肥も鋤き込むのではなく上から追加する形の不耕起栽培を試みていた。植え付ける作物は毎年換えているが、植え付けの際にも耕す事はせずに、単に穴を開けて種なり苗なりを植え付けるだけである。自然に近い土壌環境が保たれた畑では、害虫の天敵を含めた生物相が豊かに育まれ、害虫の発生を低いレベル――ゼロではない――に抑えていた。
第二に、広い意味ではこれも有機農法の一つになるのだろうが、コンパニオン・プランツというものがある。近くに植えると互いに成長が良くなるという植物の事を指す。本で読んだだけだが、確かトマトやジャガイモとマリーゴールドとか、ニンジンとカブとか、他にも色々とあった筈だ。ユーリとて全てを憶えているわけではないが、どのみちこちらは地球とは違う異世界なのだ。ここは前世の記憶より、【鑑定】先生と【田舎暮らし指南】先生のお知恵をお借りした方が良い……。そう割り切って調べたところ、確かにそれらしき組み合わせが幾つか載っていたので、利用可能なものを早速取り入れている。本格的な対照実験はしていないが、確かに病虫害が少ないような気はしている。
第三に、畑の周囲に害虫の天敵を誘致するような環境を形成しておいた。天敵昆虫の住処や隠れ家となりそうな植生を維持したり、食虫性の小鳥たちの巣箱や止まり木を設置するなどである。前者など、何も知らない者の目からすれば藪があるだけにしか見えないだろうし、後者の巣箱を見ても首を傾げるかもしれない。しかし、実はユーリは【言語(究)】によって小鳥たちの意見――巣箱のデザインや立地条件など――を聞いた上で、それらを作製し設置していた。
ただ、チートじみた【言語(究)】にも限界はあるようで、昆虫たちとの意思疎通は上手くいかなかった。尤も、一軒の空き家の軒下にスズメバチのような種類が営巣したのを、害虫の捕食を期待したユーリは何もせずに放って置いた。爾来、スズメバチとユーリとの間には、好意的な無関心とでも呼べそうな関係が成立しており、平和裡に共存を続けている。
最後に、これはあまり大っぴらにはできないが、ユーリは小鳥やネズミたちとの間に密約を結んでいる。畑の作物を食害しない代わりに、村の外の草地で彼らがリクエストした種類を積極的に増やしたり、隠れ家や水場を作ってやる、食糧の少なくなる冬には適宜餌を供給する――などの便宜を図っているのだ。
そんなあれこれが実を結び、ユーリの畑は二人が瞠目する水準に達していた。