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Bar R  作者: 崎永むつき
5/5

~似合わない2人~ 5

違うことはないはずだ。確かに焼酎のロックを2つ注文を受けた、はず。まさか「ロック、2つ」は本当に氷2つで作るロックという意味だったのか。そんなはずはないと否定しながら、苦々しく2つ目のロックグラスを見て、グラスを下げようと考えていると、ゆっくりと太い指が、グラスを持ち上げた。

「これはあんたの分」

田中先輩はそう言って、吉井寄りに置いたグラスを掴んで、俺に向けてきた。まさかこのタイミングで“マスターの分”が来るとは思っていなかった。田中先輩の生態はよくわからない。反射的に両手で恭しく受け取り、状況が飲み込めないまま、吉井の様子を伺う。

「芋が飲めないんだと」

と田中先輩がわざわざ説明してくれた。意外にも後輩の酒の好みを覚えている田中先輩。無口だけど、案外、気配りの出来る人かと考えてみるも、目の前の人物からは、その雰囲気を感じとることができない。

「いただきます」

と一呼吸置いてから言い、田中先輩に向かって乾杯のしぐさをしたが、すでに焼酎を飲み始めていて、目だけがこちらを見た。吉井にもグラスを向けたら、こちらはまだ泡の分しか減っていないビアグラスを目の高さに上げて乾杯のしぐさをした。お客様から頂いた酒を飲んだ。甘い風味が口の中に広がって、柔らかい。

「おかわり」

先輩は空のグラスをこちら側に置き、ぼんやりと天井を見上げている。焼酎のロックをビールと同じペースで飲む気なのか。この人にとって味わうとは、とことん体内に取り込むことらしい。仕事もとことん気が済むまで、向き合ってきたのかもしれない。

沈黙の中、田中先輩は変わらないペースで飲み続けている。こちらは焼酎のロックを作るだけなので楽でいいが、何か会話が必要かと悩んでいる。その間も自分自身を追い込むかのように飲んでいる。残念ながら焼酎はこの1本だけなので、これが無くなっても暴れないでほしい。仮にこの焼酎が最後の一杯になったときに次は何を勧めるか考えるが、アルコールなら何でもいいような気がする。

一応、チェイサーを先輩の前に少し離して置いたが、先輩はチェイサーを睨むだけで手は出さない。チェイサーを睨みながら飲むと酔いが遅くなるのか。その隣で後輩はかわいくビールを舐めている。彼はウーロン茶でもビールでもカブトムシのように舐めながら飲む習性があるようだ。

先輩がふらりと立ち上がる。帰るのかと思ったが、トイレへ向かった。足が短く、つま先を広げて歩くので、後ろ姿は毛並みの悪いペンギンだ。乱暴にトイレのドアが閉められる。虫の居所が悪いペンギンだ。

「田中さん、今夜は機嫌がいいです」

「そうなんですね」

思わず大きな声で、驚くところだった。いつも身近で見ている後輩が言うから否定はしなかったが、あれで機嫌がいいのか。あれで機嫌が良ければ、普段はパワハラ発生装置ではないか。よく今までサラリーマンが勤まったものだと感心する。

「普段はどんな感じですか?」

「田中さんですか?」

「ええ」と答えたが、他に誰がいるのか。

「そうですね。ああ見えても、図面のチェックは細かいですね」

「ああ見えても、ですか」

2人で笑った。意外に細かな性格のペンギンさんがペタペタ、フラフラと戻ってきたので、盛り上がりかけた2人の会話はそこで途切れた。カウンターにもたれるようにして元の巣にたどり着いた。

「おかわり」

焼酎の五合瓶を見せながら、これが最後の一杯になることを告げたが、田中先輩は舌打ちをしなかった。なるほど機嫌がいいのかもしれないと考えながら、最後の一杯のために新しいグラスを出した。

先輩は後輩にもビールを勧めたが、後輩は愛想笑いしながら、右手を顔の前でひらひらさせて断った。

最後の焼酎を丁寧にコースターに置くと、急いでグラスを持ち上げ、そのまま一気に飲み干した。ビールの時よりもいい飲みっぷりには、驚きを通り越して、尊敬する。もしかして、帰りたい光線をこの店に来たときから放っている後輩が隣にいることをようやく気付いたのか。

「おあいそ」

「はい」とは言ったものの、初めて会計なので少々時間がかかってしまった。会計の練習はしていなかった。焼酎のロックが何杯だったか、きちんと記録していなかったし、そもそも焼酎の値段を決めていなかった。ご機嫌なペンギンが怒りだすのではないかと後ろが気になったが、会計が終わり振り返ると、まるで魂が抜けたように口をあけて、首を小さく上下させている。棚のボトルを数えているようだ。金額を書いた小さい紙を田中先輩の前に置くと、それをトンビがさらって行った。いや、吉井が横から取り上げたのだ。

「今度こそ、俺が払いますよ」

今日の吉井の中で一番勢いが良かった。いや、初めて自発的に動いたと言うべきか。

「足りるか?」

先輩は吉井の勢いは相手にもせず、カウンターの上に一万円札を置いてこちらを見た。焦点があっていないので目線が交わらない。

「はい、ありがとうございます」

と先輩の背中に軽くお辞儀をした。足りるか訊いたが、確認する気はないらしく、すでに歩きだしていた。慌ててカウンターから出て、先輩より早く重いドアを押した。重い右肩がずしりと胸に当る。

「半年もつか?」

この店が半年後に潰れずに営業しているか訊いているのだろう。無粋な訊き方だが、半年後に出張から帰ってきたら、店に顔を出すと暗に言っていると理解したら、腹も立たない。実はこう見えても当面はお金の心配はない。

「お待ちしております」

またお辞儀をした。後輩も軽く頭を下げながら、ひらひらと店を出た。左右に揺れながら階段を降りる田中先輩の背中に向かって

「いってらっしゃいませ」と声を張った。

焼酎を仕入れておきます。


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