第三十七章 木工への遠い道 1.神像
〝下駄も阿弥陀も同じ木の切れ〟――という諺がある。
ここでこの諺を持ち出すのが適当かどうか判らないが、一向に【木工】スキルが解放されない事に業を煮やしたユーリが、木工作業の経験を積むために目を付けたのが木彫り――それも神像を彫るという事であった。
この世界に転生してから此の方、自分を転生させてくれた神への感謝を忘れた事は無いが、しかし祠や神棚の類を作ってそれに手を合わせるというところまで気が廻らなかったのも事実である。丁度好い機会……というのは不敬かもしれないが、この際だから神様の像を彫るのが善くはないか?
……唐突な発想に思えるかもしれないが、ユーリとて何の脈絡も成算も無しにこういう考えを抱いたわけではない。下地となるもの……彫刻や彫塑の経験のようなものはあったのである。
最初の切っ掛けは前世の有理が子供の頃、親戚の小父さんが病気快癒祈願にと、手彫りのお地蔵様を持って来てくれた事であった。そのお地蔵様はいかにも素人の手彫りといった感じであったが、参考に持って来てくれたテキストに掲載されていた仏像の写真は、ユーリの子供心をいたく刺激した――特に阿修羅像や仁王像が。
仏像彫刻に魅入られたユーリのお強請りに屈した両親は、最初は簡単なものからと言って、干支の動物を彫るというキットのようなものを買って来てくれた。今にして思えば、通信講座のようなものではなかったかという気もするが。
ともあれ、親が監督している時だけという条件で始めたそれらの木彫りのうち、子供には難しそうな「辰」を除いた幾つかを何とか――「寅」が猫に見えるとか、「巳」がウ○コにしか見えないとかの批評もあったが――作り上げたユーリは、念願の仏像に挑戦する事を許されたのであった。……とは言え、その後少しして病状が悪化したため、肝心の仏像彫刻は、お地蔵様をある程度彫り進んだところで中断の憂き目に遭ったのだが。
第二の契機は大人になってから。
入院生活がすっかり板に付いた有理に仏像彫刻の経験があると知った看護師に頼まれて、小児病棟の人形――五月人形と雛人形――の補修をする事になったのである。さすがに木彫りで作るわけにはいかず、石粉粘土とかその手のものを使って補修する羽目になったのだが……それを知った患児たちにせがまれて、人形作りに手を染める羽目になったのだった。幸か不幸か生前の有理にはそっち方面の才能があったらしく、子供たちをそこそこ満足させられるレベルのものを作る事ができたのだ。
ただし、さすがに本職のようにフルスクラッチで躍動感のあるポーズを取らせるまでは至らなかった――バランスが上手く取れなかった――のであるが。
「……まぁ、全くの素人ってわけじゃないんだし……作ってみて出来が悪ければ奉納するのを止せばいいんだし……その場合にも経験値にはなるだろうしね」
――という感謝と誠意と打算の下に、ユーリは神像作りに着手したのであった。
とは言うものの、さすがにいきなり本番というような冒険はせず、最初は練習がてら軟らかい木で簡単な人物像を彫ってみた。
ローレンセンの木工所で木材を購入する際に、樹種毎の性質と向き不向きについてのレクチュアは受けており、それを踏まえて一通りの木材を購入してある。その中には軟らかく加工に向いた種類もあったので、それを使って試作してみたのだが……
「何だか……思ったよりポーズを付け易い気がするな……」
生前の記憶では、腕を曲げたポーズで作るのにも苦労したような気がするのだが……もっと複雑なポーズの像もなぜか易々と彫る事ができていた。もしやという期待を抱いてステータスを確認したユーリであったが、相変わらず【木工】のスキルは生えていない。怪訝な面持ちのユーリであったが……実は、これは【解体】の恩恵であったりする。獲物の解体という経験を通して解剖学的な知識を得ていた事で、それと意識しないでも、解剖学的に正しい姿勢や体型が作れるようになっていたのである。
その辺りの事情は解らないままに、どうせ何かのスキルが仕事をしたんだろうと割り切って、ユーリはいよいよ神像の製作に着手したのであったが……
「……あれ? ……あの時の神様って、男の神様だったっけ? ……それとも女神様だったっけ?」
――いきなり難問に直面していた。
白っぽい光に覆われていたため、その容貌などは全然見る事ができなかった。ハスキーな感じの声で、それだけでは男性とも女性とも判断が付かないが、喋り方は男性のものだった。服装も――はっきりしないが、どうもスリーピースというかパンツスーツというか、そんな感じだったような気がする。少なくとも、ドレスやスカートでなかった事だけは確かである。
これだけで判断すると男性神のようにも思えるのだが……
「ただなぁ……何となくだけど、宝塚の男役っぽい雰囲気もあったんだよなぁ……」
神様の性別を間違えるなど不敬もいいところであるが、逆に自分に姿を見せなかったのは、その辺りを明かしたくなかったためかもしれないと気が付く。
なら、表情とかプロポーションとかその辺りは曖昧なままにして……
「パンツスーツで腰掛けた姿のままに彫るしかないか……」
一般的な神像とはかなり違う気がするが、自分が会った神様は後にも先にもあの神様一柱だけだ。会った時のお姿を彫るだけだから、別に問題は無いだろう。お名前だって判らないんだし。
ともかくそういう次第で、ユーリは神像の作製に取りかかった。