第五十章 夜衾奇譚 2.寝袋(その2)
「えぇと……変ですか? これ」
「いや……変ってぇか……初めて見たからな、そういうのは」
野営と言えば寝袋ではないかと小首を傾げたユーリであったが、実は寝袋の歴史はそう古いものではない。況してこの世界では……
「夜営中に魔獣が襲って来る事もあるからな。すぐに飛び起きる事ができねぇような寝具は、ちょっとなぁ……」
「あぁ……なるほど……」
――という事になるのであった。
ともあれそういう事情がある上に、アドンが夜具を用意してくれているなら寝袋は不要かと思ったユーリであったが……他の面はそう考えなかったらしい。好奇心を丸出しにしてユーリの寝袋に取り付いている。
「ねぇユーリ君、これって、中に何か詰まってるの?」
質問攻勢の口火を切ったのはドナであった。
気候の問題があって国内栽培できない綿がそれなりに高価になるため、国民に遍く行き渡るまでには至っていないが、表地と裏地の間に薄い綿を入れて重ねた状態で刺縫いしたキルトの存在はこの国でも知られている。なのでユーリの寝袋もその口だろうと見当は付いたものの、何が入っているのかが判らない。ドナが知っているキルトは綿を薄く挟んだもので、こんなにモコモコとしてはいない。それに、綿にしてはやけに軽い気がする。
「あぁ、鳥の羽毛ですよ。ルッカとかいう馬鹿でかい鳥でしたね」
「「「「「ルッカ!?」」」」」
一同うち揃って驚声を上げたのも無理はない。
この国ではルッカと言えばちょっとした災害のようなもので、小さな村だとルッカの襲撃が原因で壊滅する事も珍しくない。何を隠そうユーリが見つけた村落跡もそうなのだが、当のユーリはその事に気付いていなかったりする。そんなルッカを十二歳の子供が討伐したなどと言えば、そりゃ驚かない方がおかしいだろう。
「え? えぇ、一番良いところは自宅の布団に使ったんで、これに入ってるのはそこまで上質ではない部分ですけど……それでも結構暖かいですよ?」
ただしユーリの方は、ルッカがそこまで凶悪な魔獣だという認識が無かったために、皆の反応が能く理解できない。風魔法で空を飛んでいるのは厄介だが、先手を取って魔力場を乱し飛行能力を奪ってさえやれば、それほど苦になる相手ではない。何より、〝近在で戦闘能力底辺の自分〟にもどうにかなる程度の相手なのだ。歴戦の冒険者なら、さほど手こずる事も無く斃すだろう。
神からの手紙に書いてあっただけに、ユーリの〝己は最底辺〟信仰は、未だ揺るぎもせずに健在であった。
「……いや……斃せねぇたぁ言わねぇが……そこまで簡単な相手じゃねぇからな?」
「そうなんですか? でも、風魔法の魔力場を乱してさえやれば、まともに飛ぶ事すらできませんよ?」
ちなみに、水魔法と土魔法しか使えないという設定の自分がどうやって風魔法の力場を乱したのか――という問題点には気付いていないユーリであったりする。
「ルッカの魔力を乱す事自体、普通の魔術師には難しいわよ……」
「いえ、狩り方のコツさえ掴めば、それほど難しくはありませんよ?」
これ以上何を言っても無駄な気がする一同、この問題については潔くスルーする事に決めて、話を寝袋の方に戻す。
「で……ユーリ君はその……ルッカの羽毛を、布団に使っているわけね? これに入っているのは、それに使った余りって事?」
「えぇ、羽毛全体はそこそこの量があるんですけど、一番良いダウン……綿毛はそれほど多くないんですよ。なのでこれに使っているのは、普通の羽根の羽軸を除いた部分ですね」
羽毛がバラバラにならないような一工夫は要るが、それでも加工次第で充分な保温性能を発揮する。
「ユーリ君……それは……普通の鳥の羽根でも作れるのかね?」
商売のネタとばかりに食い付いてきたのはアドンであるが、他の面々とて無関心ではいられない。寝袋はともかく優秀な断熱素材なら、あって困る事は無い。
「勿論。と言うか、普通はあんな馬鹿でかい鳥は使わないと思います。僕は偶々手に入ったから利用しただけで」
(「……そっかー……偶々手に入っちゃったんだー……」)
(「普通は『偶々手に入る』ようなもんじゃないんだけどね……」)
(「いや……塩辛山では違うのかもしれん……」)
(「あぁ……俺たちの住む下界とは、色々と事情が違うだろうな……」)