第五十章 夜衾奇譚 1.寝袋(その1)
エンド村を出たその日のうちにハンの宿場に到着。一泊して翌朝早いうちにハンの宿場を発った一行であったが、一日の距離を進んだところで野営となった。
護衛である「幸運の足音」は交代で夜番を務めるが、他の面々――アドン・オーデル老人・ドナ・ユーリ、および御者――は馬車の中で寝む事になった。ナガラは「幸運の足音」と一緒に、外で警戒に当たるらしい。
春もまだ早いこの時期は、夜になるとかなり冷え込む。アドンもその辺りは能く判っているので、馬車には充分な数の夜具が用意してあった。今回も同行する事になったオーデル老人とドナも、それとは別に軽いものを持参している。ユーリも一応自分用の夜具は用意していたが、それを用意しようとしたところで、夜具は用意してある旨を伝えられた。なので自前の夜具をしまい込もうとしたのだが……
「……おいユーリ、そりゃ何だ?」
目敏くもそれを見つけて訝しげに、そして恐る恐るといった体で問い質したのは、「幸運の足音」のリーダー、クドルである。その声に振り向いた他の面々も、ユーリが取り出したものを見て目をパチクリと――あるいは爛々と――させている。
「あぁ……寝袋です。夜はまだ冷えるんじゃないかと思って、一応用意してきたんですけど……」
少しばつが悪そうな口調で答えるユーリ。
アドンもクドルも他の面々も、ユーリが塩辛山で一人暮らしをしている事は知っている。なので、ユーリがマジックバッグに夜具を用意して来る事は想定の範囲であったのだが、ただ、その夜具というのが全員の想像から些か離れていたのである。……よもや寝袋を持ち込んでこようとは。
「寝袋だぁ?」
改めて見れば、確かに袋のような形状をしている。前回の武勇伝の事もあるし、てっきり毛皮あたりを持ち込んでくると予想していたのだが……
「おいユーリ、まさか……この袋の中に入って寝るってんじゃねぇだろうな?」
「そのまさかです。暖かいですよ?」
とは言ったものの、ユーリが自宅で愛用しているのは寝袋ではない。
ローレンセンで購入した綿を詰めた敷き布団に、同じくローレンセンで購入したリネンのシーツ。掛け布団はルッカの綿毛を詰めた羽布団である。敷き布団の下には藁蓆を敷いているが、これは下からの冷気を遮断するというよりも、クッション性を求めた結果である。何しろユーリの家は、オンドルを採用した床暖房。そのまま寝転がっても暖かいのだ。ちなみに枕は蕎麦殻を詰めたものを愛用している。
斯くの如く、この国の標準からすると贅沢なまでに寝心地の良い夜具に包まれて、ユーリは連夜の快眠に浸っていた。
尤も、ユーリとしては別に贅沢をしているつもりは無い。金を払って購入したのは木綿とリネンのシーツぐらい。あとは全部自前で素材を調達し、自分で作り上げたものばかり。自給自足の慎ましやかな生活であると思っている。
……まぁ、木綿は思った以上に高価であったが。
どうやら高緯度地帯にあるらしいこの国ではワタが栽培できず、全てを輸入に頼っているため、高価なものになっているようだ。それでも買うのを止めなかったのであるから、その点では贅沢の誹りを免れ得ないかもしれない。
さて、そんなユーリが用意したものだけに、寝袋と言ってもただの寝袋ではない。
形状は所謂「封筒型」。ただし頭部を覆うフード付きで、フードについているドローコードを引っ張ると頭部を覆える構造になっている。
断熱材はルッカの羽毛であるが、ダウンではない。巨鳥ルッカといえども綿毛の量は限られており、それらは全てユーリの羽布団とダウンジャケットに化けた。実は初回の討伐以後も、ユーリは更に二羽ほどルッカを仕留めてはいるが、羽を毟って加工する手間が大きいため、そのままの状態で【収納】に仕舞い込んでいる。なので今回寝袋に使用したのは、ダウンではない普通の羽毛である。尤も、ルッカのサイズがサイズなので羽毛も相応に大きく、多少の手間を厭わずに加工すれば、結構温かな素材になるのだ。
なまじ平素暖かい部屋で寝ているだけに、自宅以外の場所での寒さが実感できず、過剰なまでの防寒装備を持ち込んだユーリであった。