大掃除
冬の朝の空気は一層冷たく、まるで心も体も浄化されるかのよう。大晦日の前々日、今日は久々の快晴である。
種田と藤村は、近所の寺の庭にいた。二人の他にも、十数人の大人や子供たちが軍手やビニール袋、箒、雑巾などの掃除道具を持って庭に屯している。
今日は、町内会による寺の大掃除が行われる日であった。参加した子供は最後にお菓子が貰えるということで、私も張り切って寺にやって来たのである。
私に割り振られた掃除担当は、外廊下の雑巾がけ。外気に晒されている廊下は、何とも掃除のし甲斐がある区域だ。
私の他にこの場所を任されたのは、タクと、千夏ちゃんであった。二人ともこの地区に住んでいる私のクラスメイトで、やはりどちらもお菓子目当てでやって来たようだった。
私たちは正面にある階段の前で靴と靴下を脱ぎ、靴下を靴の中に突っ込む。裸足で艶の取れた廊下を踏みしめ、バケツに汲まれた水で雑巾を濡らした。雑巾を縦にして効率よく水気を絞り取った後、私たちは横一列に並んだ。
先陣を切ったのは、タクだった。彼は、廊下の一番外側に立っており、二つに折った雑巾を床に置いてから、自分も屈んだ。まるで陸上競技の短距離走で使われる、クラウチングスタートのような姿勢だった。
彼は自分の中でスターターピストルを鳴らしたのか、無言で進み始めた。ドタドタと喧しい足音を立てながら、あっと言う間に突き当たりまで到着する。彼は瞬時に方向を百八十度変え、同じ速さで元の場所まで戻って来た。廊下には、彼が往復した直線の水の跡が見受けられた。
タクは片手に雑巾を持って立ち上がり、ドヤッと笑って見せた。千夏ちゃんは「すごーい!」と小さく拍手をしていたが、私は鼻で笑ってやった。
タクの次には、私が雑巾がけをした。足の裏が見える程強く駆け出し、両手で湿った雑巾を前に押し出していく。
かなり、速度は出ていたと思う。後ろの方で千夏ちゃんの感心するような溜息が聞こえてきたからだ。しかし、私は突き当たりまで来たところで、その足を止めた。ゆっくりと立ち上がり、小さく息を吐く。
私は往復せずに、雑巾を持って歩いて戻ってきた。タクが不可解な表情をするも、私は無視して千夏ちゃんの肩を掴む。
「私には出来ない。後は頼んだわ」
私の言葉に、千夏ちゃんはニタリと笑ってみせた。まるで、策士のような不敵な笑みだった。
タクがますます混乱するのをよそに、千夏ちゃんは雑巾を床に置いた。長い袖をまくりにまくり上げ、ぺろりと上唇を舌で舐める。
彼女はタクがとったような姿勢でスタートし、私たちに劣らない速さで雑巾がけをしていった。そして、廊下の突き当たりまで到着する寸前。
彼女は体の向きを、九十度左に方向転換してみせた。
流れるような機敏な動き。華麗なる直角ターン。千夏ちゃんはそのまま左に続く廊下の奥に消え、暫くして同じ要領でここまで戻って来た。立ち上がった千夏ちゃんと、私は右手でハイタッチをする。
「す、すげー!」
タクが感嘆の声を漏らす。千夏ちゃんは右手の甲で、額に浮かんだ汗を拭い取った。その時の表情は、至極満足げであった。
「せやろー。うち、神社の娘やけん、社殿周りとかの廊下掃除は得意なんや」
独特なアクセントを持った関西弁を喋る千夏ちゃんは、ニカッと白い歯を剥き出しにした。タクは驚きを抜けきれないのか、未だに瞼を上下させている。
私は、誇らしげな表情をした。
「雑巾がけに関しては、千夏ちゃんの腕はピカイチよ。私自身、まだ千夏ちゃんには及んでいないのだけれど。でも、経路がただの直線しか頭にないような雑巾がけ師は、二流でしかないわ!」
私はドヤ顔を返してやった。途端、タクの顔が悔しそうに歪んだ。彼は雑巾を強く握りしめ、廊下の突き当たり先を睨む。
「よっしゃ、それならマスターしてやるのみだぜ!」
タクは乱雑に雑巾を置き、「おぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!」と雄叫びを上げて駆けずり始めた。その後を、「まだまだやでぇ!」と千夏ちゃんが追っかけて行く。
こうしてはいられない。
私も袖をめくり上げ、雑巾に手を付いた。小さく深呼吸をし、カッと目を見開く。
今度こそは、私だって曲がってみせる!
大掃除が終わったのは、午前十一時を過ぎた頃だった。寺の住職が大きい段ボール箱の中から、袋詰めになった菓子を順々に子供たちに渡していく。
その最中、彼は息を荒げる三人の子供を見た。彼、彼女らは顔を真っ赤にし、額にびっしりと汗を掻いている。
天気の良い日故に汗を掻くならまだしも、どうやったら掃除をしただけでそこまで息が上がるのか。
住職は苦笑しながらも、その三人の子供に菓子の袋詰めを手渡した。