表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Bar R  作者: 崎永むつき
3/5

~似合わない2人~ 3

「ビール」

注文しただけだった。田中に対して、あんたがわかっていないと思ったことが、思わず口を衝いて出て、怒らせてしまったと思ったが、睨んだのではなさそうだ。大丈夫、口から思いは漏れていなかった。しかし、注文する度に緊張させられていたら、身が持たない。固まった体をほぐすために両肩を上げ一旦静止させて、一気に力を抜いて落とした。

「早くしろよ」

やっぱり睨まれたが、返事をしなかった俺が悪い。

急いでビールを注ぎ、ビアグラスを田中の前にある曲げられたコースターの上に置いた。慌てた分、泡が多くなり、頭でっかちのビールになったが、急かせた田中が悪いことにする。

「治安が悪いらしいですね」

田中の出張先は海外なのか。俺からしたら、彼の治安が少し悪くなってきているように見える。

「誘拐とかあるらしい」

田中は左手で首の後ろを掻きながら、ぼそぼそと答えて、掻き終わった手を軽く握って、指先の爪を見ながら、目を細めて首を後ろに反らし、指との距離をあける。年相応の老眼だ。

「軟禁生活らしいですね」

「外出禁止な。宿からプラントまでは軍が送り迎えしてくれるからな」

面倒くさそうに答えた男は、政情が不安定な国への出張になるのだろう。軍が送り迎えするのだから、国賓級の待遇になるのか。こんなくたびれたスーツを着こなした庶民的な国賓は見たことがない。だが、その国にとっては、そのプラントはいち技術者を国賓級として迎えるくらい重要なのだろう。

「宿もホテルじゃなくて、民家を借り上げでしょ」

その民家の周りを軍が警護するのか。

そこで優雅に暮らす男は、普段はくたびれたスーツで世間の目を欺き、実は政府転覆を企んでいる将軍だなんて、C級でも映画化は無理だな。

2人の会話から察すると、プラントが停まり切羽詰まった治安の悪い国が、軍の警護で安全を担保することを条件に、先輩の会社にプラントの復旧を依頼してきたのだろう。意外とこういう人が国際貢献をしているのだ。この男はその国にとっては軍が警護するほどの重要人物であり、ただの庶民的なオッサンではない。

「食事はどうするんですか?」

後輩は自分の代わりに軟禁生活を送る先輩を心配しているようだ。食事の心配をされた男は、後輩の質問が聞こえなかったのか、カウンターにこぼれたビールを人差し指で延ばしている。その行為に何の意味があるのだ?何かを描いているように見えなくもないが、理解できない。

「あのプラントはな」

先輩の指が止まり、後輩の方を向いた。

「俺が初めて担当したんだ」

「ええ、聞きました。田中さんが現地に馴染み過ぎて、地元のワーカーと間違われたって、当時は今ほど治安は悪くなかったらしいですね」

「そいつが停まってんだ。俺がなんとかしたいだろ」

先輩はまたカウンターのビールを広げ始めた。

「子供みたいな感じか…」

「子供ですか?」

後輩は確認するように、ビールを広げる先輩の指先を見て繰り返した。俺も意外だった、プラントを子供に例えるとは。プラントと工場の区別はつかないが、似たようなものだろう。夜に明かりが灯った、その風景を ー汚れたものは闇に追いやっただけのー 美しいと楽しむ風潮はあるようだが、あれを擬人化するのを聞いたことがない。ましてや子供だと思う田中先輩の心境がわからない、擬人化するにしても、せいぜいロボットだろう。ロボットは人かどうかの議論は置いておく。

一種の対物性愛者か。彼が対物性愛者なら、いろいろ質問して、ファンタジー小説の題材にしたい。そのときはくたびれたスーツなんか着せない。無理矢理、王侯貴族の格好をさせてもらう。

「あんな治安が悪いところに、来月、子供が生まれるヤツを派遣するなんて、江藤はわかってない」

そうか、「わかってない」はそこで年下の江藤課長につながって行くのか。

勝手に子供がいないだろうと田中先輩のことを想像すして、自分が初めて担当したプラントが子供のようにかわいい、いや、自分が担当したプラントはすべて子供のようなものだろう。

そのかわいいプラントが停まっているのだから、気になって仕方がない。そこへ、来月、奥さんが出産予定の後輩が派遣されることが半ば決まっていた。後輩のためにも、産まれてくる後輩の子供ためにも、停まっている自分のかわいい子供ためにも、ここは自分が行くしかないと思ったのだろう。何もわかっていないと年下の上司の愚痴を言うだけの出世コースから外れたサラリーマンではないようだ。と都合よく、田中先輩の心境をまとめてみた。

後輩が「ちょっと」と言い、トイレへ行った。初めての客でもすぐにトイレの場所がわかるくらい、この店は狭い。トイレのドアは静かに閉められ、田中先輩と2人きりになっり、ますます、この店が小さく感じられる。

「24時間、軍の護衛付き」

苦笑しながら呟いた。俺に言ったのか?独り言か?客の会話の内容をよく理解していない場合は、変に応えるよりは聞こえなかったことにした方が、いいとバーテンダーのマニュアルには書いてなかったが、たまになら聞き流すことも許されるだろうから、ここでわざわざ応えてこの場の雰囲気を損ねることはない。

「田中さんが、軍隊の中にいたら、鬼軍曹に見えますね」

言ってしまった。余計なことを言ってしまった。昔から俺には言わなくていいことを無意識に言ってしまう癖がある。しかもまだ正式に名前を聞いていないのに、名前まで言ってしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