近衛家の朝
台所へ向かうと、そこには筋骨隆々な男が一人。
長袖をたくし上げて、丸太のような二の腕を晒したその人――私の親父、茂はエプロン姿でこちらを出迎えた。手には包丁。強面の父が握れば、どう見ても犯罪者の雰囲気。だがしかし、天井の低いこの家の中で、身長2メートル近いその身を深く屈めながら調理する姿は、なかなかに滑稽でもあったが。
「おう。やっと起きたか、真琴」
そんな彼は、ニッと笑いながらそう言った。
「……ったく。毎朝毎朝、あんなに大声で呼ばなくたって起きるっての」
「あん? 何言ってる。そう言って遅刻しそうになったのは、どこのどいつだ?」
「ちっ、うるせぇな。分かったから、今朝は何を手伝えばいいんだよ」
「おう。いつも通り、食器を並べてくれや」
「あいあい……」
父はそんな会話をしながら、自分の仕事をこなす。
私は台所のすぐ隣にあるリビング、その中央にあるテーブルに指示された通り食器を並べた。そして次に、指示を仰ぐことなく行動を起こす。先ほどは駆け下りた階段を駆け上がり、勢いよく襖を開いた。
するとそこにあったのは、寝ぼけ眼な弟――潤の姿。
布団の上に胡坐をかいている彼は、短い髪にも関わらず見事に寝癖を作っていた。
今年、中学生になったばかりの潤は、やはりまだまだ手がかかる。そのことに内心でため息をつきながら、私は無遠慮に彼の部屋の中に入っていく。そして、
「ほら。起きろ、馬鹿」
「んが!? いってぇ、何すんだ真琴!」
「呼び捨てすんな! ほら、さっさと起きろってんだよ!」
「起きてるじゃねぇかよ! オレのことよりも、先に誠治兄ちゃんの方に行けよ!? なんで、いつも俺の方が先に起こされるんだよ!!」
頭を引っ叩き、完全に意識を覚醒させる。
コイツはこうでもしないと、また眠りの世界に呑み込まれてしまうのだ。そのため、多少手荒ではあるがこのくらいが丁度いいのである。
しかしそれにしても、こうやって反抗してくるあたり、年頃ということか。
私にも、そんな時期があったなぁ……。
「おー……元気に今朝もやってんなァ。真琴に潤、おはようさん」
「あ、珍しい。兄貴が自分で起きるって、どういう風の吹き回しだよ」
さて。そんな、ちょっと昔のことを考えていると、である。
後方から聞き慣れた声がした。それは先ほど潤の口からも出ていた兄――誠治のそれ。私は振り返りながらそう返答した。次いで視界に飛び込んできたのは、無精ひげを生やした痩身の男性である。茶色に染めた髪はボサボサ。身に着けている衣服も、皺が寄っていた。
それが、私の兄こと誠治の容姿である。
「今日は一限から講義があんだよ。そうでもなけりゃ、誰がこんな時間に……」
「へー、なるほど。まぁ、どうでもいいけど」
誠治は地元の大学に通っている。
サークルではバンドを組み、毎夜帰ってくるのは夜遅くだ。
そんなグダグダ兄貴だが単位はしっかり取ってるあたり、あの親父に育てられた仲間という気もする。まぁ、今はそのようなこと、本当にどうでもいいのだけど。
「はいはい。せっかく早くに起きたんだったら、顔でも洗ってこいよ」
「あー……分かったよ。お前もだんだんと、父さんに似てきたのな」
「あ? 誰があんな頑固爺に似てきただって?」
「いんや、なんでもねェよ」
さて。慌ただしい中でのそんなやり取りも、日常の風景だ。
そんなわけだから、私は誠治の余計な一言に反応はするものの特には気にせず、階段を駆け下りる。そして親父の元へと戻り、出来上がった料理を食卓へと運ぶのであった。どれも、男の料理といった感じに無骨なモノばかりである。
あー、ちなみに。どうして私は料理しないかというと、だ。
一度手伝ったことがあるのだが、二度と厨房に入るなと、懇願されてしまったのだ。『母さんは料理上手だったのになぁ……』と、涙ながらに語ったのは父。
「おう、今朝は珍しく全員が揃ったな。それじゃ、飯の前に――」
さぁ、これから朝食だ――と、その前に。
リビングに家族が集合したことを確認した父は、号令をかけるように言った。
すると自然に、潤も誠治も、そして私も。父の正座した後ろに、倣うようにして座った。これは近衛家の朝の恒例行事だ。誠治は度々欠席するが、それでも一人でしっかりと行っているらしい。
では、それとはいったい何なのかと言うと、だ。
答えは、父の見つめる先。棚の上にあった――。
「――おはよう。早苗」
そこにあるのは、優しい笑みを浮かべている一人の女性の写真――母の姿だ。
5年前に交通事故で亡くなった母に、こうやって挨拶をするのが近衛家の約束事になっている。私は記憶の中で輝く、笑顔の母を思い描きながら祈りを捧げた。
そうすること数秒。終了の合図を出したのは、開始と同じく親父だ。
「よし! それじゃあ、飯にするか!!」
そう言って、こちらを振り返る。
すぐに反応を示すのは弟だ。潤は待ってましたと言わんばかりに、自身の指定席に腰を下ろす。それに次いで誠治、私、父の順番で着席した。そして、今度は全員で声を揃えて言うのである。
一日の始まり。その、活力を得るための挨拶。
「「「「いただきますっ!」」」」――と。
元気の良い声が、響いた。
これが、私の家族。その毎朝の光景だった。
何の変哲もない日常。それなのに、どこか違うと感じるのは――。
「(やっぱり、アイツのせいなのか……?)」
考えないようにと、そう心掛けてくるのに。
浮かんでくるのはやはり、とある男子の笑顔だった――。
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