第十七章 アナザー~もう一つの廃村~ 2.逸出作物
「……これって……大豆……だよね……?」
《ソヤ豆:莢に入った豆を着ける一年生の作物。茎の先はやや蔓状になる。他の豆類と同様に、根にコンリュウキンをキョウセイさせており、クウチュウチッソをコテイする事で、チッソ分の乏しい場所でも生育でき、土壌の改善効果も期待できる。その反面レンサクショウガイを起こしやすいので、栽培には注意が必要である。種子はタンパクシツとシシツに富むが、その一方で苦味成分や有害なタンパクシツを含むため、生食はできない。そのため、この国ではあまり栽培されておらず、知名度も低い。火を通せば有毒成分は無毒化できる。異世界チキュウでダイズと呼ばれていた種に類似している》
……根に根粒菌を共生させて、空中窒素を固定……連作障害を起こし易い……蛋白質と脂質に富む……【鑑定】した結果から見ても、やはり大豆らしい。あるいは、この世界で大豆に相当するような種類らしい。見ればあちこちに野生化しているが、残念ながらまだ莢は小さいままである。
「まぁ、食べ頃にもう一度やって来ればいい……いや、生えている数次第では、来年用の種子を採るだけになるのか?」
これは早々に確認しておかねばなるまい。今年のメニューが増えるのか、それとも来年まで持ち越しなのか。ここでは食事は最大の楽しみともいえる。食事のレパートリーが増えるかどうかは、それこそ生きる意欲に直結する。
「それに……大豆が手に入ったんなら、味噌と醤油、そして豆腐に挑戦するのは、日本人のお約束だよね」
麹黴だの酵母だのの問題があるので、味噌も醤油もそう簡単に日本と同レベルのものは造れまい。豆腐の方はと言えば、こちらはこちらで苦汁成分をどうするかという問題がある。岩塩坑から塩は採れるのだが、幸か不幸かここの岩塩には、マグネシウムはほとんど含まれていない。それはそれでユーリが馴染んだ食塩に近い味わいで良いのだが、豆腐を造るのに必要な苦汁が得られないという問題が生じるのである。
味噌・醤油・豆腐、いずれもユーリの生涯を賭けて挑む事になるかもしれないが、それはそれ。老後までの楽しみと思えばいいのだと考えていた。……十歳に満たない者の発想ではない。
「けどまぁ……肉醤は何とか使えるものにはなったし……思ったより早くできるかもしれないしね」
野生動物や魔獣の内臓を塩漬けにして醗酵させた肉醤は、塩以外の調味料を渇望したユーリが、生前の記憶を振り絞って思い出したもので、かつては日本でも使われていたという記録がある。
とは言え、具体的な製法などについては知らなかったので、多分魚醤――秋田の塩汁とかタイのナンプラー、ベトナムのヌクマムなど――に似たものだろうと大雑把に見当を付け、だったら内臓を塩漬けにして醗酵させれば何とかなるんじゃないかという乱暴な期待の下に試作したのだが、幸いにして試作品の一つがどうにか使えそうなものになった。今はそれを利用しつつ育て、他にも幾つかの試作品を造っている状態である。
どろりと濁った液体なので、使う時にはその上澄みだけを掬い、調味料として用いている。独特の臭い――と言うか臭み――はあるが、濃厚な旨味が含まれているため、ユーリはスープを作る時の出汁やドレッシング代わりに用いている。
しかし、塩と肉醤、数種類のハーブや香辛料――肉桂のようなものと山椒のようなものが見つかった――だけでは現代日本人であったユーリの欲求を満たすには至らず、せめて味噌くらいは欲しいと思っていたところである。大豆が手に入ったという事は、その野望に一歩近づいた事に他ならない。
何はともあれ生えている数を確かめるのが先決だと、ユーリは勇んで村落跡を見廻るのであった。
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「う~ん……種用に取っておく分を考えると……バクバク食べる余裕は無いな。味噌の試作ができるほどの量じゃないし……麹が得られるかどうか、試すのが精々か……。あ、それと……」
ここでユーリは重要な事を思い出した。そう、豆科作物と言えば根粒菌である。根に根粒菌を共生させた豆科植物は、根粒菌が固定した空中窒素を利用する事で、窒素分の乏しい土でも生育できる。
なので収穫後の植物体を緑肥としてすき込むか、あるいは枯れたものをそのまま堆肥とすれば、畑に窒素分を補給できる。尤も、その前にこちらの世界の豆科植物の窒素固定能については確認しておく必要がある。
「【鑑定】に表示された以上、窒素固定の能力を持つのは確かなんだろうけど……土壌改良の効果がどの程度なのかは確かめないとね。……一株か二株ほど村に持ち帰って植えてみるか……」
土魔法と木魔法を使えば、移植にも活着にも問題は無いだろう。
「それと……蕪の方も幾つか持ち帰っておこうかな……」
この村落跡では、大豆の他にも幾つかの逸出作物の生育を確認できた。小麦や芋など、廃村で既に栽培を進めているものも多かったが、向こうでは見つからなかった作物が、大豆以外にも確認できたのである。カブとカボチャであった。
《スズナ:一年生または越年生の作物。冬に肥大して丸くなった根を収穫して食べるほか、葉の部分も食用になる》
《ボカ:他の大陸から――恐らくは試験的に――持ち込まれた一年生の作物。この国ではほとんど栽培されていない。茎は蔓性で地を這い、初夏に大形の実を結ぶ。果実および種子は食用》
スズナの方はまだそれ程大きくないので、移植もさして手間ではないが、ボカの方は蔓が伸びて実を着けており、今から持ち帰って移植するよりも、このままここで育てる方が好さそうに思えた。
「ま、ここは第二拠点みたいな感じかな」
色々と収穫の多かった村落跡であったが、同時に無視できない懸念も与えていた。
――この村はなぜ放棄されたのか?
魔道具を含む家財一式を残していくくらいだ。村人たちは緊急避難的に村を離れたのだろうが……その原因は何なのか?
家財がそのまま残っているという事は、村人たちがここに戻って来なかった事を示唆している。――なぜか?
家も柵も既に朽ち果てているため断定はしにくいが、強い力で壊されたような形跡は見られなかった。だとすると、村人たちを追い立てた脅威とは何だったのか?
警戒を強めるユーリであったが……その「脅威」というのが、昨年の暮れに自分が仕留めた三羽の怪鳥であった事は、彼の想像の埒外にあった。