【書籍版二巻発売記念SS】 一壜の調薬量
書籍版二巻の「二人の姉妹」の挿絵を見ていて思い付いた話ですが、内容はそのエピソードとは無関係なものとなっています。
日本での短く不遇な人生を終えてフォア世界に転生した少年ユーリ。彼が望んだのは健康な身体であり、望まなかったものは――不健康な身体であった。
そして前世での入院生活の反動かあらぬか、彼は怪我や病気というものに対して偏執狂的とも言える警戒心や敵愾心を抱いていた。
そんなユーリであるからして、神から貰った【田舎暮らし指南】の中に【調薬(初歩)】のサブスキルがあると知ってからは、その向上に血道を上げていた。それこそ知力・体力・魔力の限りを尽くしそうな勢いで「ポーション」を作製しては、レベルアップに勤しんでいたのだが、或る時ふと気が付いた。
「……こういったポーションって、怪我とか病気とかを治したり、体力や魔力の回復はできるみたいだけど……」
気のせいか、それらは特定の症状を緩和したりするようなものではなくて、魔力を費やして〝状態異常を原状に回復する〟というもののような気がする。
なるほど、怪我も病気も「状態異常」には違い無いし、その事に文句を言うつもりも無い。ちゃんと治してもらえる以上、文句など言ったら罰が当たる。
しかし……前世で能く見た健康食品とかサプリメント、或いは滋養強壮の薬用酒といったものが無いような気がするのはどうしたわけか。
はてねと小首を傾げたユーリであったが……実は〝滋養強壮〟というのは――少なくともこのフォア世界においては――いわゆる回復系ポーションの苦手分野に入っていた。
病変部や受傷部がはっきりしている場合は、そこを原状に復帰させればいいだけだから、回復薬や治癒魔法で対処できる。それに反して滋養強壮などという漠然とした目標は、回復薬や治癒魔法が苦手とする分野になる――という事情があった。
そんな裏事情の事までは知らないユーリであったが、知らないなりに気になっているのは――
「……何でだろ? 脱水とか低血糖とか用のレシピが載ってないんだけど。……そう言えば、高血糖とか過呼吸のポーションも載ってないな」
まぁ、インシュリンのようなホルモンを合成するのは、どう考えても【調薬(初歩)】の範囲を超えるだろうし、紙袋でも被せておけば済むような過呼吸に対するポーションが無いというのも、それはそれで納得できる。
しかし――脱水に対する経口補水液や、低血糖に対する飴のようなものまで載ってないのはどういう事か。あまりに簡単過ぎて、態々載せるまでもないと判断されたのか?
重ねて小首を傾げたユーリであったが、その答は……〝最初からフォローされていない〟――という、ユーリが知ったら驚くようなものであった。
いや――誤解されては困るのだが、〝脱水症状や低血糖症状〟に対する手段が考慮されていないという意味ではない。それらはちゃんとポーションによってフォローされている。
しかしそれは飽くまで、〝ポーションに含まれる魔力を費やして、脱水や低血糖によって引き起こされる諸症状を一時的に緩和する〟というものであって、肝心の欠乏を解消するものではなかったのである。まぁ、ポーション自体が水を含んでいるので、脱水症状の緩和には少し寄与するだろうが。
そんな事を知らないユーリは、〝多分、簡単過ぎて載ってない〟のだろうと自分なりに納得――誤解とも言う――し、自力で対処する事にした。
経口補水液の作り方は知っているし、材料も幸い揃っている。低血糖については木蜜で飴でも作って舐めておけばいいだろう――と、最初は簡単に考えていたのだが……
「……あれ? 木蜜って要するにメープルシロップだよね? けど、確かあれって……」
前世での記憶に拠れば「メープルシロップ」とは、〝砂糖よりもカロリーが低く、グリセミック指数(GI値)が低い〟というのが売りではなかったか? 他にも多様なミネラルを含んでいるというのもあったと思うが……とりあえずそっちは措いといて、
「これって……〝低血糖の解消〟っていう点では拙いんじゃぁ……」
メープルシロップというのは液体であり、必然的に水分を含んでいる。重量当たりのカロリーが低いのは含水率のせいだとしても、問題は低GI値の方である。こっちは確か、〝血糖値の急な上昇を抑える〟効果があるというのが謳い文句だった筈だ。何でも〝メープルシロップに含まれるアブシシン酸やその代謝物であるファゼイン酸には、筋肉への糖の取り込みを活発にし、膵臓からのインスリン放出を促す事で、血糖値の上昇を抑える可能性がある〟……とか何とか、看護師さんが力説していたのを聞いた憶えがある。
そりゃ、ダイエットにはそっちの方が好都合かもしれないが、低血糖の解消という視点から見た場合、好ましい性質とは思われない。
前世のメープルシロップと現世の木蜜が同じものとは言えないので、取り急ぎ木蜜の方を鑑定してみると……生憎な事に、前世のメープルシロップと同じような特徴を持っていた。血糖値の上昇が緩やかになるらしい。
「えっと……どうすれば……」
単純に考えれば、摂取する糖分の量を増やすのが良いだろう。
そう考えて、木蜜の濃度を上げてみたところが、
「……甘過ぎて飲むのが嫌になるな……」
余程の甘党でなければ涙目になりそうな代物が出来上がった。ユーリとしても気が進みそうにない。いや、命の危険がある時に味など気にしていられるか――というのは正論であるが、それはそれとして、
「……欠点の改善を図るというのは、製作者として当たり前だよね」
――だとすると、思い付く解決策は一つしか無い。
「飲む量を多めにするしか無いね、うん」
……単純明快にして妥当な解決策であった。
斯くいった次第で、低血糖や栄養失調に対するユーリ作の「ポーション」――本来は〝potion:薬の一回の服用量〟という意味――は、他の「ポーション」よりも少し大きめの壜で供される事になったのであった。