幕 間 困惑の魔術師
その日もユーリによる魔製石器の作成指導――という名のスパルタ教育――を受けていたファレンは、休憩中にユーリから素朴な質問を受ける事になった。
「杖……ですか?」
「えぇ。ファレンさん、作業中に杖を使っていませんよね? 何か理由があるのかなと思いまして」
魔術師の持つ杖は、魔力の発動を制御する補助具である。魔法の威力や収束率、発動速度などを上げる効果があるが、それは一言で云うと魔法の効果を高めるという一点に尽きる。そしてその反面で、微少な魔力を精密に操作するという作業には不要、もしくは不向きなのであった。
「集中力や持続力を高める効果もありますから、全く役立たずというわけではないんですけどね」
「必ずしも必要なものではないという事ですか」
勉強になりましたと感心するユーリを見て、逆にファレンの方は気になる事ができた。この少年は「杖」の事をまるで知らないようだが……ひょっとして……
「え? 僕ですか? ……いやぁ……恥ずかしながら、杖が必需品だっていうのを、ついこの間知ったばかりでして……」
含羞むように答えるユーリであったが……それはつまり、杖を使う事無しに、数々の魔獣を討伐してきたという事に他ならない。この屋敷の主人によれば、グリードウルフの群れを軽くあしらったのを実見した他、スラストボアやギャンビットグリズリーを狩っているのは確実、恐らくはティランボットなる魔獣の討伐にも関わっているだろうとの事だった。何れもC級以上、下手をするとB級以上になろうかという魔獣であって、討伐するにはC級以上のパーティでかからねばならないと聞いている。
それを独りで、しかも杖による補強も無しに、易々とやってのけた?
ユーリが規格外――と言うか出鱈目――なのは重々承知していたが、こうまでとなるとファレンも知りたくなろうというもので……
「え? 魔術の鍛錬法ですか?」
・・・・・・・・
「……それで……その少年は何と答えたのだ?」
少し腰が引けた様子で、それでも気になるという表情を隠さずに聞き返すマガム教授に、ファレンは苦笑を隠さない。あの少年が言った内容を伝えたら、我が師はどう反応するだろうか……
「……場所が場所なので、攻撃系の魔法は平素から鍛錬を欠かさなかったそうです。しかしそれ以外に特別な訓練はしておらず、普段から使っているだけであったとか」
「ふむ……普段から使っているだけか……」
ファレンの答えを聞いて当てが外れたような、すんなり納得できないような様子のマガム教授。確かに、平素から魔法を使う事で魔力の量や制御力が上がる事は、能く知られている。彼の少年がそれを実践しているとしても、別に不思議は無いのだが……
「えぇ、普段から。……襲いかかって来る魔獣を狩るのに、その足下に土魔法で落とし穴を掘ったり……獲物の血抜きを水魔法でやったりしているそうです」
――感情の籠もらない平板な声で、ファレンが説明を終えた。
疾駆する魔獣の足下に土魔法で落とし穴を掘るという時点でドン引きしていたマガム教授であったが、それに続く水魔法の使い方には硬直させられる事になった……目と口をパカンと開いたまま。
……今、何と言った? ……水魔法で血抜き?
「馬鹿な……混入物や懸濁物が含まれた水を操るのには、莫大な魔力が必要な筈だ……」
――ユーリが最初にマッダーボアの血抜きをした時には、魔力量にして37を消費した。ちなみに、この世界の魔術師のそれは平均で50程度である。
「えぇ。ですが、彼はそれを日常的にやっていたようです」
「日常的……」
――少し説明を補足しておこう。
この世界の水魔法は、土魔法とは対極的に、何かを含んだ水を操るのには向いていない。と言うより、余計なものが混じった水から、水分だけを取り出して操るのに特化している。具体的に言えば、泥や水草や魚が混じった池から、水だけを取り出す事ができる。そしてその特性故に、飲用に適した水を入手するのに向いているのであった。
その反面で、何かが混入した液体をそのまま操るのには徹底して向いていない。塩水のように成分として溶かし込んだものならまだしも、混入や懸濁したものがあれば、それらを含めて操る事は――不可能とは言えないにしても――極めて困難であるというのが魔術師間の常識であった。
なのに……血球やら何やらを含んだ血液を、そのまま操って体外に取り出した? 血抜きと言うからにはそうとしか考えられないが……
「若い頃に一度試してみた事はあるが、あれは非効率なんてものではない。馬鹿々々しくなって早々に止めたのだが……その少年は諦めなかったというのか」
「自分も不審に思って問い質してみたのですが、どうも……その……巨大な魔獣を逆さに吊すには、膂力以前に背丈の方が足りなかったとかで……」
「むぅ……」
何しろ転生当時のユーリは七歳児。何をどうやっても魔獣を逆さ吊りにするなんて芸当は不可能であり、非効率でも何でも水魔法に頼るしか方法が無かったのである。そういう説明を聞けば、ユーリか置かれた状況の苛酷さと、そこで生き抜いてきた事で培われた実力というものが理解できる。
「アドン氏の屋敷にいたナガラというエルフの男にも聞いてみましたが、彼らの基準でもやはり異常な事のようです。頭を抱えていましたから」
「そうだろうな……」
「一応帰宅してから、水魔法でミルクやスープを操れるかどうか試してみたのですが……」
「どうだった?」
「……大変でした。スープの具は全く動かせませんし、ミルクに至っては論外でした」
「そうだろうな……あれは莫大な魔力と集中力を必要とする。それこそ、コップ一杯のミルクを操ろうとするだけでも」
「はい……試行錯誤の末に、どうにか動かす事はできましたが……先生のおっしゃるとおりコップ一杯が限界でした」
「魔獣一頭分の血液でそれをやっていたわけか……文字どおり生活がかかっているとは言え……」
「えぇ、苛酷と言うより残酷な境遇です。そんな場所で生き抜くというのは……普段からの魔法の使用と言っても、言葉の重みが我々とは違います」
「彼にとっての『普段』は、我々にとっての『特訓』を凌駕しているのだろうな……」




