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子供の休み時間  作者: 鏡春哉
6/6

福袋

 マンション近くの商店街。その南の端にある、品揃えの良い文房具店。種田真紀は、その店前で悩ましげに佇んでいた。

 彼女の視線の先には、台の上に複数並べられた、橙色の小袋がある。八等分にしたショートケーキ二切れ分ほどが収まりそうなその紙袋には、見た目だけでも重量感が分かる程度に、多くの何か(・・)が詰め込まれていた。台の手前には、A4の用紙にポップな文字で『福袋 500円』と書かれている。

 種田は目を閉じ、首から吊り下げているがま口財布に右手を添えた。


 私がこの袋を手に取るのに躊躇しているのは、何を言おう、その価格がどうしても引っかかるからであった。

 福袋といえば、正月の買い物の醍醐味である。しかし、中身が見えないというその特性上、必ずしも欲しいものが手に入るとは限らない、謂わば一種の賭けのようなものでもある。

 そして、私はその賭けが大抵外れることを、よく知っていた。福袋というものは、大方昨年の売れ残りが詰め込まれている。デパートのようにそもそもの商品が上質であるならばさして問題はないかも知れないが、このような商店街にある文房具店の売れ残りなど、どう考えてもハズレばかりであることは目に見えている。

 もう一つ、私を躊躇させる要素があった。それは、今現在の所持金額である。

 勿論、この元旦にお年玉をもらってはいる。しかし、もらってから三日も経たずして、早速そのお金に手を出すことが私には出来なかった。故に、今日の買い物には前々から貯めていたお小遣いから、千三百円だけを財布に入れて持ってきたのである。

 ここまで言えばもう分かるかもしれないが、要は、時限爆弾のような福袋を手に入れるためだけに、私の貴重な千円札を崩したくないのである。

 五百円。それは、安いようで、子供の私には高い代物であった。加えて、目ぼしいものがあるという保証のない、福袋に手を出すべきかどうか。

 こうしてデメリットを先に挙げてきてはいるが、悩んでいるなりに、私も福袋の中身に興味を持っているのである。人間、未知なるものには好奇心をそそられるように、中身の見えない福袋の中に、一夢を期待してしまうものなのである。

 そうした両極端の葛藤が、私を悩ませている原因であった。

 台の向こう側に座って、私の決断を静かに待っていた文房具店のおじさんが、徐にニタリと笑った。

「お嬢ちゃん、二百円ならまけてやっても良いぜ」

 私のなかにある心のメーターの針が、一気に購入側へと傾いた。私は無言でがま口の蓋を捻り開け、三枚の硬貨を取り出す。

「奥側にある、左から三番目の奴をください」

 おじさんは「まいどー」と言いながら、私の硬貨と、例のブツとを交換した。袋の取っ手を手にした瞬間、どことなく後悔したような気もしたが、決断した以上、それを覆すような真似はしなかった。

 私は文房具店を後にし、零夜の待つ喫茶店へと向かった。

 零夜は、喫茶店の隅の席を陣取っていた。二人掛けテーブルの壁側に腰を下ろしており、一杯のコーヒーを飲みながら呆然と景色を眺めている。彼は私の姿を見るなり、表情を明るくした。

「結局買ったのか」

 私が向かい側の椅子に座ってから、零夜が切り出した。私は「えぇ」と肯定し、少々曇った表情をする。

「結局買ってしまったわ」

 私は右手に持っていた橙色の袋を机上に置いた。零夜は物珍しそうにそれを見遣る。

「福袋を買うのは、俺も初めてだな」

「零夜が買ったわけではないでしょ」

 零夜は笑った。

「それはまぁ、そうだけど。俺の周りには福袋を買う奴なんか、一人もいなかったからな。正確に言えば、袋の中身を見るのが初めて、と言ったところか」

「もっと正確に言えば、福袋の醍醐味を味わうのが、じゃないかしら?」

 零夜は笑みを浮かべながら、カップに口を付けた。

 私は早速、袋の口に手を添えた。ホッチキスでぞんざいに閉じられた口を強引に開き、中身を出していく。

 良く分からないキャラクターがトップに付いているシャーペン。別のキャラクターが付いているボールペン。消しにくそうなおもしろ消しゴムが六種。サイズ違いのメモ帳が三冊。灰色や深緑など、見るだけでテンションがガタ落ちしそうな配色のカラーペン。日頃使うことのない定期入れ。小学生でも使わなさそうな、ごついシール類。最早何に使えばいいのか分からない、A6サイズのファイル。

