第七十四章 触媒買います 5.御神酒問答
付与の触媒に用いる予定の薬酒を買い漁った翌朝、アドン邸は珍しい客を迎えていた。
その客とは他でもないナウド司祭であり、なぜか些か気の急いた様子で、ユーリに面会を申し込んでいるのだという。「ナウド」という名前の心当たりが直ぐに出てこなかったユーリであるが、〝教会の司祭様〟と言われた事で思い当たる。アナテア神様からのありがたい福音を取り次いでくれた司祭様ではなかったか。
そうと判ればユーリに否やは無く、直ぐさま面会に応じたのであったが……そこで思いがけない話を聞かされる事になった。
「――え? アナテア様の御神酒が?」
「そう。お恥ずかしい話なんだが、生憎と買い置きを切らしてしまってね。追加を買おうと思って酒屋に出向いたら……」
「ははぁ……事情を知らない僕が、触媒用に買い漁ってしまっていた――と」
昨日ユーリが買い漁った薬酒の中に、アナテア女神への御神酒として用いられているものがあったらしい。ユーリはそんな事は知らないから、普通に薬酒とだけ思って購入していた。
酒屋の主人も気付かなかったわけではないが、普段は用意周到なナウド司祭がうっかりと買い置きの補充を忘れているとは思わなかったらしく、また、来月には入荷があるから大丈夫だろうと判断していたらしい。
「勿論、そういう事でしたらお渡しします。どの銘柄でしょうか?」
「あぁ、申し訳無いね。えぇと――ヤドリギを漬け込んだ薬酒があったと思うんだけど」
「ヤドリギですか?」
そう言われれば、確かにあった。
ヤドリギ酒など――前世現世を通じて――見た事も聞いた事も無かったから、強く印象に残っている。……そう言えば、アナテア女神様は帰属の曖昧なものを好まれると聞いた。その例としてヤドリギが挙げられていなかったか? アナテア様の信者でありながら、見た時にそれと気付かなかったとは……このユーリ、一世一代の不覚……
「い、いや、ユーリ君がそこまで自分を責める必要は無いからね? 寧ろ司祭の職にありながら、御神酒の買い置きを忘れた私が罪深いのだから……」
ユーリを宥めるために自分を責めるという悪手を選んだナウド司祭、攻守代わって今度は司祭が段々と暗い表情になっていく。それを見て、慌てたように銷沈から復帰するユーリ。〝落ち込んだ人間を浮上させるのに慰めの言葉は要らない。その目の前で余計に落ち込んでみせるに限る〟――と、いうのは至言であったらしい。
世故に長けたナウド司祭の演技なのかどうかは措いといて、ともあれ落ち込みから這い上がってきたユーリ。司祭をその場に待たせたまま、酒屋から届けられた荷が置いてある場所に飛んで行く。目当ての酒を見つけると、それらを引っ掴んで応接室に立ち戻る。
「お待たせしました。多分これで全部だと思います。どうかお納め下さい」
「あぁ、いやいや。当面の一本だけあればいいからね? ユーリ君にも必要なのだろう?」
「あ、いえ、僕は――」
〝付与の触媒として使うだけですから〟――と、言いかけたところで気が付いた。
塩辛山の自宅には、アナテア女神を祀った神棚を設えたばかりではないか。アナテア様へのお供えというなら、向こうにだって必要だろう。ならば、せめて一本は村へ持ち帰らないと……
――と、思ったところで再度天啓が閃いた。
(……ヤドリギ酒っていうのは知らないけど、梅酒とかリンゴ酒とかレモン酒とかコーヒー酒とか……お母さん、色々作ってたよね?)
前世の母親が毎年のように果実酒を漬けて、それを父親が飲んでいた。子供の頃のユーリ――当時は有理――も、梅の実だけお相伴に与った事がある。詳細な分量までは憶えていないが、材料はホワイトリカーに果実と氷砂糖だけだった筈。氷砂糖はこちらでは見た事が無いが、甘味料としては木蜜があるし、少しすれば甜菜からの精糖も始める予定である。ホワイトリカーの代わりもカブ焼酎で何とかなりそうだ。
(……という事は……ヤドリギさえあれば作れるかな? ……けど、不味いものを差し上げたら失礼だし……見本用に使う事も考えると、最低一本は確保しておきたいな……)
そもそも、ヤドリギというのが通年生えているのかどうかも確信が無い。確か前世のヨーロッパでは、木々が葉を落とす冬にも黄金色を失わないヤドリギを「金枝」と呼んで有り難がった――とか何とか聞いた憶えがあるが、こちらのヤドリギがどうなのかとか、ヤドリギ酒を漬け込む時に作法とかがあるのかどうかも判らない。
(……一応確かめておいた方が良いか)
――という事で、ユーリは供え物となるヤドリギについて司祭からあれこれ訊き出して、代わりにヤドリギ酒を一本進上するのであった。
ちなみに、ユーリとしてはもっと献上するに吝かでなかったのだが、ナウド司祭の方が〝入手の便が無いユーリ君が持っておくべき〟――と、真っ当に主張した事で、ユーリが折れる事になったのである。




