第三十四章 ユーリ村改修計画 2.醗酵蔵顛末
ローレンセンで購入した分と新たに作った分を合わせると、かなりな分量の木材が確保できた。それらの木材をどうするのか。
無論ユーリにしても、使う当ても無く木材を購入・製材したわけではない。
では何に使うつもりなのかというと、第一には前にも言ったように、村の家々の補修である。ここ二~三年で雨漏りや隙間風が酷くなった家が多く、それらの補修が喫緊の課題であったのだ。
――だが、急ぐと言うなら、土魔法で建ててはどうなのか。
ラノベなどでは定番の展開であるが、設計だの構造計算だのの知識もスキルも無いのに、いきなり家を建てるような真似はしたくない。土魔法で作った壁は既に五年を経過した今も崩れる気配は無いが、言ってしまえばまだ五年しか経っていないのだ。慎重であるに越した事は無い。就寝中に天井が落下するような事があっては、命取りではないか。
二つ目の用途は、家具の作製である。先住者が家財道具を洗い浚い回収していったため、この村には家具といえるものがほとんど無い。僅かにある家具は、ユーリが土魔法で作ったものだけだ。ユーリ一人だけならともかく、先日のように客を迎えた場合は少し問題があった。土魔法で拵えた椅子は重いせいか、ドナたちが少し使いにくそうにしていたのが気になっていたのだ。
簡単な家具の幾つかは、木で作っておいた方が良いかもしれぬ。ローレンセンで購入してきた衣類なども、土製の箱に仕舞っておいては湿気が籠もりそうな気がする。一応、衣裳行李のようなものは買っておいたが、それとは別に箪笥のようなものも必要ではないか。少なくともハンガーくらいは欲しいところだが、この国では知られていないらしく、ローレンセンには売っていなかったのである。
そして三つ目の用途であるが、ユーリとしてはこれこそが本命であった。すなわち、加温できる醗酵室の建築である。
肉醤の作製は、酵素による自己消化や微生物による醗酵が主体であるがゆえに、温度の影響を受ける。殊に寒い冬の間は醗酵が進まず、試作――と言うか、適切な微生物の選抜――が停滞しがちなのだ。肉醤の作製に着手してから五年、ソヤ豆を入手してから四年を経過しているが、美味い発酵調味料――肉醤や味噌・醤油――の作製は未だに道半ばにあった。
期待していたローレンセンでも醗酵系の調味料は見つからず、適切な醗酵微生物の選抜は至上の命題であった。少しでもその探求を早める事ができるのなら、加温醗酵室の建設に躊躇は無い。
――そう意気込んでいたユーリであったが、先日【田舎暮らし指南】を調べていたところ、その意欲に水を差す記述に出くわしたのであった。
曰く、〝加温による速醸(温醸)では特定の温度条件を好む微生物だけが選抜されてしまい、季節による温度変化に応じて様々な微生物が醗酵を担う天然醸造に較べて味が落ちる〟
曰く、〝加温による速醸(温醸)を行なう場合、四季の温度変化に沿った温度調節を行ない、より天然醸造に近い条件で製造する事が望ましい〟
曰く、〝味噌を加温条件で醸造しても、醗酵槽内の味噌の温度上昇は非常に遅いため内部の温度に斑が生じ、これが熟成度の不均一の原因となる〟……云々。
既に有用な微生物が選抜されて菌株が保存してあるのならともかく、有望な微生物を選抜している段階で、妙な選択圧を加えるのは好ましくない。加温の方法も考慮する必要があるだろう。
ただ……以前に読んだ時には、こんな記述は無かったような気がする。不審に思ったユーリがテキストをあれこれ見直していたところ……
「……え? ver. 3.71……って、アップデートされてるの!?」
……ともあれ、斯くの如き次第で、加温室を作って醗酵の時間を短縮するというユーリの計画は、大幅な見直しを迫られたのであった。
「……となると……せめて、温度変化の小さな醗酵室を造る方が良いか……」
そういう事であれば、木枠にガラス張りの温室よりも、土魔法で蔵のようなものを建てた方が良さそうである。土魔法による建築の練習と実証実験にもなるだろう。土魔法で作った壁はコンクリートのようなものなので、夏は暑過ぎて冬は冷え過ぎる恐れがある。小さな小屋だとその傾向は特に強いだろう。ならば……建物自体は大きく造って、内部を適当な大きさに仕切った方が無難だろうか? 現在は空き家の一角を土魔法で仕切って、保温のために毛皮を被せているが……
「どうせ土魔法で造るんだし……最初から断熱構造にする事を考えるか。……断熱材なんかは手に入らないけど……壁を二重にしておいたら、少しは断熱効果を高められるかな?」
という曖昧な判断の下に、あっさりと二重壁を備えた蔵が建てられた。建築に関するスキルは持たないので、ユーリは壁自体を頑丈に造り、更に頑丈な柱を多数林立させる事で、天井の重みを支える事にした。鉄骨や鉄筋による補強も考えたが、土魔法で造った壁との親和性が不明だったのと、土魔法を使えば補強自体は後からでもできると考えたので、当面は土魔法だけで建造した。
魔製石器の作製とは違い、材料となる土を細かく調製して造るような手間はかけていないが……
「……まぁ、ナイフと違って強い衝撃を受ける予定は無いし、ナイフよりは嵩も目方もあるし……」
そう簡単に崩れる事はあるまいと判断する。現に、同じく土魔法で造った石壁は、五年を経た今も壊れる気配は全く無い。いや、五年程度で劣化するようでは困るのであるが。
石壁と同様に、蔵の方にもしばらく硬化の魔法をかけていけば、堅牢なものに仕上がってくれるだろう……多分。
「加温の方は……同じような蔵をもう一つ造って、でき具合を比較してみるかな」
折角ローレンセンで恒温槽の魔道具を見つけてきたのだ。試してみない法は無い。加温の方法は、今まで試していたような温水暖房でいいだろう。当初は洗面器のような器に湯を入れただけだったが、湿度が上がり過ぎる気がしたので、のちに湯たんぽ方式に変更している。今回ローレンセンで温度調節の魔術式が手に入ったので、かねて計画していたように、土魔法で作った床下の配管に温水を流し、穏やかに加温する方式への移行を進めるつもりだ。適切な湯温を決めるのに手間取りそうだが、やってやれない事も無いだろう。魔道具を解析して恒温の魔術式を完成させる必要があるが、それは焦らずこの冬をかけてやればいい。終わった時点で蔵の片方が加温醸造に移行するだけだ。
「ま、焦る必要は無いんだし、のんびりやればいいか」