第五十八章 ローゼッド狂躁曲 2.木工所再訪(その1)
翌日、ファレンへの石器造りの指導を済ませたユーリがアドンと訪れた時、エムスは一人の男性を相手に商談中のようであった。アドンと一緒に板材などを見ながら待っていたユーリの耳に、魔力だの杖だのといった単語が切れ切れに聞こえてくる。
「……どうやら客人は魔術師のようだね。杖の商談中とみえる」
「杖……ですか?」
「あぁ、魔術師の杖というやつだ。魔法発動の補助具だね」
――というアドンの言葉に、内心で呆気にとられるユーリ。
そう言えば……映画や小説では、魔術師は杖を持っているのがテンプレではなかったか。魔法に杖が必要だなどと考えもしなかったが……少しでも魔法を強化できるのなら、自分も杖を使うべきだろうか。だが、塩辛山で活動する事を考えると、長い杖など邪魔になりはしないか? いや……「幸運の足音」の魔術師カトラが持っていたのは、もっと短い杖だったような気がする……
「彼女が持っていたのは短杖というやつだね。魔法の収束力はやや劣るが、取り回しが好いので冒険者などに好まれた筈だ。あの魔術師殿が交渉しているのは、それより長い杖のようだが」
見ればエムスは数本の杖らしきものを取り出して客に見せている。その色合いにユーリとアドンは思い当たるものがあった。
「ふむ……やはりローゼッドの心材を加工したものか。前回の入荷の時は家具を扱う商人たちが買い占めていったと話していたから、今度は魔術師用の分も確保しておいたのだろう」
「あの心材って、そういう風にも使えるんですね」
「無論だとも。樹種によっては枝などをそのまま杖に加工する事も多い。ローゼッドの場合、枝だとあまり杖には向かないそうだが、心材の魔法適性は尋常ではないとも聞いた。家具職人と取り合いになるため、杖に加工される事は滅多に無いそうだがね」
「滅多にって……あそこにあるだけで十本近いんですけど……」
「……エムスのやつめ、この機会に作れるだけ作っておこうという魂胆だな」
あの杖はそのままでは魔法具としては使えないらしい。魔道具を扱う職人が更に色々と加工する必要があるのだが、あの魔術師のように原木を持ち込んで加工してもらう場合も多いようだ。
やがて話が纏まったらしく、若い男性は結構な数の金貨をエムスに支払って一本の杖を引き取ると、杖を大事そうに小脇に抱えていそいそと木工所を出て行った。
「今のお客は魔術師殿かね?」
「あぁ、お蔭さんで上客を捕まえる事ができた。あの客がローゼッドを職人のところへ持ち込めば、好い宣伝になってくれるだろうよ」
「……それだけで済むならよいのだがな……」
前回目立ったばかりに貴族から無理難題を吹っ掛けられた事を忘れたのか――と言いたげな目でエムスを見つめるアドン。言われたエムスも些か不安になったらしく身動ぎするが、既に賽は投げられた後である。
「それにしてもあのローゼッドを、能く杖などに加工できたな」
「鋸を七本ばかし使い潰しちまったがな。まぁ、それだけの甲斐はあった……と、思うんだが……」
「甲斐があったと言うか――あり過ぎた場合が問題だろう」
心材から切り出した杖は残り十本足らず。対して、ここローレンセンに滞在している魔術師の数は……
「買えるだけの資力を持つ者に限っても、十本足らずでは収まるまい。他の町まで評判が届いた時の事を考えると……」
「……拙い……か?」
「その辺りの判断は、正直言って私にはつかんよ。だが、限られた数の心材を奪い合う人数が、増えた事だけは確かだな」
素っ気無いアドンの台詞を聞くごとに、段々と顔色が悪くなっていくエムス。自分が何をやったのかを、遅蒔きながら正確に理解したらしい。
「ユー……」
「言っておくが、塩辛山とて心材の数は無限ではないぞ? ユーリ君が供給できる数にしても限りがある。その辺りをきちんと弁えて、安請け合いをせんように注意しておかんと、退っ引きならん羽目に陥っても知らんぞ?」
工房主のエムスは、本質的には職人であって商人ではない。稀少材が手に入った事で浮かれていたようだが、アドンに太い釘を刺されて少しは頭が冷えたらしい。
「……そうだな。考え無しに宣伝するのは控えておこう。取引は現品限り。次回の入手は未定という事にしておくが……実際のところはどうなんだ?」
実際のところは、ユーリの【収納】に収まっている分だけでも、丸太のような心材が十本以上はある。ただ、今のようなペースで売り捌いていたら、遠からず入手は不可能になりそうだ。
「十本か……調子に乗って売り捌いてたら、あっという間に底をついちまいそうだな」
「……あっという間に――ですか?」
「今はまだ序の口でしかない。今のまま評判になったら、国外からも注文が殺到するのは間違い無い。そうなったら、十本なんてあっという間だよ」
「だな。……派手に売るのはやめにして、細々と長く売っていった方が無難か」
アドンの忠告を受けて考え込むエムスであった。




