第七十六章 家路 7.ハンの宿場町
ともあれ、ユーリは騎馬のクドルと馬車に【撥水膜】の水魔法をかけ、ハンの宿場まで俄雨をやり過ごす事に成功する。
幸か不幸か、ユーリを除く唯一の魔術師であるカトラは水魔法が使えなかったため、この【撥水膜】が真っ当な水魔法なのかどうかの判断が付かなかった。それでも――これまでのユーリの前科に鑑みて――一抹の疑念が兆したらしく、宿場の手前で術を解除するように進言したのは好判断と言えよう。
ユーリにとってハンの宿場は、諸々の物品を購入する最後の場所であるからして、ユーリの買い漁りは執拗を極めた。殊に狙われたのがパンである。なぜかユーリの村にはパン焼き窯が無かったため、ユーリがパンを食する機会は乏しいのだ。ローレンセンでもそれなりの数を購入して【収納】内に仕舞ってあるが、一年分には足りそうもない。
素よりユーリはパン食民族ではないが、「食べない」のと「食べられない」のとは大違いである。
「まぁ……そりゃ解らねぇでもねぇが……」
「お酒を買うのはどうしてなのよ?」
ユーリがもう一つ買い求めているのが酒である。ドナの視線が厳しいので、あまり大層な数は買い漁っていない――註.ユーリ視点――が、それでもそこそこの数を買っていた。
素よりユーリも、未成年の身で飲酒に溺れるつもりは無い。斯うして酒を買い求めているのにも、ちゃんと――表向きの――理由があった。
「やだなぁドナ。付与の触媒に使うからに決まってるじゃない」
柔やかな笑みを浮かべて疑惑の打ち消しを図るユーリであったが、ドナの疑念は晴れないようだ。
「……あれって確か、何かを漬け込んだ薬酒じゃなかった? ユーリ君が買ってるのはワインじゃない」
「薬酒じゃない普通のワインでも、赤ワインは触媒に使えるんだよ。白ワインは触媒には向かないけど、こっちは料理の味付けに使えるし」
「それにしたって多過ぎじゃない?」
「それはほら、エンド村の皆さんへのお土産の分もあるし」
昨年ローレンセンから戻った時にも、エンド村には酒を提供したではないか。今年提供しなかったら、村の呑み助どもががっかりするのは間違い無い。ここはご近所と円満な関係を結ぶためにも、酒樽の一つ二つは必要だろう。
むぅと黙り込んだドナを見て、己が勝利を確信したユーリであったが、ここで思わぬ伏兵が乱入する。
「あぁ、その分はこっちで買うから心配すんな。金もアドンの旦那から預かっている。長々引き留めた詫びだそうだ」
――と、したり顔のクドルが割り込んで来たのである。
不意を打たれて呆然とするユーリを、一転して勝者の目でユーリを見下ろすドナ。
斯くして、酒を巡るドナとユーリの攻防は、僅差でドナの逃げ切り勝ちとなった。
尤も、そんな事で懲りるユーリではなく、
(……今後はワインの手配が難しくなりそうだし……自前での醸造計画を進めた方が良さそうだね)
――などと、密かに自作のモチベーションを高めただけに終わるのであるが。