第十章 この木何の木 2.メーパル
ペピットの木の事を教えてもらって、その恩恵に浴してからというもの、ユーリは――用心しぃしぃではあるが――森の浅い部分にも探索の足を伸ばすようになっていた。モチベーションの多くの部分は、新たなペピットの木を見つけるという事に拠ってはいたが。実際に幾つかのペピットの若木――とは言え、既に実を着けている――を見つけていたのだから、探索は充分な成果を上げたと言える。
――そしてこの日、探索の成果に新たな一頁が追加されようとしていた。
《メーパル:春に小さな花を着ける落葉高木で、高さは四十メートルにも達する。葉は掌状に三~五裂する。耐寒性が高く、被陰にも強い。緻密で堅牢な材が取れる。樹液は二~五パーセントほどの糖分を含み、煮詰めて蜜を得る事ができる》
「……サトウカエデだよね、これって……」
一本だけではあったが、それは紛れもないサトウカエデ、この世界風に言うならメーパルの木であった。そして……何よりも重要な事に、この木からは砂糖が採れるのであった。
「ステビアは確保してあるけど、あれは低カロリー……と言うか、事実上カロリー源にはならないしね。本格的な砂糖の原料は初めてかな」
ユーリ本人は、〝サトウカエデの樹液からは砂糖が採れる〟程度の事しか知らなかったが、幸いに有能な【田舎暮らし指南】師匠のお蔭で、糖分採集の詳しいあれこれを知る事ができた。それによると、メープルシロップの収穫は、初春(二~四月)の、昼夜の寒暖差が大きい二~三週間が最も適しているらしい。幹を傷つけて樹液を出させ、それを加熱濃縮してシロップ――こちらでは木蜜というらしい――を得るようだ。ただ……
「一本のサトウカエデから採れる樹液には限度があるし……下手に傷付け過ぎて枯れでもしたら元も子も無いし……木魔法で傷を癒すにしても、限度ってものはあるよね……」
そうすると、利用できるサトウカエデ……メーパルがここに一本だけというのは、些か面白くない。
ペピットの時のように若木か芽生えでも無いかと思って探し回ってみたが、芳しい結果は得られなかった。
「耐陰性は寧ろペピットより高い筈なんだよな。若木のうちに食害されるのか……それとも、暑過ぎるとかの理由かな?」
理由はともかく、少なくともこの辺りには若木も芽生えも無いようだ。
どうしたものかとしばし考え込んでいたユーリであったが、やがて一つの決断を下す。
「挿し木を試してみるか……生前の知識だと、モミジやカエデの仲間は挿し木が難しいような事を読むか聞いたかした憶えがあるんだけど……」
発根促進剤などは無いがその代わりに、今のユーリは木魔法が使える。挿し木にまで効果を及ぼすかどうかは未確認だが、試してみて損は無いだろう。そう考えたユーリは、風魔法のウィンドカッターを放って、高い梢の一枝を落とす。あまり細いと狙いが定まらないので、そこそこに太い枝である。充分な数の挿し穂が取れそうだ。
ちなみに、マッダーボアとの遭遇戦以来、ユーリは毎晩寝る前に攻撃魔法の訓練をしている。当初は地水火風の四大魔法だけであったのだが、闇魔法と光魔法にも遠距離攻撃の手段があると知ってからは、それも訓練に加えている。インビジブルマンティスとの一戦の後は更に拍車がかかり、より遠くから、より速く、より強い一撃を放てるように鍛錬を続けていた。
最近では新たな試みとして、自分の前からではなく敵の眼前から魔法攻撃を放つ工夫に手を着けていた。言うまでもなく、自分の所在を隠したままで、敵への攻撃を放つためである。自分が「弱い」と確信しているユーリにしてみれば、不意討ち騙し討ちは戦術の基本なのであった。
ちなみに水魔法については、狩った獲物の血抜きを水魔法で行なっていたら、なぜかサクサクとレベルが上がっていた。血液のようなものを水魔法で扱うのは難しい事、それを繰り返しているために水属性魔力の操作スキルが上がった事などは、ユーリのつゆ知らぬ事であったが、レベルが上がった事自体は単純に喜んでいた。
――それはともかく挿し木の話である。
ものは試しと村の畑に持ち帰り、木魔法で挿し木を試みたところ、実にあっさりと活着したのには些か拍子抜けした。
成長の季節は終わっている筈なのに、一ヵ月で一メートル以上も伸びた挿し穂を見てユーリが欲を掻いたのも、無理からぬ話であったろう。新たに挿し穂を入手した結果、数十本になんなんとするメーパルの畑ができる事になった。
冬には試験的に樹液を採る事ができるかもしれない。
……いや、畑での採取の如何に拘わらず、親木から樹液を採るのは既定の方針なのだが。
ちなみに、メーパルの芽生えや若木が見当たらない理由については、これも小鳥たちが教えてくれた。
『ふゆに けものが たべるんだよ』
『うん けものや まじゅう』
『まるごと たべちゃう』
冬季にエネルギー源を欲した動物や魔獣が、糖度の高い樹液を含むメーパルの芽生えや若木――若木の場合は樹皮下の層を――食害するため、それが原因で枯死してしまうらしい。
自分の畑に植えた苗は何としても食害から守ろうと、強く決意するユーリであった。




