第五十三章 珍木の歓待 1.待たれていた入荷
にこやかに迫るアドンに投げ独楽の仔細を説明――エトは素早く離脱した――した日の午後、ユーリはアドンに連れられてエムスの工房へと向かっていた。
「急かしてしまってすまないね、ユーリ君。だが、急いだ方が良い事情があってね」
「事情……ですか?」
この文脈で事情と言うからには、それはユーリに関わる事、より正確に言えばユーリが卸したローゼッドの心材に関わる事だろう。そのくらいはユーリにも見当が付くが、ただ……急かされる事情というのが判らない。ローゼッドの心材は、それは確かに稀少なものかもしれないが、一刻を争うような事態を引き起こすとは考えにくい。
「詳しい事はエムスが説明するだろうが、手間を省くために私の方から簡単に説明しておこう」
そう言ってアドンが説明したのは、ある意味で脱力するような話であった。
「……つまり……去年卸した心材の全てに買い手が付いた後で、噂を聞きつけたお貴族様から注文があったと……」
「そう。しかもその注文というのが……」
「今年の夏に嫁入りする娘への贈り物に使いたい、ですか……」
「ローゼッドは木目が美しい事で知られるが、同時に材が緻密で堅く、細工に時間がかかる事でも知られている。一刻も早く手に入れたいというのが、先方様の事情なわけだ」
「で、心材を強請られた親方が苦し紛れに、春になれば追加で入荷すると答えたものだから……」
「先方はそれを当てにして、他の伝手には当たっていないとの事でね。エムスのやつも依頼人の方も、ジリジリしながら入荷を待っているわけだ」
当人たちには深刻なのだろうが、端から見たら他愛の無いと言うか、子供じみた話である。
「……思ったより早くお迎えが来たのは、そういった事情でしたか」
「うむ。何しろ場所が場所だけに、雪が融けないと動きがとれんとあってね。ジリジリしながら到着を待っていたらしい。そんな事情だから、ユーリ君がローレンセンに来た以上は一刻も早く行ってやらんと……」
「アドンさんに対する風当たりが強くなる、と」
「そういう事だ」
・・・・・・・・
そういう事情で訪れた木工所では、工房主のエムスがそれこそ涙を流さんばかりにして、ユーリから心材を受け取っていた。
「いや……今回は本っっっ気で助かった。何しろ向こうさんの督促が、日に日に厳しくなっててなぁ……」
「まぁ、無理もあるまい。先方にしても、材は手に入ったが細工が間に合わなかった――などという不首尾は避けたいだろうからな。娘さんの嫁入りにケチが付きかねん」
「そりゃ解っちゃいるが……正直、この話を受けるのは気が進まなかったんだが……何しろあちらが大層な剣幕でな……」
げっそりとしたエムスが言うところでは、ローゼッドの心材があれほど大量に入荷するなど、ここ五十年ほど無かった事なのだという。ユーリが持ち込んだ心材は一本――正確にはその三分の一――だけだが、何しろ元が巨木なので、材としての量はそこそこあったのである。と言うか、普通の丸太並の太さと長さの心材など、滅多に出回らないのだという。
「今回新たに入荷した事で、先に買った者たちから苦情が出たりはせんか?」
「その辺に抜かりは無ぇ。二回目の入荷予定があるって事は先刻話してある。……詳細は未定だとは言ったけどな」
叢中の二羽より掌中の一羽とばかりに、仲買人たちが競って買っていったのだという。
「少々数が出廻ったって、他所の領地へ持って行けば言い値で売れるしな。それに、数が出廻ればそれなりに使いどころも出てくるわけだ」
元が心材のローゼッドからは、そう大量の板材などは得られない。しかし、もしも大量のローゼッドが入荷するのなら、普段なら作れないような総ローゼッド作りの指物なども可能になる。
「そんなわけだから、指物問屋の連中も煩くってな」
「えと……今回持ってきたのは二本だけなんですけど……貴族様のご要望に足りるでしょうか?」
「箪笥長持ちを作ろうってんじゃねぇんだ。一本もあれば多過ぎるくれぇだし、先様だってそこまでの量をお買いあげにゃあならんだろうよ」
ユーリが今回持ち込んだ心材も、前回に劣らぬ上質のものだとあって、胸のつかえが下りたエムスの口も軽い。
「でな、名代のローゼッドが入ったってぇんで物見高い連中が見物にやって来るんだが……そういったやつらの中にゃ、欠片でもいいから分けてくれってのが結構いてなぁ……」