第一章 始まりの場所 3.住居
神様からの手紙には、スキル以外にもユーリが転生した国の情勢や習慣、物価などについて、必要と思われる事が――幾つか抜けはあったが――細かく記してあった。
「……詳しいな。これだけで必要な情報はほぼ網羅されているみたいだ」
面倒見の良い神様に感謝の念を捧げると、徐に次の行動に移る。【収納】の中に数日分の食糧が入っている――神様からのプレゼントだろう。改めて感謝の念を捧げておく――のは確認した。ならば、次になすべきは住居の確保だろう。
幸いここは廃村。住宅の候補は幾つもある。その中で比較的傷みが少なく住み易そうなものを選べばいいだろう。
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凡そ三時間にわたる選定の後、ユーリは村のほぼ中央にある一軒の家を我が家と決めた。傷みが少なく、井戸と畑が近くにあり、周りに他の家があるため風が吹き込みそうにない事、などが理由である。
その家は建坪こそ百三十平方メートルほどあるものの、内部は三部屋全てが土間。必要に応じて蓆か何かを敷いていたらしい。入り口に近い部屋に竈が設えてあるので、ここが台所と、恐らくは食堂も兼ねており、その奥の二部屋が生活空間だったようだ。天井には採光用の窓らしきものがあるが、閉じたままになっている。壁にも小窓があるが、無論の事ガラスなどは嵌っていない。いずれも木の戸蓋を外側に押し上げる方式の、所謂突き上げ窓、あるいは突き出し窓というやつである。現在は全て閉じたままになっているので、屋内は暗い。
便所は屋外の共同便所だが、ひょっとしたら「おまる」のような室内便器を使っていたかもしれない。ただ、それは残されていなかった。浴室は無く、必要に応じて土間で盥か何かを使っていたらしい。便所はともかく浴室が無いのには我慢できなかったため、早晩建て増す事を決意する。
掃除道具などは残っていないため、屋内は大雑把に片付けただけだが、それでも一応風魔法を使って、積もった埃は掃き出しておいた。最初は埃が舞って大変だったが、風を操るコツを掴んでからは、屋内に積もったゴミや埃を一掃するのに時間はかからなかった。最初に役立ったのが、おまけとして貰った風魔法だった事から、スローライフを舐めていたと反省するユーリ。役立ち方が掃除だという事は――神様が知ったら呆れるだろうが――ユーリ本人は気にしていない。
雨漏りが無く隙間風の入ってきそうにない一隅に、【収納】の中に入っていた毛皮――これも神様の心尽くしである。一体どれだけ気配り上手なのか、神様――を敷けば、当座の住処は完成である。
「あとは……食糧はとりあえず携帯食料に頼るとしても、水の確保は重要だよね。井戸があったけど、使えるのかな?」
家の中に何か残っていないか、調べたいのは山々だが、暗くなる前に外回りのあれこれを確かめておいた方が良いだろう。中でも水の確保は喫緊の課題だ。そう考えたユーリは、家の傍にある井戸へと向かった。
……自分が「水」魔法を貰っている事は、綺麗さっぱり失念したままで。
「う~ん……蓋もまだ壊れてないし、井戸自体は使えるみたいだけど……」
土魔法と水魔法を使って確かめた――水魔法を使っていながら、魔法で水を生み出すという発想に至らなかった理由は不明――感じでも、井戸の中にはちゃんと水があるようだ。……「ようだ」と言ったのは、現状でそれを確かめる術が無いからである。
まず、この井戸は所謂「跳ね釣瓶」であり、左右非対称のシーソーのような横木の一端に石が、もう一端に釣瓶……井戸から水を汲み上げるための桶が括り付けられている。石の重さで釣瓶を跳ね上げ、少ない労力で組み上げられるようにしたものだが……
「桶が持ってかれちゃってるな……」