 私は机上に肘をつき、額の前で指を組んだ。意識の向こう側からは、零夜が持っていたカップを皿の上に置く音が聞こえてきた。

「ハズレか」

「それ以外に言う言葉が見つからないわ。この定期入れ、柄は可愛いのだけれど。私、基本的に徒歩通学なのよね」

 私は息を吐く。零夜は苦笑していた。

「旅行用に使えばいいだろ」

「そうね。それがいいわ。私に所有権が移行してしまった以上、何かに使ってあげないとこの文房具たちが可哀そうだものね」

 そう口にするも、私は再度溜息を吐いた。

「何か飲むか?」

 気を使ってくれたらしい零夜が、そう尋ねてくる。私は視線をちらりと上に向けた。

「ココアが欲しいわ」

 零夜は即座に立ち上がり、カウンターの方へ注文しに行った。

 一人になった私は、改めて今日の戦利品を見遣った。否、戦敗品と言った方が良いのだろうか。どちらにせよ、この文房具たちの今後を考えねばなるまい。

 私は気の進まない思いで、三度溜息を吐いた。

「あら、真紀ちゃんではありませんか」

 不意に、別方向から高い声が聞こえてきた。私はそちらへ向き、声の主を確かめる。

 色素の薄い髪を編み込み、品よく後ろにまとめた髪型の少女が立っていた。彼女は私のクラスメイトで、文房具マニアである。

「杉並さん!」

「佳恵で良いですよ」

「佳恵ちゃん、奇遇ね」

 彼女は慎ましげに笑みを浮かべる。

「私も今日、あの文具店で福袋を買ったんです」

 私は、佳恵ちゃんの視線がテーブルの方へ向けられている事に気が付いた。私は複雑な心情を抱く。

「あぁ、あそこの。私もつい先ほど買ったのだけれど、目ぼしいものが入っていなくて……。どのように処理しようか考えていたところなの」

 そう返すと、俄かに佳恵ちゃんが近づいてきて、黒い瞳で私を凝視する。私は何事かと、目を瞬いた。

「なら、トレードしましょう」

 一瞬にして、私の心は晴れ渡った。

 そう、その手があったのだ。

 福袋の醍醐味、その二。それは、福袋を買った他者と、気に入ったもの、気に入らなかったものを物々交換するというものだ。互いの交渉はなかなか難しいところがあるかもしれないが、ハズレを粗方処分できるという点では、有効な手立てでもあるのだ。

 私は二つ返事で了承した。佳恵ちゃんは私の向かい側の席に座り、持っていた鞄の中から私のものと同じ橙色の紙袋を取り出した。それから、その中身を広げていく。

「私、真紀ちゃんのを一目見た時から、その五色のカラーペンが欲しいと思っていたんです」

 切り出した佳恵ちゃんの言葉に、私は目を見開かずにはいられなかった。

「え、このダークトーンのカラーペンが?」

 彼女はおっとりと笑みを浮かべる。私は狐に包まれたような思いがしたが、自分が持っていても仕方のない色だったため、すぐに了承した。佳恵ちゃんからは、パステル調のカラーペン五色を貰った。

「あと、クマ☆リスのおはじきシールもです」

 佳恵ちゃんが指差しながら付け足す。私はこのごついシールの名称を初めて知ると同時に、すぐさま彼女に手渡した。私は、佳恵ちゃんからスケジュール用の可愛いシールを貰う。

 その他にも、シャーペンとボールペンをトレードした。私の元にやって来た新たなそれらは、至ってシンプルなデザインが施されていた。

「ねぇ、佳恵ちゃん。本当に良いの?」

 あまりにも呆気なくハズレ文房具をトレード、もとい処分してしまったために、私は心配になって尋ねた。しかし、当の佳恵ちゃんは満足そうな表情を浮かべていた。

「勿論です。すでに公言しているから真紀ちゃんもご存じでしょうが、私は様々な文房具をコレクションしています。だから、こうしたマイナーな文具になるほど、コレクターにとっては価値が上がるんです」

 にこりと笑った後、彼女はさっさと戦利品をバッグの中に仕舞っていった。彼女はバッグの取っ手を肩に掛けると、静かに席を立つ。

「今日は、どうもありがとうございました。また何かトレードしたい文具があれば、いつでも声を掛けてください。それでは、ごきげんよう」

 令嬢らしい上品な佇まいで、佳恵ちゃんは去っていく。私は、暫く呆然と彼女の背中を見送っていた。

 淹れたてのココアを持って、零夜が戻ってくる。

「あれ、文房具が変わってる?」

 彼は壁側の席に座り、ココアの入ったマグカップを私の前に置いた。私は視線を戻し、「そうね」と呟く。

「世の中には、いろんな人がいるのね」

 私の言葉の意図を掴みあぐねた零夜は、「まぁ、そうだな」と困惑気味に相槌を打った。


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