ケイドロ
薄く白みがかった空。太陽の光は弱く、地表は冷気に包まれている。そんな冬休みを目前にしたとある小学校の運動場には、赤白帽子を付けて駆けずり回る、元気な子供たちの姿が見受けられる。
小学校教師――岡部香澄は暖房の効いた職員室の窓から、その様子を眺めていた。子供たちの吐く息は白い。岡部は淹れたてのコーヒーを一口飲んでから、微笑ましげに頬を緩めた。
「ケイドロ、懐かしいなぁ」
一方、校舎の三階にある五年三組の教室では、とある事件が発生していた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!私のテクニカルペンシルちゃん第二十七号がぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!盗まれてるぅぅぅぅぅぅううううううううう!」
時は昼休み。給食を食べ終わってそれぞれが遊び始めた頃。唐突に一人の女の子が立ち上がり、叫んだ。彼女は日本でも有名な某文房具企業のご令嬢、杉並佳恵である。学校では右に出る者がいない程の大の文房具好きで、彼女は数多の文房具をコレクションしている。
私は待ってましたとばかりに、彼女の前に仁王立ちした。
「こんにちは、杉並さん。私は警視庁捜査第三課第六係の種田真紀よ」
そう言って、自作の警察手帳を開いてみせる。黒いフェルト生地で出来たそれには、黄色の旭日章と、自分の証明写真、それから氏名や階級、所属庁などが記された用紙が張り付けられている。これを見た杉並さんは、縋るように私の手を掴んだ。
「刑事さん、どうか、私のテクニカルペンシルちゃん第二十七号と、盗んだ犯人を見つけてください!」
私は胸を張り、満面の笑みを浮かべる。
「勿論、私に任せなさい!」
「ちょぉぉぉっと待ったぁぁぁあああ!」
私と杉並さんの間に割り込んできたのは、茶色いチェック柄のケープを羽織った男子――タクだった。彼は片手を腰に当て、ナンセンスとばかりに右手の人差し指を横に振る。
「その事件、この名探偵、藤村拓也が解決してしんぜよう!」
彼の後ろには、二人の男子が好戦的な目をして突っ立っている。私はニタリと笑みを浮かべた。
「出たな、迷宮入り探偵、藤村拓也!」
「そっちの『迷』じゃない! 俺のは名人とか名作とかの『名』だよ!」
私は目を伏せ、息を吐いた。体の向きをタクから杉並さんの方へ戻す。
「煩い探偵はさておき。盗まれた当初の状況を説明して頂戴」
颯爽と受け流されたタクは、憤りながらも杉並さんの方を向いた。杉並さんは小さく頷き、真剣な表情になる。
「えぇ。私が盗難に気付いたのは、ご覧の通り、昼休みが始まってからです。私はいつものように、コレクション用筆箱を開き、中に仕舞っていたテクニカルペンシルちゃん第二十七号を取り出そうと思っていました。けれど、何度探しても見つからないんです」
私は胸元のポケットから手帳と黒のボールペンを取り出し、杉並さんの説明をメモしていく。タクは顎に手を当てて頷くだけで、難しい顔をしている。
「それで盗難に遭った、と考えたわけね。分かったわ。それでは、そのテクニカルペンシルちゃん第二十七号の形状を教えて頂戴」
杉並さんは「はい」と答えて、小さく前ならえをした。
「これくらいのサイズで、色は控えめのゴールド。形は簡素なシャーペンと似たような感じだけれど、スマートな見た目をしています。トップには、コロナのマークが入ったチャームが付いています」
「コロナ、というと、某製菓企業の焼き菓子の商品名だな?」
タクが口をはさむと、杉並さんは肯定した。
「はい、実は、コロナの応募企画に応募した際に、抽選で当たった懸賞品です」
「と、いうことは、非売品か」
タクの推理に、杉並さんが「そうなりますね」と返す。私はこの会話を傍から聞きながら、杉並さんに再度質問をした。
「では次に、盗難に遭ったシャーペンを、以前に誰に見せたかについて教えて貰えるかしら」
私の問いに、杉並さんは考え込む仕草をする。彼女は「そうですねぇ」と呟いてから、私の顔を見据えた。
「私の文具友である、野分さん、波多さん、湯島さんの三人には見せた覚えがあります」
私はさらに言葉をメモしていく。
書き終えてから、メモの内容をざっと見直した。それから後ろを振り返り、教室の隅で固まっている女子三人を呼び寄せる。
