第五十三章 珍木の歓待 3.ローゼッド小物事始(その2)
異世界人であるユーリは知らなかったが、この世界では小物入れを腰に提げるというのがそもそも珍しい。貴族などは荷物は供の者に持たせるし、庶民であれば一切を合切袋にぶっ込むというのが普通である。態々腰に提げるとはどういう事か?
ちなみにこちらの世界では、衣服に備え付けの「ポケット」というものはまだ存在していない。同じ語源である「ポシェット」の利用が普通である。更に言えば、帯に何かを提げるなら、鉤のようなもので引っかける方が手っ取り早い。根付のように滑り止めそのものをアクセサリーにするという発想は生まれなかったようだ。
そんな事情はともかくとして、ユーリの答えは――
「えぇ。ですから、見せびらかしたい小物の場合になりますね」
「「ふむ……」」
なるほど。そういう事なら解らないでもない。ただ、そもそも見せびらかしたいような小物など……
「持ってるような連中じゃねぇからなぁ……」
アドンは何やら考え込んでいる風であったが、エムスの方はばっさりとユーリの提案を切って捨てた。
「だったら、あと思い付くのは名刺とかですかね」
「「名刺?」」
この世界にも名刺というものは存在している。ただしそれは、前世日本で見られたような紙製の消耗品ではなく、配布を前提としない貴金属の板のようなものであった。一種の身分証明書を兼ねていたのである。
「面白い提案ではあるが……」
「あの連中が名刺を使うかどうかってなぁ措いといてもだ、それだけの大きさの板となると、そう簡単にゃ……」
「いえ、板である必要は無いんですよ」
揃って首を傾げたアドンとエムスにユーリが告げる。丈夫な紙の裏表に、ローゼッドの鉋屑を貼ってはどうなのかと。ちなみにこのアイデアは、以前にパーティクルボードや厚紙を作った時に思い出した、前世の知識が元になっている。
ユーリの提案に今度こそ驚愕した様子の二人であったが、やがて再起動したエムスがそこらの鉋屑を拾い上げると……
「……糊の選別と貼り付けが問題になりそうだが……悪くはねぇ……いや、それよりも……」
やがて顔を上げたエムスはギラついた目でユーリを見据えると、
「……おい、これって、紙じゃなくても……板にだって使えるよな……?」
伊達に工房主をやっているわけではないらしいエムス、自力で化粧張りのアイデアに辿り着いたようだ。
「勿論、普通の板でもできますけど、下手をすると詐欺騒ぎになる事はお解りですよね? エムスさんにその気が無くても、転売された場合にどうなるかは判りませんから」
ユーリの指摘にう~んと唸って考え込むエムス。アドンも難しい視線を向けている。アイデアとしては素晴らしいが、同時に厄介事の火種にもなる事に気付いたようだ。
「あぁ、それと……先程仰っていた使いどころですけど、表札なんかはどうでしょうかね?」
「「表札?」」
「えぇ。自分の家の戸口に貼っておくんですよ」
「ローゼッドの名刺を戸口にかい?」
「掻っ払われるんじゃねぇか?」
「でかでかと他人の名前が書かれているのにですか?」
言われてみればそのとおりである。盗んだところでどうにもならない。精々嫌がらせになるくらいだろうが……
「鉋屑を貼った紙なんざ、いくらローゼッドつっても大した額にゃならんからな。買い直して終わりだろうぜ」
「……だな。嫌がらせにもならんだろう」
アドンとエムスの二人は、ローゼッドの鉋屑――ユーリとしては経木と呼んでほしいところだが、由来など聞かれたら面倒になるので黙っている――を活用した表札の詳細をあれこれと論じ始めた。
(あ……これって長引くかな……?)
発案者でありながら一人取り残された形のユーリは、少し後悔するのであった。