第六章 蚊無しの話 2.蚊遣り
幸いにして除虫菊……こちら風に言えばパイリットは見つける事ができたが、その量は些か心細い。探索の範囲を広げていけば更に見つかるかもしれないが、見つからなかった場合の代替策も考えておく必要がある……。
「え~と……除虫菊って確か地中海地方の原産で、日本への渡来は明治頃だったよね。当然、それ以前には別の方法で虫除けをしていたわけだから……」
生前の……と言うか、転生前の記憶を振り絞って、蚊帳と蚊遣り――あるいは蚊燻し――の事を思い出した。蚊帳については子供の頃に博物館か何かで見たくらいだが、要は目の細かい布で作ったテントのようなものだ。構造的に複雑なものではないが……
「……肝心の布がまだできてないんだし……蚊帳に回せるほどの量が作れるかどうかも判らないから、こっちはパスだな……」
来年以降はどうか判らないが、今年の対策としては採用できない。
「とすると……現実には蚊遣り一択かぁ……」
確か、昔の蚊遣りあるいは蚊燻しには、ヨモギやスギの葉を使っていたとか読んだ憶えがある。
【田舎暮らし指南】師匠にお伺いを立てたところ、使えそうな植物は幾つか見当を付ける事ができた。要は盛大に煙が出れば良いのである。
「あ……竈の煙って、ひょっとしてそういう役目も兼ねてたのかな?」
そう思い当たったユーリであったが、既に竈は改造済みである。冬の暖房用に煙をオンドルに通すのは譲れないが、夏の煙は煙突でなく室内に流すべきだったか、と考え込む。
「いや……そうすると、寝ている間も竈に火を入れておかなきゃならない。薪が勿体無いし、火事の可能性だってあるよね……」
土魔法で造られたも同然の台所である。多少火の粉が飛んだくらいで、燃え移るようなものがあるとは思えないが……用心に越した事は無いだろう。
「それに……蚊に咬まれる機会が増えるのは、寧ろ野外での作業中だし……虫除けスプレーみたいなものも考えた方が良いのかなぁ……。いや、それよりも、携帯用の蚊取り線香みたいなのを作る方が実用的か……」
ここまで考えを進めてきたところで、「虫」というのが蚊に限らない事に気付く。
「……てか、媒介昆虫が蚊とは限らないんじゃ……ノミとかシラミとかツェツェバエとかサシガメとか……」
――それぞれ、ペスト・発疹チフス・睡眠病・シャガス病の媒介昆虫である。
「いや……感染症だけじゃない。軍隊アリみたいなのが襲って来て、一晩で骨だけにされる可能性だって……」
悪い方向に妄想が暴走している。
あわやパニックに陥りそうになったが、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
「……そこまで危険な生き物がいるかどうかは別として、媒介生物を増やさないか遠ざけるような対策は必要だよね」
マラリアや日本脳炎への対策も、媒介昆虫である蚊の撲滅から始まった筈だ。ボウフラが湧きそうな水溜まりなどが無いかどうか、チェックをした方が良いだろう。
それに加えて……
「それと……感染した場合の治療の事も考えておいた方が良いな。……マラリアの特効薬はキニーネだけど……キナの木ってあるかな?」
地球では南米の熱帯に自生しているとか聞いた憶えがある。どうやらヨーロッパに似た気候らしいこの国に生えているかは微妙であるが……いや、それを言うなら、ヨーロッパに似た気候のこの国でマラリアが発生するかどうかが疑問なのだが。
「平清盛の死因もマラリアだって説があるくらいだし……万一の事態に備えるのは当然だよね」
――というわけで、ユーリの関心は薬草の方に向いたのであった。