第六章 蚊無しの話 1.除虫菊
五月晴れのある日、有用な動植物は無いかと山野を見廻っていたユーリの目に白い花が映った。野草には珍しくやや大きめの花に興味を引かれて【鑑定】したユーリであったが、現れた鑑定結果に首を捻る事になった
《パイリット:日当たりの好い草地に生える一年草。初夏にトウジョウカジョを着けるが、周縁部のゼツジョウカの花弁は白く、中央のカンジョウカは黄色。花の部分にサッチュウセイブンを含むので、虫除けに効果がある。異世界ニホンでジョチュウギクといわれるものにほぼ相当》
鑑定結果の所々……トウジョウカジョ、ゼツジョウカ、カンジョウカ、サッチュウセイブンなどの語がカタカナの灰色表示になっている。そう言えば、前にもこういう事があった。単に何かの不具合だろうと思っていたのだが、何か理由があるのかと気になって調べてみたところ、どうやらこちらの世界にはまだ存在しない概念のため、日本での単語をそのまま使用している箇所らしい。何とかそこまでは判ったものの……どういう日本語なのかが判らない。【田舎暮らし指南】の説明と首っ引きで調べた結果、次のように翻訳された。
《パイリット:日当たりの好い草地に生える一年草。初夏に「頭状花序」を着けるが、周縁部の「舌状花」の花弁は白く、中央の「管状花」は黄色。花の部分に殺虫成分を含むので、虫除けに効果がある。異世界日本で除虫菊といわれるものにほぼ相当》
この中で意味が解らないのは「頭状花序」「舌状花」「管状花」であるが、【田舎暮らし指南】の説明と、日本にいた頃の古い記憶を引っ張り出した結果……
(……そういえば、キク科の花は、実は小さな花がたくさん集まったものだって聞いたような気がするな。周縁部の小さな花が一枚の花弁をつけ、中央の小花は花弁をつけないんだったっけ。普通にキクの花片と呼んでいるのは、実は周縁部の小花――これが舌状花――の花弁で、中央にある黄色い部分は、花弁をつけない管状花の集まりって事か……)
一般人なら「白い花で真ん中が黄色」というだけで済ませるところを、態々学術用語を使って正確に、ただし解りにくく説明したらしい。【鑑定】も善し悪しだな――と、ノンビリした感想を抱いていたユーリであったが、寸刻の後に硬直する事になる。
〝……花の部分に殺虫成分を含むので、虫除けに効果がある……〟
――虫除け。
言い換えると、虫除けを使わないと、虫が寄って来るという事である。
――では、どんな虫が?
日本と同じように考えると、蚊などの吸血昆虫であろう……マラリアや日本脳炎、デング熱などの病気を媒介する……
(……冗談じゃない……)
ユーリはこちらの世界に来たばかりである。言い換えると、こちらの世界の病気に対する抵抗性は甚だ心許無い。そんな状況で、危なそうな感染症を媒介する蚊に襲われるなど……
「冗談じゃない! 不許可だ!」
感染症のリスクを考えれば、到底容認できる話ではない。況してここは廃村。万一の時に助けてくれる医者も隣人もいないのである。一刻も早く対策を練らなくてはならない。
「何か……スローライフを目指していたのに……全然スローじゃないんだけど……」
怨みがましくぼやいてみるが、これは要するに、ユーリが人気の無い場所を指定したための弊害である。神を恨むのは筋違いというものだ。
それに気付いたユーリは、今度は自分の浅慮を呪いつつ、対策に頭を悩ませていた。
「……除虫菊って事は、つまり蚊取り線香か。【田舎暮らし指南】に作り方は……あった!!」
幸いにして、お役立ちスキルの【田舎暮らし指南】がまたしても良い仕事をしてくれたようだ。簡単ではあるが、蚊取り線香の製造法が載っている。
「これなら夏には間に合……げっっっ!? 摘んだ花は半年ほど寝かせる!? 間に合わないじゃないか!」
頭を抱えたユーリであったが、背に腹は代えられないと、寝かす前の原料から作る事を決める。来年使う分については、きちんと寝かせた原料を使う事にしよう。
「いや……て言うか……今年の分だけでも間に合うのか?」
あちこちにそれらしい花が咲いているとはいえ、どこぞの島の畑のように満開と言うにはほど遠い。
「……可能な限り探すのと……幾つかは村に持ち帰って栽培も考えよう。それと……周囲の雑草を刈っておくか。できたら肥料も与えたいところだけど……」
残念ながら肥料までは手が届いていない。それに、今の時点で迂闊に肥料を与えると、栄養状態が良くなった除虫菊に害虫が群がる危険性もある。
「とりあえずは草刈りと……倒れないように支柱でも立てておくか……」