第三十五章 異世界恒温室事始め 3.培養/栽培実験室(その2)
恒温の魔術式は何とか手に入れたが、加温設備それ自体は新たに作製するしかない。ユーリが考えていたのは一種のセントラルヒーティングであった。床下の配管に温水を流し、そこからの放熱で室内を加温する方法である。これなら百度以上に上がる危険は無く、安全性の点でも問題が少ないと考えられた。
「ただ……ラジエーターなんかは上手く作れる気がしないし……少なくとも当分の間は、配管からの放熱に頼るしかないよね」
恒温の魔道具で室温をモニターしておいて、室温が上がりすぎるようなら配管への給湯を止めるようにすればいいわけだ。床下からの加温なら、暖気が部屋の上にだけ停留するという事も無いだろう。
「あぁ……けど、低い位置に薬剤とかその手のものは置かない方が良いか」
温かくなるだけに、温度による変質を受ける危険性は高まる。この点は注意が必要だろう。場合によってはラジエーターを設置して、そこから熱を放散する方式に改める必要があるかもしれないが、それもこれも実際に運用して様子を見ないと始まらない。
「そうすると……床下の保温に関しても考えないといけないのか」
日本家屋のように何となく、床下は通気を良くするようなつもりでいたが、オンドルのような床下暖房にするなら、寧ろ密閉性を考えるべきかもしれない。しかし、そうすると……
「う~ん……お湯を通すわけだから……湿度の点が気になるよね。水漏れが無くても結露とか……」
醗酵蔵のように石造りにするのならともかく、木造建築にした場合は基礎部分の腐朽が問題になりそうだ。どうしたものかと考えていたユーリであったが、どうせ夏には暖房設備は使わないのだからと、夏だけ床下を開放できるように設計する。とにかく一冬の間使ってみて、床下の様子をチェックするしか無いだろう。不都合な点が出てきたら、その時に対処すればいい。
「あとは……室温が上がりすぎた場合の対策かな」
実際に床下暖房を使っている身としては、そう心配する事は無いと思うが、今回は密閉性の高い小屋が対象となるわけで、家一軒を温めるのとは少し事情が違ってくる。その辺りも考慮しておかなくてはならないし、どのみち夏には室温が上がり過ぎる可能性がある。換気用の窓は不可欠だろう。採光を考えてこれもガラス窓にするつもりだが、風の通り易い配置にしておく事も考えなくてはなるまい。
「……と言うか……恒温試験室というんなら、冷房も考えなくちゃいけないのかな?」
だとしたら面倒だがと悩んでいたが、幸いにしてこちらの夏は日本の夏ほどに蒸し暑くなる事は無い。直射日光の当たる屋外はともかく、日蔭に入ればそれなりに涼しくなる。室温がそこまで上昇する事は無いだろうし、何よりそこまで厳密な温度管理を要求するような実験をするつもりは無い。まぁ大丈夫だろうと楽観する事にした。
恒温室そのものの実用試験という面もあるため、とりあえず木造の小屋を建ててみる事にしたが……
「う~ん……どう考えても、板材が逼迫しそうだなぁ……」
家一軒建てるには充分な量の木材を確保してきたつもりであったが、傷んだ家々の補修に使った分が予想していたよりも多かった。万一の事態に備えてある程度の予備材を確保しておくと、使える木材の量は更に厳しくなる。
「かと言って……あまり小さな小屋にすると、実用化する場合に調整とかが面倒になりそうなんだよなぁ……」
恒温試験室それ自体の実用試験という面もあるため、将来的に恒温システムを適用したい蔵のサイズから、あまりかけ離れるのも問題である。
「それに……保温のために壁を二重にしたら、板材の量は確実に足りなくなるよね……」
それならいっそ、全体を土魔法で造ってはどうなのかとも考えたが、
「そうすると、夏には耐え難い温度になる危険性があるんだよなぁ……湿気の点も心配だし……」
土魔法で造った家がどうなのかは寡聞にして知らないが、同じような素材のコンクリートの性質なら知っている。確か熱容量が大きいため、温まりにくく冷えにくいと聞いた事がある。日本では夏の日射しに炙られたコンクリートの表面温度が夜になっても低下せず、ヒートアイランド現象の一因となっていたような気がする。
土魔法製の家も同じようなものだとすると、夏には温度が上がり過ぎる危険性がある。冷房技術の目処が立っていない現状では、これは極めて拙い話だ。冬の場合はどうなのかというと、部屋が暖まるのに時間がかかる、言い換えると熱を多く必要とする可能性がある。一旦恒温条件を維持するようになれば、それほど不都合は無いかもしれないが。
「う~ん……土魔法の設定を弄くったら、壁の比熱を変える事はできるかもしれないけど……そうすると強度に影響する可能性があるんだよなぁ……」
ユーリが土魔法に詳しくないためか、その辺りが今一つ判らない。とりあえず、デフォルトの設定を変に扱わない方が良いだろうと判断する。
あれこれ考えると、土魔法で実験室を建てるのは止した方が良いような気がする。そうすると、木材の不足という状況はクリアできないのだが……
「……いや、木造家屋の外側に、土魔法でもう一つの壁を追加したらどうなんだ? 家の壁との間に隙間を空けてやれば、上手くすると断熱構造にもなるんじゃないか?」
窮すれば通ずというのか……それとも貧すれば鈍すると言うべきなのか、妙な事を考えつくユーリ。要は二重壁の外側だけを、土魔法で作ろうというのである。前世の日本では、コンクリート建築の内装として合板を貼る事もあったのだから、それほどおかしな発想でもないのではないか。
「あー……でも、これだと壁の隙間に雨水とか入り込んだら面倒だよな。……いっそ、中空のブロックを作って、それを外側に貼り付けるか」
ブロックの中空部分に断熱材として藁でも詰めてやれば、結構役に立ってくれそうな気もする。夏になったらブロックを取り外してやればいいだろう。幸い、土魔法を使えば付け外しはあっという間だ。
「この方法なら、多分だけど木材が足りなくなる事はないよね……いや、待てよ?」