第四十六章 来訪者 2.手紙
「……さて、肝心の用事が後廻しになってしもうたが、今日来たのは他でもない。アドンのやつから手紙が届いての」
「大市の件ですか?」
「うむ。三日ほど後に村へ到着するようじゃ。一応、ユーリ君宛の手紙も預かっておる」
「拝見します」
アドンの手紙に書いてあったのは、春の大市を機に鉛筆と魔製石器をお披露目したいので、その前にローレンセンへ来てほしいという内容であった。この事自体はローレンセンを発つ時にアドンと約しているし、その後も何度か手紙を遣り取りして打ち合わせているので、ユーリとしても異存は無い。
「それとじゃな……ユーリ君、ローレンセンへ行く前に、ひとつ領主様に会ってほしいんじゃが……」
オーデル老人が言うのは、ローレンセンへ行く途中で少しダレンセンに寄り道して、領主であるダーレン男爵に会ってほしいというものであった。どうせ昨年の帰村の時点で、領主に会う事は承知している。ユーリとしては異存は無いが……
「いきなり行って、そう簡単に会って戴けるでしょうか?」
「村へ戻り次第、ハンにいる代官様へ使いをやる。そこから手紙を飛ばせば、儂らが行く前には充分間に合う筈じゃ。万一行ってみて領主様のご都合が悪ければ。また日を改めれば済む事じゃ……次がいつになるかは判らんがな」
要するに、この機会に面談を申し入れないとこちらが咎められるが、それに対して都合が上手く付けられないのは向こうの理由、こっちが咎められる理由は無い――というのが老人のスタンスらしい。この世界、領主と領民の関係は意外にドライなものであるようだ。
「まぁ、領主様もユーリ君の入れ知恵には随分と助かっておいでのようじゃったからの、無下に扱われる事はあるまいよ」
「そうなんですか?」
「そうじゃとも。このところの食糧不足や不作のせいで、他領では村を捨てる者や餓え死にする者もでておるようじゃが、ユーリ君が教えてくれたアク抜きのお蔭で、うちの村は勿論他の村でも、そのような被害は出ておらんのじゃよ」
オーデル老人が言うところでは、ユーリが教えた一連の知識に瞠目した領主ダーレン男爵は、納められた税の一部を返却する事を条件に、数名の領民を他の村に派遣して技術指導を行なわせたらしい。
有毒な筈のダグやシカの実を食べると聞いた他村の者たちは、最初は及び腰だったようだが、実際に採れた澱粉を味わうに及んで、一同ころりと転向したらしい。大豆はまだ充分な量が確保できていないため、エンド村に留めておく事にしたようだが、空中窒素固定を行なうマメ科植物を緑肥として利用する事は、既に始めているようだ。
ちなみにこの雑草、地球のウマゴヤシの仲間に似ているが、こちらでは単に役立たずの雑草扱いであったと見えて、特に現地名は無かったようだ。ただし、ユーリがつい漏らした「馬肥やし」という名がこちらの言葉に翻訳されて伝わったらしく、それがそのまま名称として定着したらしい。なのでユーリの耳にも、この草は「ウマゴヤシ」と翻訳されて聞こえている。
「……本当に地力が回復しているかどうかは、もう少し経たないと判りませんよ?」
「……と言うか、ヤギやら馬やらが争うように食べておるようでのぅ……既に緑肥としての効果は期待できんのではないかという声が聞こえておるそうじゃ。……牧草としては間違い無く優秀らしいんじゃが……」
「うわぁ……」
「一部の村では、秋に種を採集したそうじゃ。囲いの中で育ててみると言っておった」
「……雑草なんですよね?」
「まぁ、作物も元を辿れば雑草じゃからな。こういう事もあるじゃろう」
ちなみにこのウマゴヤシ、村の周囲には比較的多く生育している。元々日当たりの好い場所を好むのだが、村の近くでは農民たちが草や木を定期的に刈り取るために草丈の高い草が繁茂せず、ウマゴヤシにとって日当たりの好い環境になっていた。それに加えて、村人が野獣や魔獣を村の傍に寄せ付けない事、馬などの家畜を守るために柵の外に出さない事などから、草食獣による食害も免れて繁茂してきたのだが、ここへ来て遂にその有用性を見出されたようだ。
「うちの村で飼っておるのはヤギくらいじゃし、数もそう多くないので間に合っておるが……馬などを飼っておる村では大変なようじゃな」
「そこまで馬が喜ぶんなら、どこかで牧草として育てているんじゃないでしょうか」
「ふむ……あり得ん話ではないのぅ。……大市で少し探してみるか」