第七十章 その日の晩餐 4.異世界大根下ろし事始め
丁々発止の駆け引き――註.ユーリ視点――を繰り広げた夕食の後、ユーリは独り厨房を訪れていた。料理長のマンドに頼まれたからである。どうせ何か料理の知恵を貸せというのであろうが、それで滞在中の食生活が向上するのなら、ユーリとしても異存は無い。渡したレシピをどうするかなど、それはユーリの知った事ではない。秘匿していて利益になるわけでもないし。
――というわけで、ユーリはマンドの許へとやって来てたのだが……
「ははぁ……揚げ物用のソースですか……」
「おぅ。揚げ物食って脂っぽくなった口ん中を、さっぱりさせるのに生野菜……てなぁ好いんだが、マヨネーズってやつも結構濃厚だろ? さっぱりさせるって意味じゃあもう一つでよ」
基本的にこの国では――と言うか、富裕層の間では――野菜は貧乏人の食べるものという考えが根強い。それでも、マヨネーズなる新奇なソースが一緒だと――ソースの味を引き立てる添え物扱いで――生野菜もそれなりに食べられると思われるが、
「マヨネーズを付けないただの野菜スティックだとなぁ。貧乏臭いと思われるかもしれんのよ」
ちなみに、アドン邸ではサラダも普通に食べているのだが、これはユーリの野菜が別格なのを承知しているからである。その事実を明らかにできない以上、客に生野菜がどう受け止められるか不安である――というのがマンドの懸念であった。
ちなみに、屋敷の主人たるアドン夫妻は、マヨネーズと併せて野菜の効果をアピールする事で、女性陣の若返りを説明する策を練っていたりするが……その事はまだマンドに伝わっていなかったようだ。
「――で、な。果物の汁を基本にしたソースを工夫してみたんだが……当たり外れってぇか、好き嫌いが分かれるみてぇでな」
料理人たちの間で試食してみたところ、評価が分かれたのだという。
それを聞いて〝なるほど〟――と得心するユーリ。前世の記憶でも、フライドチキンにレモンをかけるかどうかは意見が分かれた筈だ。こちらで同じ結果になっても不思議は無い。
(だったら……大根下ろしっぽいのを教えればいいかな?)
幸いにこの国にもカブの類――こちら風に言えばスズナ――はあるし、チーズをすり下ろすためのおろし金もある。現代日本の大根並みに辛みの強い品種もあったが、ダーレン男爵との約束もあるし、それについては教える気は無い。だが、カブをすり下ろすという技法を示唆してやれば、マンドなら自力でどうにかするだろう。
(本当は和風の大根下ろしかおろしポン酢を紹介したいけど……肝心の醤油の方がまだだもんなぁ……)
そろそろ光が見えつつあるとは言え、醤油の目処はまだ立っていない。寧ろ肉醤の開発の方が進んでおり、前世の醤油に迫るものができつつある。
とは言え、安定供給となるとまだ先の事になるし、ユーリもまだまだ教える気は無い。ゆえに、和風の大根下ろしもおろしポン酢も、レシピの公開は見送りとなる。
スズナの中にそういう使い方ができるものがある――というのはマンドも考えた事が無かったらしい。ただ、前回ユーリがスズナの類をしこたま買い込んだという話は報告を受けており、その中から見付けたのだろうとの察しは付く。入手先は北市場だったそうだから、自分が入手するのも難しくないだろう。
唸る事頻りのマンドを横目で見つつ、ユーリは心中密かに思っている事があった。その一つは、
(……大根下ろしソースと言えば和風ハンバーグなんだけど……まだ教えなくてもいいよね……?)
――という事であり、もう一つは、
(……そう言えば……大根って言ったら大根餅だよね。時期的にも丁度旬になるし……村へ帰ったら作ってみようかな……)
――という、二つながらに食い気の話であった。
本日21時頃、「ぼくたちのマヨヒガ」を更新する予定です。こちらも宜しければご笑覧下さい。




