第二章 来た、見た、食った 4.山の幸(その3)
本日最後の更新になります。
どうにか斃したマッダーボアの屍体を前にして、ユーリは考え込んでいた。
「一時はどうなるかと思ったけど……百キロ近い目方がありそうだよね、これ。……食べられる部分が仮に半分以下だとしても……うん、当分は食いつなげる」
……と、そこまで考えが進んだところで、
「……え、と……この後どうすれば……」
一般的な生活を送っている現代日本人が、獲物の解体手順などを知っている筈が無い。況してユーリは生前も入院生活が長く、アウトドアとは無縁であった。ただ、趣味として読んでいた小説の中に獲物の解体の描写があり、血を抜いたり水に漬けて冷ましたりする必要がある事は覚えていた。
そういった小説では、獲物を逆さに吊り下げて血を抜いていたが……
「……七歳の子供に、百キロ超のイノシシをどうこうできるわけ無いだろ……」
……ステータスがどうこう以前に、持ち上げようにも背丈が足らない。
初っ端から躓いたユーリは、懸命に知恵を絞った挙げ句、水魔法で何とかできないかと思い付いた。水魔法と言うからには、液体を操る魔法に違いない。血液だって液体には違いないのだから、操れない事もないだろう……
一人勝手にそう納得すると、ユーリは持てる魔力を振り絞って水魔法を発動する。マッダーボアの血液を操って、体外に流出させるようなイメージで。
「お……結構難しいけど……上手くいってるのかな……?」
どうやら上手くいったらしい。イノシシ……マッダーボアの体内から血液が一定のスピードで流れ出てきて辺りを朱に染めていく。後始末の事まで気が回らなかったユーリは顔を顰めるが、今は血抜き処理が優先である。
やがて血液の流出が止まった頃には、マッダーボアの血抜きはほぼ完璧に終わっていた。
「一応はできたけど……面倒臭いなぁ……何だか魔力も結構使ったような感じがあるし……」
ラノベに出てくる魔力切れほどには深刻でないようだが、少し疲れた気がするのは事実である。ラノベの作法に従うなら、しばらく休んでいれば回復する筈……と考えを進めたところで、ユーリは自分の思い違いに気が付いた。
「いや……【ステータスボード】が使えるんだから、それで確認しろよ、自分」
ブツブツと呟きながら操作画面を開くと、魔力の数値が100から63に減っている。あぁ、やっぱり魔力を消費したのか、けど思ったより使ってないんだな……などとぼんやり眺めていたら、魔力の数字が一つ上がった。あぁ、やはり休息によって魔力は回復するのか――と納得し、それ以上の追求をしないユーリ。
もしもこの時「魔力」の項をもう少し見ていたら、ポップアップウィンドウが開いて「魔力」の説明が表示されたろう。そこには恐らく……
《魔術を行使するために必要な力。フォア世界の人間は全員がある程度の魔力を持っているが、大抵は生活魔法を使える程度(十以下)で、魔術師と言える程のレベルにはない。生命力と違い、年齢との相関はみられない。いわゆる魔術師の魔力の平均値は五十である》
――という記述があった筈であり、この世界の一般人が持つ魔力の平均値が十程度である事も、魔術師のそれでさえ平均五十程度である事も判った筈である。
しかし、目の前で魔力が回復するのを数値として見たユーリは、それ以上魔力について調べる事を止めた。つくづく不運な巡り合わせであった。
そして当のユーリはと言えば……
「血抜きをするだけで37……三分の一以上の魔力を使ったのかぁ……もっと頑張ってレベルを上げないとなぁ……」
――などという感想を漏らしていた。
……もしもこの呟きを世の魔法使いが聞いていたら、揃って目を剥く事は請け合いである。いや、いきり立って食って掛かったかもしれない。
それほどに、ユーリがやってのけた事は異常であり、異質であった。
そもそも、水魔法は水を操る魔法であるが、水に混入物や懸濁物があった場合、途端に魔力の通りが悪くなるというのが、この世界の魔法の常識である。若干の無機物が溶け込んだ程度ならまだしも、有機物やら細胞片やらを豊富に含んだ血液などは、通常の水魔法で操るには難度が高すぎる。況して、体内の血液全てを身体の外に排出するなど……いくら対象が死んでいるといっても、普通にできる事ではない。
そういう「常識」を丸っ切り知らず、血抜きの方法が無く追い詰められている状態で、しかも通常の魔術師の倍近い魔力を保有しているユーリでなければ、こういう無茶は通じない……どころか考えようともしなかったろう。まぁ、肝心のユーリ本人は、無茶だという自覚も何も無いのであるが。
さて、何はともあれ血抜きは終わった。次になすべきは……
明日からは一話ずつ20時に更新の予定です。当分は毎日更新といたします。