第五十八章 ローゼッド狂躁曲 3.木工所再訪(その2)
魔導師の杖と聞いて、ユーリが思い浮かべたのはファレンの事である。今後魔製石器の製作に協力してもらう事でもあるし、ここは杖の一本や二本渡しておくべきではないのか?
ユーリの問いかけを受けて、アドンもしばらく考える事になった。ファレンはともかくとして、マガム教授には渡しておいた方が良いだろうか……? しばし黙考熟慮の上でアドンが口にした結論は……
「ファレン君やマガム教授には、必要と判断した時点で私が話そう。ユーリ君は気にしなくていいよ。それと……エルフたちには黙っておいた方が良いと思う。今以上の大事になるのは避けたいからね」
「あ……そうでしたね」
エルフの事はうっかりと失念していたが、確かに漏らさない方が良いような気がする。魔製石器だけでもあの食い付きっぷりなのだ。ここで下手にローゼッドの杖の事まで明かすと、どんな騒ぎになるか知れたものではない。
「あ、それじゃあ僕も杖を作らない方が良いでしょうか?」
「ユーリ君はそもそも要らんだろう?」
「まぁ……そうですね」
現実問題として火力が不足した覚えは無いし、下手に杖など持って魔術師扱いされるのは下策でもある。
「だが……まぁ、短剣か何かの鞘をローゼッドで作るとか……それくらいはやっておいた方が良いかもしれんな」
「なるほど……」
話が鞘の事に飛んだところで、ユーリはここへ来た理由を思い出した。木工用の塗料の事を聞いておかねばならない。エムスに聞いたところ、取引のある店を紹介されたので、後日出向く事にした。素人細工で家具などを作る者も時折いるため、小売りも普通にやっていると聞いて少し安心する。
そんなユーリを尻目に、アドンとエムスは根付の相談に熱中していた。
この国では、腰に何かを提げるという習慣自体が一般的ではない。しかし、邪魔にならない程度の小物なら、手に持たずに腰に提げておいた方が面倒が無い場合もある。何よりこれはアクセサリーだ。それも態とらしく見せつけるものではなく、さり気無く身に付ける事で華美になるのを避ける事ができる。宝石や貴石と違って木製だから、割れたり欠けたりする事も少ない。ローゼッドと言っても端材だから、原材料費はそれほど高価にはならないだろう。寧ろ、加工の手間と技術が問われるものになる。
「ローゼッドはちぃと硬ぇが、もう少し軟らかい木なら細工もし易い。案外、他の木で作ったものも受け容れられるかもな」
「だとしたら庶民の間にも広まるかもしれんな。材料は所詮端材だし、特別な道具が必要になるわけでもない。職人に幾つか試作品を作らせてみよう」
「だな。腰に提げる他にも、バッグなんかに飾りとして付けてもいいって話だったしな」
「問題はモチーフだが……これはユーリ君に協力してもらえばいいだろう」
いつの間にか計画への参加が決定事項となっている事に、些か割り切れないものを感じるユーリ。まぁ、それぐらいは大した手間ではない。ローレンセン滞在の費用と考えれば安いものだろう。
それよりもユーリには、地雷を踏むかもと解ってはいたが、一つだけ聞いておきたい事があった。
「……アドンさん、さっき訊き忘れたんですけど、ローゼッドのパイプって無いんですか?」
訊かれたアドンはポカンとした表情である。ユーリの言葉の意味が解っていないようだ。これはエムスも同じである。
「……パイプを……かね? ……いや……私の知る限り、パイプと言えば……まぁ、銀か……あとは陶器ぐらいだが……」
この国にも喫煙の習慣はあるが、紙巻き煙草はまだ登場していない。ユーリもそこには注意していたのだが、パイプの材質にまでは注意が及ばなかった。
「あれ? ブライヤのパイプって無いんですか? 海泡石とかは?」
「ブライヤ? 海泡石?」
前世の父親がパイプ党であったため、ユーリの頭の中ではパイプと言えばブライヤだと直結している。この国にヒースが生えているかどうかは知らないが、木製のパイプが無いわけはあるまい。ローゼッドの端材はパイプには向かないのだろうか? そう安直に考えての質問であったが、ブライヤどころか木製のパイプというもの自体が知られていなかったようだ。ちなみに、この国では庶民はクレーパイプを、少し裕福なものは銀製のパイプを使っている。真鍮製のパイプを用いる者もいるが、数としては多くない。
そんなところへ新たなパイプ材料の話である。アドンが食い付かないわけがなかったし、木材の新たな可能性を聞かされたエムスもそれは同じであった。
「ローゼッドのパイプかぁ……見せびらかしには良いかもな」
「そこらの木とは違うからな。味わいについては確かめてみる必要があるが……」
「これも根付と一緒に作らせてみる。出来上がりによっちゃあ、ローゼッドを注文したお貴族様に話を持ち掛けてもいいしな」
ブライヤと海泡石については、前者はエムスが、後者はアドンが、それぞれ密かに探してみようという事になった。
どうやら話が一段落したと見たユーリが、エムスに怖ず怖ずと頼み込んだのはその後である。おが屑を貰えないだろうかと。
「おが屑? そりゃあ……焚き付けにしかならねぇから幾らでも持ってって構わねぇが……何に使うんだ?」
パーティクルボードの材料としておが屑に目を付けたユーリであったが、そんな事を馬鹿正直に話すわけにもいかない。
「いえ、僕のところでも焚き付けに使うんですよ。火口には持って来いですし、燃料としてもそう悪くありませんしね。炭にする事もできるそうですけど、作り方までは知りませんし。……周りを木に囲まれているようなもんですけど、これで中々燃料を得るのは大変なんですよ。最初の頃は心材を薪にしようとしていましたから……」
――と、そこまで話したところで、エムスとアドンの顔色が劇的に悪くなった。貴重な心材が焚き付けにされるところだったと知って慌てたエムスが、幾らでもいいから持って行けと口早に許可を出す。それを聞いたユーリは嬉々としておが屑を布袋に詰め始めたのだが……
「……そんな袋を能く持ってたな?」
「色々と便利なんで、ローレンセンへ来る度に纏め買いしてるんですよ。買ったものや採ったものを仕舞い込んだり……あぁ、土嚢にも使えますね」
「「土嚢?」」
不思議そうな二人に、土嚢の使い方を説明していくユーリ。結果として……
「……エムス、この件については当分黙っていてもらえるか?」
「おぅ……そりゃ構わねぇが……どうするつもりだ?」
「当面どうこうという当てがあるわけじゃない。が、これは軽々に触れて廻る話でもないような気がする」
ユーリとしても異存は無かった。