離村の際に持ち去られたらしく、横木の一端に括り付けられている筈の釣瓶が見当たらない。おまけに横木自体にも罅が入っており、いつ折れるか判らない……まぁ、それだからこそ放って置かれたのだろうが。
家の隅には水瓶があったが、これにも罅が入っていた。こっちは土魔法で修復しておいたが、釣瓶の代用品は見当たらない。村全体を探し回れば何か見つかるかもしれないが……
「そろそろ暗くなりそうな感じだし、やってる暇は無いかな。そうなると……」
ふと思い付いて、水魔法で井戸から水を汲み上げられないか試してみる。……相変わらず、魔法で水を出す事には思い至らないようだ。
「ビンゴ! ……けど、これって水魔法なのかな?」
井戸から汲み上げた直径五十センチメートルほどの水球を見ながら、これって本当に水魔法なのだろうかと考え込むユーリ。まぁ、それはともかく水の入手には成功した。早速【鑑定】を掛けてみるが、有害な成分や微生物の類は混入していないようである。どっちみち飲む前には煮沸消毒を……
「あ……鍋釜はおろか食器も無いんだっけ……」
とりあえず水球を家に運んで、台所の隅の水瓶に入れる。そのまま水魔法で水を掻き混ぜて、水瓶の中に溜まったゴミや汚れを洗い落とし、汚れた水は再び水球に纏めて……
「表に撒くのも何だし……裏に畑の跡みたいなのがあったから、そこに撒くとしようか」
洗い終わった水瓶に再び水を汲み入れて、飲料水の確保が終わった。
「あとは……便所の手洗い用の水だよね」
便所は屋内には無く、外の別棟になっている。より正確に言えば、この村の外れ、それも井戸から離れた場所に共同便所がある。全ての家を廻ってみたが、屋内にトイレを備えた家は一軒も無かった。夜間などは携帯可能な室内用便器――所謂「おまる」を使って用を足し、中身を共同便所に空けていたようだ。
「小さい方は裏の畑で済ませてもいいけど……大きい方はやっぱり共同便所か。井戸の傍に作るわけにいかなかったのは解るけど……遠いんだよなぁ……」
ブツブツと文句を言いつつも、現状で他に選択肢が無いためそれに倣う事にしたが、トイレット・ペーパー――代わりの葉っぱ――と手洗い用の手水鉢が無い事に気付いて慌てる羽目になった。
幸いに葉っぱについては、【田舎暮らし指南】の用語検索の機能を使って該当するものを探り当て、【鑑定】を使って補給する事ができた。家の近くに生えていたが、後から考えると、これはそれ用に植えられていたのかもしれない。
手水鉢と貯水用の瓶については、該当する容器が見当たらなかった――離村に当たって持ち去られたようだ――のだが、思い付いて土魔法で製作して事無きを得た。
「と言うか、ラノベなんかでは定番だったっけ」
……トイレの手水鉢と水瓶を作るのに活躍した……などと書いてある作品は無かったような気がするが。
雨が降っている時に備えておまるを作っておくべきかと悩むユーリであったが、自分が持っているスキルの事にもう少し注意を払うべきであった。
――【生活魔法】の中にある【浄化】という魔法スキルに対して。
このスキルは身の回りの汚れ物を清潔にするスキルであり、用便後の手洗い――ついでに尻拭きも――などはこれを使えば問題無い。保有者が多いとは言っても全員が持っているわけでもないので、共同便所の傍には尻拭き用の灌木も植えられていたようだが、この国でも多くの者はこの魔法に頼っていた。魔法の存在しない世界から来たが故の見落としであった。そして……
「ざっと見たところ風呂桶も無かったし……入浴の習慣が無いのか、風呂桶を持って行ったのか……これも土魔法で作るか……石鹸も欲しいけど……獣脂と灰で作るしか無いか」
【浄化】の事など欠片も念頭に無いユーリは、浴槽と石鹸の入手にも頭を痛めるのであった。
次話は約一時間後に公開の予定です。