第五十章 夜衾奇譚 3.ダウンとそば殻
後ろの方で何やら小声で話し込んでいるのは気付かなかったのか、それとも気付いた上でスルーしているのか。それはともかく、アドンに対するユーリの返答を聞いたオーデル老人が割って入る。
「鳥の羽根なら何でもよいのかね?」
「あ、いえ。さっきも言ったように、柔らかい綿毛が最適ですね。他の羽根だと保温効果がかなり落ちるみたいです。……この寝袋も、綿毛を使った羽毛布団ほどの寝心地ではないですし」
「しかし……綿毛だけとなると、一体何羽の鳥を狩らねばならんのか……」
「あ、いえ、狩るんじゃなくて、巣に敷いてある綿毛を集めるんですよ」
ユーリは前世の知識として、ケワタガモの巣から綿毛を集める事、そのためにケワタガモは保護されている事などを話したが、これは一同の興味を掻き立てたようであった。
「ユーリ君、その鳥はこの国にもいるのかね?」
「さぁ……僕も祖父から話を聞いただけですし……猟師の人たちなら何か知ってるかもしれませんが……」
こちらで該当する鳥を見た事が無いため、ユーリとしても断言はできない。だが、アドンはこの話に興味を持ったようだ。
「……で、ユーリ君、これって本当に暖かいの?」
「……試しに入ってみますか? 予備がもう一つありますし……さすがにお譲りはできませんけど」
ドナの質問に答える形で、マジックバッグから――その実は【収納】から――予備の寝袋を取り出すユーリ。本来は、寝袋の中の羽毛が湿って保温性が低下した時の事を慮って用意したものである。
試しとばかりに中に入って、保温性の良さに驚く一同。その様子を見て、あぁ、これは予備を提供しないと駄目な流れだな、と諦めるユーリ。結局今夜はドナが予備の寝袋を使い、その後はオーデル老人とアドンが日替わりで使用するという事に話が纏まる。下からの冷気を遮断するためと言ってイノシシ――実際は猪系の魔獣――の毛皮を気前よく取り出したユーリには、感謝と呆れの混じった視線が返された。夜番の者用にとギャンビットグリズリーやバイコーンベアの毛皮を取り出した時には、感謝を通り越して慌てていたようだが。
「え? だって包まるんなら大きい毛皮の方が良いでしょう?」
「だからって……ギャンビットグリズリーかよ……」
「……滅多に触れるモンじゃねぇな……」
「……まぁ、毛皮はありがたく借りておくが……ユーリ、この寝袋か? 少し変わった布を使ってるみたいだが?」
「あ、それ、ルッカの脂を塗ってるんですよ。そうすると水は能く弾くくせに、入っていても蒸れないんですよね」
寝袋の表面には、ルッカの皮脂腺から採った物質を塗って、撥水処理を施してある。解体中に【鑑定】先生と【田舎暮らし指南】師匠の教示を受けて、取り分けておいたものだ。ルッカは巨体だけに雨宿りなどという上品な事はできないらしく、水濡れ上等の生活を送っているらしい。そのため水を弾くべく、皮脂腺からの分泌物を普段から嘴で羽毛に塗っているのだと言う。その物質を少し加工したものを布の表面に塗布してみると、撥水性と通気性を併せ持つ理想的な素材に化けたのであった。
「それは本当かね、ユーリ君」
「初耳だが……水鳥なんかが似たような事をやってたな、そう言えば……」
「だが……ルッカくらい大きくないと、採集するのも割に合わんのじゃないか?」
「いや、綿毛の事も考えると、これはルッカの価値が高まったと言うべきだろう」
わいわいと騒ぎ出す冒険者たち。アドンもその中に混じっているが、そんな彼らをよそに、ドナとオーデル老人は別のものに気を取られていた。
「ユーリ君、これは枕かね?」
「一体何が入ってるの?」
「あぁ、蕎麦殻ですよ」
「「蕎麦殻?」」
どうやら蕎麦殻を枕に入れるというのは初耳だったらしい。エンド村では布を丸めたものか、藁を入れた枕を使っているようだ。
「蕎麦殻など、畑に撒くくらいしか使わなんだのぉ」
「あぁ、燻炭ですか。土壌の改良には良いかもしれませんね」
「……何じゃね? それは」
籾殻を蒸し焼きにした燻炭は、土壌改良材として施用される事がある。多孔質で通気性や保水性が良い素材なので、土壌の通気性や透水性を高めるのに役立つのだ。蕎麦殻などはそのまま撒いても土壌改良の効果があるようだが、ユーリはそこまで知らなかったりする。まぁ、炭は生物的な分解を受けないので、土壌改良効果の永続性という点では燻炭に軍配が上がるかもしれない。
ただしエンド村では燻炭の事は知られていなかったらしく、ユーリは一頻り説明する羽目になった。
前にも言ったように、基本的にユーリは慎重な性格であるが、それでも彼我の世界の認識の隔たりというのは大きいため、こういう具合に気付かず失言をかます事は結構多いのであった。
「……やっぱりユーリ君はユーリ君よね……」
「……どういう意味ですか? それ」