第十六章 ざら紙起工 2.無属性魔法
「……型枠以外は……繊維を数日間水に漬けて軟化の後、苛性ソーダで煮る? ……繊維を解し易くするだけなら、闇魔法で何とかなるよね。……漂白? 綺麗にするんなら、生活魔法の【浄化】か光魔法の【浄解】でいける筈だ、うん。……叩解? ……要は力で叩き潰せばいいんだろ? ……うん、いけるいける……」
――断っておくが、原料を完全に腐蝕させるのではなく、繊維の強靱さを保ったままに解きほぐす……そういう最適な状態で【腐蝕】を中断するというのは、闇魔法の精密なコントロールを必要とする。また、光魔法の【浄解】は呪いなどを祓うためのもので、漂白を目的としたものではない。生活魔法の【浄化】もまた、付着した汚れを取り除く事はできても、植物原料の色を取り除くような作業は想定していない。
しかし、半ばキレた状態のユーリは、そんな言い訳など聞く耳は持たない。〝断じて行なえば鬼神もこれを避ける〟とばかりに、全ての工程を力業で押し切る事に成功した。かなり「危ない」状態である。
そして……この一件のハイライトの幕が開く。
「……要は、溶液に含まれたパルプを、薄く均一に伸ばしてやればいいんだよな。溶液ごと水魔法で……これだけじゃ駄目か……なら、木魔法と……ついでに土魔法の魔力も混ぜて……う~ん……駄目かな……なら……」
うんうんと懸命に……と言うか、ものに憑かれたような努力を続けていくと、虚仮の一念が天に通じたのか、パルプを薄く均一に広げる事に成功する。
「……やった……やった! 神様、ありがとうございます!」
実はこの時、ユーリは魔力を属性変化させないまま放出して使用するという、この世界においては非常識な事に成功していた。
無属性の魔力を放出して行使する……それは【無属性魔法】と呼ばれ、魔導師たちの間で理論的には存在が予想されてはいたものの、誰一人としてそれを実現できた者がいない――少なくとも、王国の記録には残っていない――魔術界のダークマターとでもいうべき代物であった。
何しろ無属性魔法の習得に必要な条件というのが、①魔力の精密なコントロール、②複数の魔力の同時並行的な発動と行使、それに加えて、③属性を意識しない状態での魔力の行使、なのである。殊にこの世界の魔術師にとって難関となっているのが③であった。なまじ魔法が身近なものであったため、却って属性と無関係な力というものをイメージできず、無属性魔法を発動できないという結果に終わっていたのである。ちなみに【鑑定】は無属性の魔力を使うが、あれは魔法ではなくスキルであって、魔力の使い方は型に嵌められていて変更や改良の自由度は低い。無属性魔法の参考にはならなかった。
幸か不幸かユーリの場合、生前の地球には魔法というものは存在せず、寧ろ属性とは無関係な「超能力」という概念の方が――SFや漫画を通じて――身近であった。それより何よりこの時は、溶液中のパルプを操作するのに熱中するあまり、属性なんて高尚な概念はどこかへすっ飛んでいた。
これらの結果として、ユーリは属性を意識しないままに魔力を行使するという要件を満たしていたのである。
後にユーリは自身のステータスを確認した時、身に覚えの無い魔法がひっそりと登録されているのに首を捻ったものの、きっと神様のご褒美だと考えて、感謝を捧げるにとどめておいた。それが何なのかを知る事も無く。
「あとは、これを脱水して乾かせばいいか。あ、一気に脱水すると何か拙いかもしれないし……生乾きの状態で広げておくか……」
窓ガラスに貼り付けて乾かせば早いんだけどなー、などと暢気な事を呟きながら、窓ガラスの代わりに土魔法で生み出した滑らかな石版に貼り付ける。
解説では、木綿の布で水気を吸い取って……などと書いてあったが、そんなものはここには無い。水魔法の脱水を弱くかけながら、風魔法をこれまた微弱に発動させて乾燥させていく。完全に乾燥させるには一昼夜ほど置いた方が良いだろうが、見た感じでは充分使用に耐えそうな「紙」が出現していた。
「よーし、コツを忘れないうちに、パパッと作っちゃうか」
この世界ではそれこそ奇跡に近い無属性魔法を発動し行使した事など、つゆとも自覚しないまま、ユーリは引き続き無属性魔法を使いこなして、サクサクと紙を作っていく。――と同時に、無属性魔法のレベルもサクサク上がるのであった。
最初に作った一枚には澱粉を混ぜ込んでいなかったが、二枚目にはリコラの澱粉、それも毒を抜いていないものを混ぜ込んでいる。
澱粉を混ぜ込んだのは滲み防止の目的、所謂サイジング剤としてであり、それを有毒なリコラの澱粉にしたのは虫除け……正確に言えば紙魚などの食害を防ぐためである。この世界に紙を食害する昆虫がいるかどうかは判らないが、ユーリとしては大事な記録が食害される危険性は少しでも減らしておきたかったので。
「ま、滲み防止っていうのはついでで、主な目的は虫除けだけどね」
インクの類で筆記するのなら滲み防止は必須だろうが、ユーリはインクによる記録は考えていなかった。何しろ、インクは何かで代用できても、肝心要のペンの当てが無かったのである。
金属がほとんど無いこの村では、金属製のペン先などは当然用意できない。かつてのヨーロッパで使用されていた鵞ペン、あるいは羽ペンにしても、使えそうな鳥の羽根が手に入ったのはつい先頃の事。当初は入手の当てなど無かった。古代では葦を削ってペンにしたと読んだ事はあるが、生憎この辺りには葦など生えていない。
斯くいった状況の中でユーリが筆記具として選んだのは、木炭の粉を粘土と混ぜて作った、所謂チャコールペンシルであった。これならインクと違って滲む気遣いは無い。紙の表面が多少ざらついていようと、問題無く書けるわけである。
最初は粘土が手に入らず、そこらの土を細かに磨り潰して使用したとか、芯を土魔法で整形しようとしたら力加減が判らずに、串として使えそうな感じの太さと強度のものができたとか……色々と困難はあったが、今では充分使えそうなものが出番を待っている状態である。
ちなみに、後で澱粉を混ぜた紙とそうでないものを比較した結果、チャコールペンシルで書く分には澱粉はそれほど必要ではないと結論し、以降はリコラの有毒成分を抽出したものを添加するに留め、澱粉の添加は最小限に抑える事になる。ある程度ざらついた紙の方が書き易いという判断であったが、その「ざら紙」すらこの世界の紙の水準では上質紙に当たる事は知る由も無かった。
「明日には乾きそうだし……そうしたら糸で綴じてノートにして、メモ帳と日記帳を作らないとな」
そう呟いたユーリの顔は、心底嬉しそうであった。




