第四十七章 根菜譚 1.組織培養(その1)
ユーリが春にローレンセンへ行くに当たって、気懸かりな事が一つあった。
「う~ん……培養中のカルスは、やっと組織が分化し始めた状態だし……ローレンセンに行くまでに地植えできる段階に育つとは思えないかな。と言うか、雪解けが始まったばかりだろうから、移植なんて論外だよね」
ユーリの懸念とは、組織培養で育てているカルス――未分化で無定形の細胞の塊――をどうするかというものであった。
昨年ローレンセンへ行った時に手に入れた甜菜やその他のカブ類から切片を採取し、それを組織培養する事で苗を得ようと実験中なのである。成長点培養も試してはみたのだが、これは大量の分裂組織を得るのが難しいという事もあって、分化した組織を脱分化させて行なう組織培養が本命である。そのためだけに、態々ガラスのシャーレやクリーンボックスも作ったのだ。
ちなみに培養液については、【鑑定】の説明文からネットサーフィンよろしくリンクを辿る事で、どうにか培養液の組成を調べる事ができた。必要な成分を含む素材を【鑑定】で探しまくったのだが、その功績で【鑑定】のレベルが上がったのは余得と言えよう。
……そうやって怪しげな培養液擬きをでっち上げていたら、いつの間にか「植物用ポーション」なるもののレシピが登録されていたのには驚いたが。
なお、説明文のどこに何へのリンクが張ってあるかは逐一メモしてあるので、最近は調べものも効率化している。
その後は、前世の記憶と木魔法を頼りに組織培養の真似事を行ない、【鑑定】の説明文も参考にして、何とか組織を脱分化させてカルスを得たのが昨年の十一月。前世の知見で組織培養のイメージがしっかりしていたのと、やや詳しい説明が【鑑定】に載っていたのが功を奏したらしい。
前世の地球で行なわれていた組織培養であれば、この段階で適当な植物ホルモン――オーキシンやサイトカイニン――を投与する事で、根や芽の分化を誘導する事ができた。しかしここにそんなものは無いので、その辺りは木魔法で代行しなければならない。投与のタイミングなどが判らずあれこれ試していたところ、半分以上は失敗したのだが、生き残ったものの一部が突然変異を起こしていたのである。
「あの時は驚いたな……甜菜のカルスの様子を【鑑定】してたら、4倍体って表示されたから……」
通常の生物(2倍体)に較べて染色体の量が二倍になっている4倍体は、身体のサイズも大きくなる事が多い。それはつまり、一株から多量の砂糖が採れるという事なので、ユーリとしては大歓迎である。ただ、その突然変異が発生した理由というのが、あろう事か回復系の光魔法であった。
木魔法だけでは上手く再分化しなかったカルスであったが、少しだけ回復系の光魔法を与えたところ、一部が分化を始めたのである。ちなみに脱分化させる場合には、闇魔法が有効であった。
分化誘導に成功したのはいいが、気になるのは回復魔法の効果である。傷口などに無闇に回復魔法を施して大丈夫なのか。ちゃんとした訓練を積んだ魔法使いや神官、治癒術師ならともかくも、にわか魔法使いの自分がやると、傷口から手とか足とか生えてきたりはしないか? 不安を掻き立てられたユーリであったが、どうやら分化した細胞なら大丈夫らしい。尤も、胎児や新生児はこの例に当たらないらしく、迂闊に回復魔法をかけるのは良くない事が経験的に知られている。ちなみにこれは、この世界の乳幼児死亡率が高い一因ともなっている。
未分化の細胞は光魔法の感受性が高い……と言うより高過ぎて、細胞が突然変異を起こしたらしい。しかし、だからと言って、一気にカルス全体が4倍体になったのはどうしたわけか? 4倍体の細胞と通常の2倍体の細胞が混在するキメラになる方が自然ではないか――などという疑問についてはスルーする事にした。この世界の魔法は、きっとそういうものなんだろう。
「まぁ……思い当たる節はあったからな……」
この世界に来てから三年目、種子を採るために育てていたスズナの幾つかが強風の被害を受けたらしく、順調に伸びていた花茎が折れた事があった。駄目元で魔法を使ったところ無事活着したのでそのままにしていたが、どうやらこの時に一部の組織が突然変異を起こしていたらしい。できた種子を畑に播いて育てていたところ、明らかに大きく育ったものが幾つかあった。偶々成長が良いだけだと思っていたのだが、その種子から育ったものもやはりサイズが大きく、もしやと思って【鑑定】したところ4倍体と表示されたのである。
「確か……あの時も木魔法と回復魔法を使ったような気がするんだよね。うっかりメモを取るのを忘れてたから、確証は無いんだけど」
4倍体のスズナは大きい上に味も良いので、今やほとんどが4倍体に置き換わっている。原種のスズナも栽培してはいるが、これは万一の場合に備えた系統保存の意味合いが強い。
木魔法に光魔法や闇魔法を混ぜる事で突然変異を誘発するという裏技を会得したユーリが、調子に乗って実験に邁進していたところ【品種改良】なるスキルを得たのだが――それがすぐに【魔改造】に訂正された事に愕然として頽れるのは、この少し先の話である。