第五十五章 魔法使いの弟子 2.作業場にて(その2)
この少年は今、何と言った? 土を磨り潰す? どういう事かと訊き直そうとしたファレンであったが、それより先にユーリが答を実演してくれた。魔力だけを使って、土の粒子を更に細かい微粉末に変えていく事で。
「……なるほど……」
納得したファレンが同じ事をしようとして……
「……これは……中々……」
――やがて挫折を味わう事になった。
最初のうちは塊になった土を砕くだけで、これはまぁ何とかできた。しかし、それに続く工程が難物も難物、大難物であったのだ。
ユーリは何の苦労も無く土の粒子を粉砕していくが、そもそも土の粒のように小さなものを対象として魔法を発動するなど、普通ならそんな面倒な真似はしない――と言うか、そんな必要自体が無い。一般的な魔術師なら、大きなものを動かすのに血道を上げる事はあっても、極小なターゲットに魔力を集中する事など無い。石臼で磨り潰すような感じでと言われても、そもそもそこまで肌理の細かい魔力面を形成した事は無い。しかも、少しでも力加減を間違えると……
「あっ!」
「あぁ、ひっくり返しちゃいましたか。大丈夫、中身はただの土ですから」
最初からやり直せばいいんですよと言ってくれるが、あれを一からやり直すと考えただけでもうんざりする。ならば零れた土を拾えばいいではないかと言われそうだが、そうは問屋が卸さない。肝心要の微粉末は、零れた弾みで辺りに散ってしまっている。集める事などできはしない。
「……ユーリ君……これは……せめて磨り潰す工程だけでも、石臼か何かでやるというのは……」
「そうすると、出来上がった時の魔力の馴染み具合が違ってきちゃうんですよ」
ただただ土を細かく砕き、練るといった工程を愚直なまでに繰り返す。しかもその作業は全て魔法だけでやる必要があるのだと言う。
ある程度磨り潰したら水を――これも水魔法で出した水の方が良い――加えて静かに掻き混ぜ、浮かんできたゴミを捨てる。こうして土以外の不純物を除くのだそうだ。不純物が混じっていたり、土の粒子が均質に微細になっていないと、出来上がった時に脆い部分が生じるらしい。そう言われてしまえば、この作業で手を抜く事はできないと解る。解るのだが……悪戦苦闘している傍らで、ユーリは手慣れた様子でさっさと作業を続けていく。地味に凹まされる光景である。
「大丈夫、七歳の僕にもできた事ですから」
ユーリとしては激励のつもりなのだろうが、結果的には逃げ場を潰して追い詰める事にしかなっていない。本人に自覚が無いのが凶悪である。
「あまり顔を近付けると、微粉末を吸い込む事になります。健康に良くないので、風魔法か何かで顔の周りをガードして……」
――と言いかけたユーリであったが、複数魔術を併行して且つ持続的に発動するなどという難問を押し付けられそうになったファレンの目が光を失うのを見て取って――
「……慣れないうちはマスク……布か何かで鼻と口を覆っておくと良いですよ」
「そうさせてもらうよ……」
斯くの如く、自分の事を底辺と信じて疑わないユーリは、自覚の無いままファレンに対してスパルタ教育を施す事になるのであった。
「磨り潰しはひとまず措いて、先に成形のやり方をお教えしますね」
慣れない作業で時間がかかっていると見て取ったユーリが、土作りの作業を一旦中断させて、成形の実習に入る。材料はさっきユーリが――四苦八苦しているファレンを尻目に――手早く作った土である。それだけでも充分凹む理由になるのだが、続く成形の作業もまた結構な難題であった。
柔らかな泥でナイフの形――ちゃんと刃の付いたもの――を作り上げる事を考えてみるがいい。しかもそれを手ではなく、魔力だけを使って成形しろと言うのだ。手作業にすら慣れていない魔術師には酷な要求であった。
「大丈夫ですよ。最初のうちは戸惑うかもしれませんけど、すぐに慣れます。五十本も造っていれば、自然と良し悪しは判るようになりますから、出来の良いものを使う時に魔力を流していくと、やがて『魔製石器』と表示されるようになります」
この少年は簡単に言ってくれるが、その領域に到達するまでにどれだけの時間がかかるというのか。ファレンは自分がどこかで問題を甘く見ていた事を思い知り、過去の自分を呪ったが、今更詮無い事である。
(……それにしても……土魔法で作るものは間に合わせの印象が強かったが……)
考えてみれば、ここまで丁寧に材料を調製した者は過去にいなかったし、ここまで執拗に魔力を通した者もいなかった。
(だが……この少年の事情を聞いてみれば納得もできる。文字通りの生命線なわけだからな。我々とは覚悟の度合いが違ったのだろう。毎日こんな事をやっていれば、土魔法が鍛えられるのも当然か……)
ここまでのアレコレで、既にファレンはユーリを侮る気持ちなど一片たりとも残していない。自分たちとは違う方向に特化しているようだが、この少年は紛れも無く土魔法の上級者だ。その力量に興味が湧いて、一瞬だけユーリを【鑑定】しようかという気が起きたが……やめておいた。子供とは言え、一時的とは言え、仮にも指導を受ける身としてそれは失礼だろうと思ったのと……鑑定結果を見たら立ち直れなくなるような、嫌な予感がしたのである。実際、ユーリが偽装している数値ですらこの世界にあっては異常なのだから、ファレンの判断はお互いにとって幸せであった。
ともあれファレンはユーリの土魔法を、魔製石器の作製で鍛えられたのだと誤解していた。実際は違うのだが、この誤解はそれなりに説得力を持っていた事もあって、後日マガム教授に報告する際にもそのまま伝えられる事になる。
こうしてユーリの知らぬところで、ファレンはユーリの正体の隠蔽に寄与する事になったのである。