第四十八章 エンド村 2.失言という名の農業指導 或いは 骨まで愛して
野菜の雪中保存については、ユーリは前世で耳にした事があった。それによると、雪の中――気温0度、湿度約100%、暗黒下――に埋められて保存された野菜は、まず自身の細胞が凍結損壊するのを防ぐために、体液の糖度を高めて凍結を防ごうとする。この結果雪中保存された野菜では甘味が増す事が知られていた。そしてこの糖度の上昇は、浸透圧による水分の吸収を促すために野菜は瑞々しい状態に保たれる。こういった事をユーリは前世で耳学問として知っており、当然こちらの農家でも既知の知識だと思っていたのであるが……
「……ユーリ君、雪中保存とは何かね?」
「え? ……あれ?」
――どうやら違っていたようである。
これには幾つかの事情が関わっていた。
まず第一に、この国では豪雪地帯にはほとんど人が住まないという事実があった。山奥に住まうエルフたちは雪中保存の事も一応知っているが、その知識は人間たちには伝わっていない。
第二に、エンド村は元々領主の肝煎りで領地のほぼ北限に入植したのが始まりであり、入植者は他の村から……言い換えると現在のエンド村より南の村からやって来た者たちである。当然、雪中保存の知識など持っていよう筈が無かった。
第三に、前世日本で雪中保存されていた野菜としては、キャベツや白菜などの葉物野菜や、大根や人参などの根菜類が挙げられる。ところがこの国では、大根は素よりカブ――現地名ではスズナ――すら食用の品種は一般に出廻っていなかった。キャベツに当たるものは知られており、エンド村でも栽培していたのだが、こちらは積雪前に収穫して塩漬け……所謂ザワークラウトにして貯蔵するのが普通であった。冬の間は野菜が不足するので、こういう漬け物の形でそれを補っているのである。
結果として、ユーリの言う雪中保存を試みる余裕のある者はエンド村にはおらず、畢竟、雪中保存の効能を知る者も現れなかったのである。
「……そんな事があったとは……」
「……ご存じでなかったとは……」
それぞれの理由で項垂れる二人であったが、既に冬を越した今、グダグダと後悔したところで何にもならない。
「……そうじゃな。次の冬に備えた知識を、早いうちに知る事ができたと喜ぼう」
「……その方が建設的ですね……」
気分を切り替えたオーデル老人が、村人を代表してユーリに農業技術のあれこれを訪ねていく。十やそこらの子供に、歴戦の農民が栽培技術の教えを請う。普通なら想像もできない光景であるが、既に村人たちはユーリの知識の恩恵に浴している。アク抜き毒抜きの知識は素より、ソヤ豆やウマゴヤシ――この名前が定着した――による窒素固定の効果も現れてきている。更にジャガイモの話まで聞かされているとあって、ユーリの知識に対する信頼は揺るぎないものとなっていた。
持てる限りの知識を動員してオーデル老人の質問に答えていたユーリであったが、内容が肥料の話に及んだ時に……
「む? 骨の粉じゃと?」
「えぇ。……もしかして、ご存じありませんでした?」
リンは生命に必須の元素であるが、肥料としての有用性や必要性が認知されたのは比較的後代になってからである。また、元素としては比重が大きいため、放っておけば下方へ下方へと移動しがちであり、雨などによって流出する可能性も高い。この世界では人糞などの肥料によって農地に還元されているが、流失量に較べて供給量が多くはないため、農地の多くは慢性的なリン不足に悩まされていた。そして問題の根幹にあるのは、肝心の農民がリンという栄養素の事を何も知らないという事であった。知らないが故に不足に気付く事が無く、対策の立てようが無かったのである。
なのでユーリは、解り易い説明として動物の骨を持ち出した。
「えぇと……牛とか馬とかは草しか食べませんよね? けど、牛にも馬にもちゃんと骨があるわけで、逆に言えば骨の元は草という形で土から吸い上げられているわけです。なので、その骨を土に戻してやらないと……」
「――土が痩せてしまう。しかも、作物に骨は無いから、その欠乏に気付きにくい。そう言うのじゃな?」
「はい」
かなりザックリとした説明だが、本質的な部分は間違っていない筈だ。実際に初期のリン肥料は、動物の骨を硫酸で処理して作られたと聞いた。
「ふむ……骨などそこらに放っておるだけじゃったが……焼いて砕いたものを畑に撒けばいいのかね?」
「えぇ、その方法で大丈夫だと思います。即効性は劣りますが、骨粉が土の中にあれば、そこから栄養素が滲み出してくるとおもいますし」
「ふむ……獣骨など村の中にどれだけあるか……肉屋から貰う算段でもすべきかの……」
「あ、マジックバッグの中にギャンビットグリズリーの骨が少しありますけど……」
「いや――それには及ばんよ」
金貨数枚が動きかねない魔獣の骨など、怖くて肥料に使えるものか。