第七十五章 雪原に吼える 9.大団円?
「あ……あれ?」
時間稼ぎの牽制のつもりが怯えたティランボットに逃げ出され、ユーリは暫し呆然と立ち尽くしていたが……
「あ……待てっ! 肉醤っ!」
極上の肉醤の原料となるティランボット。ここで逃してなるものかと、食欲の亡者と化したユーリが悪鬼の形相で後を追う。もはやどちらが悪役か判らない。
この姿を見れば馬鹿旦那の妄想も雲散霧消したであろうが、幸か不幸かティランボットが逃げ出したのは馬鹿旦那たちと反対方向である。結果として両者の距離は開いてゆき、馬鹿旦那の視界から悪鬼たちの姿は消えた。
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斑刃刀の錆にしてくれんと、抜き身を引っ提げてティランボットを追うユーリであったが、逃げるティランボットも必死である。ユーリの俊足健脚を以てしても、追い付く事は難しかった。
業を煮やしたユーリが、人目の無いのをこれ幸いと――後先考えず――魔動小銃を取り出し、落ち着いた狙撃の一弾でけりを付けた。前世の自動小銃と違って、銃声の無いのが幸いした。クドルたちにも気付かれなかった筈だ。
まぁ狙撃でケリを付けた結果として、弾痕の残るこの屍体も秘匿が決定したわけだが、
「……どうせ表に出すつもりは無いんだし……構う事無いか……」
アドンが聞いたら嘆くであろう事を恬として呟くユーリなのであった。
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その後、何食わぬ顔で戻って来たユーリが妙に上機嫌なのを見て、首尾好くティランボットを狩ったんだろうなと察する一同。
ユーリに関する限り、これにて一件落着と相成ったわけだが……めでたしめでたしと収まらない者が一人いた。全ての元凶となった馬鹿旦那こと、ウォルター・ソレンサム爵子――長子でない貴族の子弟にこの国でつける敬称――である。
命懸けで自分を救ってくれた――この時点で既にかなりの美談化が為されている――あの可憐な戦乙女は何者かと、冒険者ギルドのサブマスターであり捜索隊の指揮を執るサバを問い詰めたのであったが……
「ギルドの名に賭けて誓いますが――そんな戦乙女など知りませんね」
「馬鹿な! 僕はこの眼で見たんだ!」
「そうおっしゃられても……ご覧のとおり、今回引っ張ってきたやつらの中に、女は『幸運の足音』の二人だけ。彼女たちでないとおっしゃるんなら、当方に心当たりはありませんな」
暗に見間違いの可能性を示唆するサバ。「幸運の足音」のメンバーたちも、そんな「女」は見なかった――と口を揃えて証言している。
「見間違えとかじゃないとおっしゃるんなら、当方とは無関係な誰か――という事になりますが……」
「同じ冒険者じゃないのか!? ギルドなら把握していて当然だろう!」
「そう言われてもね……ウチだって冒険者全員の所在や行動を、逐一把握しているわけじゃありません。そもそも、ローレンセンの冒険者じゃない可能性だってありますし、それを言えば冒険者ですらない可能性だってあるわけですよ」
――と、したり顔で反論されてはどうにもならない。
実のところ、ここに来ている冒険者の中には、ユーリの「加護」について薄々気付いている者も少なくない。しかし、彼らは一様に口を噤んでいた。
〝貴族の坊ん坊んだか何だか知らんが、こいつが馬鹿な真似をしでかさなきゃ、あんな怪我人も出なかったんだ〟――という反感が根底にあったし、それを抜きにしても、「赤い砂塵」をはじめとする冒険者の恩人にして、「無慈悲な壊し屋」の二つ名を持つ危険人物、かてて加えて女神アナテアの加護持ちのユーリを、態々敵に廻すような愚物はいなかったのである。それに何より、〝実際にそんな「女」を見た事が無い〟のは、正真正銘掛け値無しの真実なのだ。
ちなみに、重症を負った若旦那の付き人たちは、既に救出されて一命を取り留めている。
斯くしてこの一件は――中二気質の残る馬鹿旦那が消化不良気味の思いを残した事を別にすれば――一応は関係各位満足のいく結果に終わったのであった。




