第十九章 不思議な少年 1.祖父と孫娘
第二部、お騒がせ交流パートの開幕です。暫くの間連日更新といたします。
天候の不順、虫害の発生、他国での戦による商品作物の流通停滞……などの様々な要因が絡み合った結果として、この国は――危機的な段階ではないにせよ――食物の慢性的な不足に見舞われていた。特に、他国や農村から運ばれて来る食糧に依存している都市部の困窮は深刻……とまではいかないにせよ、軽視できない段階に達していた。危機感からの買い占めなどもあって、出廻っている食物は逼迫気味となっていたのだ。
一方で、そこに商機を見出す者たちもおり、少し気の利いた商人なら馬車を引いて各地の農山村に赴いては、決して豊かとは言えない貯蔵食糧までも買い漁っていたのである。
ここエンド村もその例外ではなく、春頃に馴染みの商人が馬車を引いて訪れたかと思うと、村にある作物を高値で買い漁っていった。さすがに種籾には手を着けなかったが、今年の収穫まで食べていける分だけをギリギリ残して、村人たちは万一のために貯えていた分までも放出した。金に目が眩んだと言うより、食べるものが無くて困窮している者たちの事を考えてである。自分たちはまだ何とかなる。作物だけでなく、野山で採れるものを食べてもいいのだ。
結果として村の食糧事情には余裕が無くなり、少しでも手の空いた者は――危険でない範囲で――山野に出て、食べられそうな木の実・草の実・若葉などを集めていた。
村の少女ドナが祖父とともに山に――いつもよりも深いところまで――分け入ったのも、七月のそんなある日の事だった。
「山イチゴ、思っていたより生ってないね、お祖父ちゃん」
「そうじゃの……ひょっとしたら、山の獣どもに先を越されたのかもしれんな」
「……獣たちも、飢えてるのかな……?」
「どうかのぅ……ネズミどもはいつもどおりのようじゃが……」
期待していたよりも乏しい収穫に表情を曇らせていたドナだが、山の獣が飢えているという可能性を聞かされて、更に顔を曇らせた。腹を空かせた獣たちが村の作物を襲うような事になれば、下手をすると村人たちまで飢える事になる。備蓄していた作物は既に売り払っているのだ。
表情を曇らせていた二人であったが、祖父であるオーデルがある事に気付いた。
「はて……何やら径が踏み固められておるような……」
「あ……じゃあ、この辺りまで来た人がいたんだ」
その誰かが先に収穫を終えたのなら、山イチゴが思ったより採れないのも道理である。山の獣がどうのと心配する必要も無い。
ほっと気を緩めかけたドナであったが、祖父の言葉に再び緊張を高める。
「いや……村の者でこの辺りまで出てきたのは、儂らだけの筈じゃ。それに……村の者ならもう少しはっきりと藪を払っておるじゃろう」
径の様子も、大人が踏み分けたような感じではない。もっと小さい者が歩いたか……でなければ、跡を残すのを極力避けたような……
「それって……あたしたちの知らない誰かが、この辺りに隠れ住んでいるって事?」
「何とも言えんがな。……ともかく、注意を払っておく必要はありそうじゃ。……ドナ、すまんがお前ひとっ走り村へ戻って、村の衆にこの事を伝えてくれんか?」
「お祖父ちゃんを一人にするって事? 駄目よ。村へ戻るなら二人一緒。お祖父ちゃんが戻らないなら、あたしも戻らないわ」
きっぱりと言い返した孫娘を見て、オーデル老人は考える。この娘がこう言い切った以上、説得するのは無理だろう。ならば二人一緒に戻るべきか?
だが、何者かがいるという懸念をそのままに戻るのも躊躇われる。何より、現時点では単なる――それもあやふやな――勘のようなものに過ぎないのだ。確たる証拠が得られるまで、もう少しだけ先へ進むべきか? どのみち、今日の目的であった山イチゴも、充分な量は採れていない……
暫しの思案の後、老人は先へ進む事に決めた。ただしくれぐれも注意して、無闇に音を立てない事、会話もヒソヒソ声で行なう事を孫娘に告げる。
黙して頷いたドナとともに、微かな径の跡を先に進む。密やかに。
「……お祖父ちゃん、この先って、以前に村があった場所じゃない?」
「うむ……塩掘りの連中がな。しかし、彼らが去ってかれこれ十年近くになる筈じゃが」
「塩掘りの人たちは、なぜ村を捨てたの?」
「それはあれじゃ、魔獣を追い払うのが難しくなったからじゃろうよ。儂らの村ですら、獣の悪さに往生しとるんじゃぞ? こんな山の中に村を作ろうなど、正気の沙汰ではないわい」
「それもそうか」
……しかし、事実は時として芝居や絵双紙よりも突飛な事がある。
ヒソヒソ声で会話しつつ進む二人の目の前に現れたのは、祖父の言葉に反して、頑丈な石壁で囲まれた要塞のようなものだった。
明日も同じ頃に更新の予定です。