第十九章 不思議な少年 6.山人と村人
「……すると皆さんは、山野の産物を利用される事はあまり無い、という事ですか?」
「あまりと言うよりほとんど無いのう。山には魔獣が出て危険じゃしな……ユーリ君は気にしておらんようじゃが」
「いえ、僕だって強い魔物に出くわしたら、こっそり隠れてやり過ごしますよ? 偶々弱いのに出くわした時は、不意討ちで狩る事もありますけど」
「なるほどのぅ……」
そういう事なら話は解る……と、相槌を打とうとしたところで、孫娘がそっと脇腹を突いているのに気が付いた。視線を向けると、爪先で床に敷いてある毛皮を指している。……大きめの食卓の下に敷かれている、食卓――椅子含む――よりも二回り以上大きめの毛皮を。
「……この……下に敷かれておる……毛皮じゃが……」
「あぁ、それですか。図体ばかり大きなイノシシでしたね。まともに襲われたら危険でしょうけど、気配を殺して不意を衝けば、さして苦労はしませんよね?」
同意を得ようとするかのように上目遣いで聞いてくるが、オーデル老人の見たところでは、その「イノシシ」とやらはスラストボアという歴とした魔獣である。普通のイノシシの倍以上の巨体を持ち、人間と見るなり突っ込んで来るので、冒険者たちからも危険視されている。決してユーリが言うような残念魔獣ではない……筈だ。
「いえ、馬鹿みたいに突っ込むだけの脳筋ですから、気付かれさえしなければ大丈夫ですよ?」
――と、言われても……
「そもそも、スラストボアみたいな魔獣に気付かれないというのが、まずあり得ないと思うんだけど」
「その辺はコツですね」
「コツ……のぅ……」
どうやら互いの認識に、大きな隔たりがあるようだ。両者それには薄々気付いたものの、互いに自分の認識が正当だと思い込んでいるから、歩み寄る事は一切無い。それに、ユーリのいう事もあながち間違いではない。ユーリの【隠身】スキルが並外れて高い――五年前の転生早々からレベル5――だけである。
「……まぁ、魔獣の事はさて措くとして、毒抜きの事もご存じなかったんですか?」
「全く知らなんだ……恐らく、村の誰一人として知らんじゃろう」
実は、ここフォア世界の住民は、押し並べて野生の食物資源に関心が薄い。これには幾つかの要因が関係している。
第一に魔獣の存在がある。現代日本と違ってここフォア世界では、凶暴な魔獣が棲んでいる森には極力近づかないのがスタンダードである。そのため、野生の果実や堅果、根茎などが採集・利用できるのは、安全な場所に制限される。農業技術がそれなりに高い事もあって、これらの利用技術は次第に忘れ去られていったというのが真相である。
第二の理由は、第一の理由とも関連するが、アク抜きや毒抜きをしなくても食べられる種類が多い事である。そのため、態々渋みのあるダグやシカの実、あるいは有毒なリコラの根を食べる必要に迫られる事がほとんど無く、結果としてアクを抜くという発想に至らなかった。
第三の理由として、交通網が未発達な事もあって、他国の文化に触れる機会もそれに対する関心も低い事が挙げられる。他所には毒抜きの技術を伝える民族もいるのだが、彼らの持つ文化や技術がこの地に伝わる機会が無い。旅行などを通じて知り得た者がいても、それはあくまで他国の奇習として話に上るだけであった。
第四に、地球の場合を例にとれば、水晒しの技術は照葉樹林帯で発達した技術だとされていた。ヨーロッパのような硬葉樹林帯では、あまり発達しなかった技術である。ユーリたちが住んでいるこの国も地球のヨーロッパと似た条件にあり、そもそも水晒しの技術自体が未発達であった。
これらの結果、エンド村の誰一人として毒抜きの技術を知らない――という事になるのであった。
「……けど、今回みたいな事を考えると、救荒食物として身近に植えておかれる事もお考えになった方が……」
「リコラのぅ……確かにあれなら、畑の隅に植えておいても邪魔にはならんか……」
実際にユーリがいた日本では、ヒガンバナはそういう背景を持った植物だと考えられていた。人里付近にだけ分布するので、人為的に持ち込まれ運ばれた植物であると。鱗茎に毒があるので、動物に屍体を掘り返されないように墓地の周りに植えたとか、飢饉の時には毒を抜いて救荒食物として利用したとか、紙を漉く時に混ぜ込むと紙が虫に喰われなかったとか、そんな逸話が各地に残っている。
「村の近くにダグやシカの木があったら、水で晒して粉を採るのも良いんじゃないですか? ヨッパだと根は毒抜きしなくても食べられますし、他にも色々ある筈ですよ。……毒抜きが足りないと悶え苦しむか、最悪死んじゃいますけど」
最後の台詞で思いっ切りドン引きした二人に、真っ白になるまで晒せば大丈夫ですよ、と教えておく。
「にしても……ユーリ君はその歳で能く色々な事を知っておるのぅ……」
「と言われても、僕も祖父から聞いて憶えただけですし」
祖父? 一人暮らしではなかったのか? そう言いたげな老人に、今は一人ですと答えておく。ユーリとしては、後はお察しと言いたいところである。老人も深く追及するのは遠慮してくれたが、そういう腹芸を理解しない者がいた。誰あろう十四歳のドナである。
「あ、そう言えば、ユーリ君ってどこから来たの?」
それでも十四歳なりに一応気を遣ったのか、直球で祖父の事は訊いていないのであったが。