第七十五章 雪原に吼える 1.魔の山へ飛べ
ローレンセンでの滞在も二十日近くになり、ユーリたちもそろそろ帰郷を考えねばならない時期となった四月の一日、狼狽えた様子でアドンの屋敷を訪れる者があった。
ある者にとっては凶報、そしてまた、ある者にとっては吉報となる報せを携えて。
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その朝、アドンに呼ばれたユーリが応接室を訪れると、
「クドルさん、それに……ギルドマスター? 貴方が何でここに?」
難しそうな顔付きでソファに腰を下ろしていたのは、「幸運の足音」リーダーのクドルと、冒険者ギルドのギルドマスター・ナバルであった。
「ユーリ君、少々面倒な事態が出来してね。本来なら君を巻き添えにするなど以ての外なんだが……今回はそうとばかり言えない事情があってね」
ナバルに負けず劣らず苦い顔をしたアドンが、チラリとナバルに視線を巡らせる。
「そっから先は俺の方から説明しよう。簡単に言うとだな……ユーリ、お前さんにゃ迷子を捜してほしい」
「……はい?」
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「……要するに、大物狩りに行くと言って山に入った貴族が、それっきり消息を絶っている。そこそこ有力な貴族の息子なんで、ギルドとしては身柄を確保したい。そのために、塩辛山で経験を積んだ僕の力を借りたい――と?」
姿を消して奇襲を仕掛けるティランボットという魔獣のせいで、ここローレンセンの物流が危機に曝されたのは昨年の事。その時ティランボットを討伐したのが――公式には――「幸運の足音」であり、それに協力したのがユーリであった。尤も、ギルマスを始めとする一部の冒険者は、討伐にはユーリの貢献が大きかったのだろうと察しを付けている。であれば、ユーリの協力を得ようと考えたのも不自然ではない――と、ユーリは納得しかけたのだが……事情はそう単純なものではないらしい。
「本来ならギルド員でもない、しかも未成年のお前さんを頼るなんざぁ筋違いだ。それは重々解っちゃいるんだが……」
「行方不明になった若者というのが、ここローレンセンの領主であるフランセル子爵とは、微妙な関係にある貴族の嫡男でね」
アドンの補足説明を聞いて、何となく事情が呑み込めたユーリ。確かにここローレンセンで領主同士の反目が発生するなど、商人としては到底看過できない事態だろう。
そう合点したユーリであったが、事情はもう少し複雑かつ微妙なものであるらしい。
憤懣遣る方無いといった様子でナバルが説明したところによると、凶報を聞いた父親が内々でフランセル子爵に協力を要請したのだという。
関係改善の好機と見て取ったフランセル子爵は、深く考えずにこれを快諾。冒険者ギルドに捜索の依頼を出したのだが……
「……始末の悪い事に、去年ティランボットを討伐した時の事ぁ、凡そのところをご領主に報告せざるを得なかった。何しろ、ここローレンセンの物流が停滞するかどうかって瀬戸際だったからな」
その時にティランボット討伐の功労者として「幸運の足音」の名を挙げ、それと同時にユーリの事も、〝ティランボット討伐に協力した目の良い子供がいる〟程度には伝えていたらしい。ユーリがダーレン男爵に目通りを果たした以上、いずれはフランセル子爵にもその存在を知られる事になる。その前にそれとなくユーリの事を耳に入れておこう――というアドンの計らいであり、無論ユーリもオーデル老人も、ついでにクドルも納得した上での事である。ただ……この時はそれが完全に裏目に出た。
ユーリがどれほどの重要人物かを知らされぬまま、ついでにユーリが自領の領民ではない上にダーレン男爵の後見を受けている身である事も知らぬまま、ただ単に〝ティランボットを見つけ出せるほどに目の良い子供〟としか理解していなかったフランセル子爵は、腹の立つ事に全くの思い付きから、捜索隊にユーリを加えるよう要請してきたのであった。
こんな事になると判っていれば、早めに話を通しておいたのに――と、アドンが歯噛みしても後の祭り。叶う事なら今直ぐにでも子爵に強談判したいところだが、生憎と事態は切迫している。
冒険者ギルドとしても、未成年の上に冒険者でもないユーリを巻き込むのは忸怩たる思いを禁じ得ないのだが、
「実は――お前さんのとこに尻を持ち込んだ理由はもう一つあってな」
「もう一つ?」




