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幕  間 心地好く秘密めいた村

 九月も中旬に差し掛かった頃、ハンの宿場町を訪れたダーレン男爵は、代官からの報告を受けて当惑していた。



「……エンド村が例年どおりの年貢を寄越したというのか?」

「はい。と言っても、届けに来たのはアドンの()(じん)でしたが」

「珍しい事ではないな。今年も作物の買い付けに来たんだろう……待て、エンド村は、いつもどおりアドンに作物を売ったのか?」



 このところの食糧不足は、この国(リヴァレーン)にも影を落としている。リヴァレーン自体は凶作だの飢饉だのというほどではないが、隣国ではかなりの難民が出たらしい。その一部がこの国に流れ込んで来ているため、いつもより食糧の消費が増えている。なのに隣国からの食糧輸入がほぼ途絶えているため、店頭に並ぶ食物が少ないのだ。加えて今年は、リヴァレーンでも小麦が不作気味である。野菜や果物などは例年と変わらないので、国民の多くはあまり食糧不足を実感してはいないだろうが……新小麦の値段が上がればそれと気付く筈だ。

 作柄が気になったので領内の村々を見廻ってきたが、どこの村でも小麦は不作であった。いつもの量を徴税したら、農民たちが食べる分でかつかつだろう。少しは備蓄があるだろうが、それでも充分な量ではない筈だ。なので、今年は年貢の量を減らす事に決めており、各村にもそれを通達してきた。


 なのに、エンド村は平年どおりの年貢を納めた上、余剰分を商人に売った……?


 エンド村の村人たちが無理をしているのではないかと心配した領主は、予定を少し変更して、自ら村へ(おもむ)く事を決めた。



・・・・・・・・



「ほぅ……これが、ダグの実から採れたというのか?」



 代官からの報告を受けてから四日後、エンド村を訪れた領主ダーレン男爵が試食しているのは、村人たちから供されたダグの実の澱粉、それを団子に丸めたものであった。澱粉自体の味をみるために、敢えて何も付けずに食べてみたところ、少しエグ味のようなものはあるが、決して食べられないものではない。適切な味付けをしたら、無理なく食卓に上せる事ができよう。さすがに毎食これだときついかもしれないが、パンの合間に食べるくらいなら、(かえ)って変化があって好ましいかもしれぬ。



「ふむ……ダグだのシカだのの実はエグ味があって食べられたものではないと思っていたが……」



 実は男爵も子供の頃、好奇心から囓ってみた憶えがある。



「へぇ。ですが、潰して水にしばらく(さら)してアク抜きをしたら、このとおりで」



 ダグにしろシカにしろ、実りの本番はまだ先であるが、これらの実が食べられるかどうかは早めに試しておいた方が良い。そう考えた村人たちは、八月の終わり頃から実り始めたこれらの団栗(どんぐり)を、まだ青いうちに収穫・水晒(みずさら)しして試食したところ好感触を得た。以来実が熟すのを一日千秋の想いで待ち続け、つい先日走りの実を収穫して、澱粉を採ったばかりだったのである。



「むぅ……大変な知恵のように思えるが、これは誰が発見したのだ?」



 領主の(たず)ねに村人たちは顔を見合わせる。この方法はユーリから伝えられたものだが、それを領主に教えていいものだろうか。村の恩人とも言える少年を困らせるような真似は、仮令(たとえ)それが殿様の命令であってもしたくない……

 村人たちは困ったように口を(つぐ)み、その様子を見た領主は、何か理由があるのだろうと察しを付ける。別に発案者の身柄をどうこうしようと言うのではない。詳しい話を訊きたいだけだ。そう言葉を重ねて説得する領主に折れて、村長が事情を話したのはその後であった――発案者の不利益になるような事は、貴族の名誉に誓ってしないとの確約を取った上で。



「すると……その少年は……五年間も……ただ一人で……」



 村長から聞かされた話は、実際に目撃した者――オッタが村に残っていた――からの証言無しでは、到底信じられないような話であった。酒場で聞いたら法螺(ほら)(ばなし)だと笑い飛ばしたであろう。だが、その少年が教えてくれたという水晒(みずさら)しの技法は、確かにここに存在している。この方法を他の村に伝える事ができれば、今年の食糧事情は大分改善されるかもしれぬ。


 ……と考えていた男爵は、これが今年だけの話ではない事に気が付いた。


 このアク抜きの技術があれば、今まで利用できなかったものが食材として利用できる。あのリコラの根ですら食べられるというではないか。その恩恵はいかほどのものになるか。今年のように不作でなくとも、食材のバリエーションが増えるというのは、吉報以外の何物でもない。この技術は広めるべきであろう。

 ただ……それがここダーレン領からであって、何が悪い? ダーレン領はリヴァレーン王国北部の小領だ。農産物以外に目立つ特産は無く、他領と較べて抜きん出たところは無い。しかし、この技術を領内に広める事ができれば、そしてそれを秘匿する事ができれば……これは大きなアドバンテージになり得る。



「村長、収穫前で大変だとは思うが、このアク抜きの技術を身につけた者を数名、他の村に派遣する事はできないだろうか? できれば他の村にも、この技術を伝えたい」

「へぇ……それは構いませんですが……」

「無論、()の少年の事は話す必要は無い。いや、(むし)ろ話してもらっては困る。このアク抜きの技術ともども、他領の者には話す事を禁じる」

「……少々お待ちを……」



 村長はしばし村人たちと協議していたが、別段問題は無かろうという結論に達した。元々彼らはそのつもりでいたし、アク抜きについてはアドンにも教えていない。宴の席ではあったが、一応ユーリにも口止めしてある。領主優先という話を聞いて、ユーリもなるほどと納得していた。


 アク抜きの技術を領内に広める手筈は整えたものの、領主の悩みが解決されたわけではない……いや、不作に関する悩みは解決しつつあるが、新たな悩みが出てきたのである。



(くだん)の少年はローレンセンへ行ったというが……後を追うべきであろうか……?)


 

 待っていればいずれ戻るだろうが……それまでにアク抜きの事を触れ廻られたら……。一応口止めはしたらしいが、海千山千の凄腕商人が(ばっ)()するのが商都ローレンセンだ。子供の口を割らせるなど、あの連中にとっては赤子の手を捻るよりも容易(たやす)かろう。

 さりとて、自分がアドンの屋敷を訪問するのも不自然な話だ。アドン商会はエンド村を始めとする村々の交易相手ではあるが、自領の御用商人というわけではない。何より、アドンが商会を構えているローレンセンは、自領ではなく隣の領内にある。自分が唐突に訪ねて行けば、必ずや人目を引くだろう。それは何よりも避けたい事だ……


 男爵は人知れず悩むのであった。

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