「そこにいる三人、ちょっとこちらに来てくれるかしら」
三人はびくびくしながら、私たちのいる方にやってくる。
「あなたたちが杉並さんの文具友ね」
三人はぎこちなく頷く。私は腕を組み、三人を順々に見回した。
「最初に左のあなた、野分さんから話を聞かせてもらうわ」
私の凛とした声を聴いた長い黒髪の野分さんは俯き、切りそろえられた前髪で目を隠した。私は構わず言葉を続ける。
「あなたは杉並さんからテクニカルペンシルちゃん第二十七号を見せて貰ったそうね」
野分さんは前髪の隙間からちらりと私を見遣る。
「は、はい。見せてもらいました。でも! 私、盗ってなんかいません! 本当です!」
鬼気迫る形相で、野分さんは叫んだ。私は彼女に手のひらを向け、落ち着くように促す。野分さんは再び俯き、静かになった。
続いて、彼女の隣にいる女子に視線を移す。自分の番が来たことに気付いたのか、ショートヘアの女子は緊張に頬を固める。
「あなた、波多さんね。あなたも見せて貰ったそうだけれど」
「うん、確かに見せて貰ったよ。でも、コラボ文具とか正直私の好みじゃないし。盗む理由がないんだけど」
素っ気ない言葉だが、私はきちんとメモを取った。最後に、髪をアップにまとめた女子の方を見遣る。
「あなたが湯島さんね」
「そうだよ。……私も二人と同じく見せて貰ってる」
湯島さんは余裕の笑みを浮かべて私を見据えていた。私は淡々と質問を続ける。
「あなたは、非売品に興味はおありかしら?」
この言葉には、タクが顔を顰めた。しかし、私はそれを無視して湯島さんの反応を見る。彼女は肩を竦めて見せた。
「興味がない、と言ったら嘘になるね。でも、人のものを盗んでまでコレクションするような質じゃないよ」
私はメモに書き留めた三人の証言を眺める。
「では、三人の持ち物を見せて貰ってもいいかしら」
私の言葉に、波多さんが食ってかかった。
「そういうのは、プライベートの侵害って言うんだよ! ちゃんと、令状を持ってきてからにしなさいよ」
私は言葉を呑み込んだ。両隣に並ぶ二人の容疑者も、波多さんの言葉に頷いている。
彼女の言う通り、警察という立場を取っている以上、勝手な捜索は許されない。
私は溜息を吐いた。一歩引き、後ろでニタニタと笑っているタクに場を譲る。彼はゴホンと一つ咳払いをした後、嫌な笑みを浮かべた。
「さぁて、ここからはこの名探偵、藤村拓也様の出番だな! 俺は公職じゃないから、令状なんて要らないんだぜ」
三人の女子たちは後退った。
「さぁ、俺の前に女子三人の筆箱を持ってこい!」
タクの叫び声に、後ろにいた二人の男子が反応した。彼らはどうやら、タクの助手であるらしかった。
男子は三人の女子の机や鞄、ロッカーの中から筆箱を探し出し、タクの前に並べて見せた。筆箱は全部で、五つあった。
「タクさん、左から二つが野分さんの、真ん中二つが波多さんの、そして一番右の一つが湯島さんの筆箱です!」
助手の一人が報告すると、タクは「ご苦労!」と叫び、また一つ咳払いをした。
「さて、まずは野分さんの筆箱からだな」
そう言って、タクは懐から大きな虫眼鏡を取り出し、筆箱の中身を慎重に調査していった。それから順々に筆箱を開いては中身を見る、という動作が繰り返される。
タクの手が止まったのは、四番目の筆箱を調査している時だった。私も傍からそれを見て、目を大きく見開く。
タクは静かに手を放し、最後の筆箱もきちんと調査した。それが終わると、大きく息を吐く。
「犯人が分かった」
彼は静かに言い放った。教室中にざわめきが起こる。
タクはカッと目を見開き、人差し指を天井に向けた。
「犯人は」
小さく呟いた後、彼は勢い良く腕を振り下ろした。
「お前だ!」
指の先にいたのは、波多さんだった。彼女は不服そうに顔を顰める。
「はぁ? 証拠でもあるわけ?」
タクは左から四番目の筆箱を開き、中から一つのボールペンを取り出した。それはパステルカラー調で、ポップなデザインが施された一品だった。波多さんが歯を強く噛み締める。タクが説明を始めた。
「このボールペン。胴軸部分にプリントされたカラフルなアイスの模様。そして、誰もが見覚えのあるフォーティーワンアイスクリームのロゴ」
ここまで聞いて、私は口出しできない自分をもどかしく思った。タクが言葉を続ける。
「だが、波多さん。あんたはさっき、コラボ文具は好みじゃないって言ってたよな!」
波多さんの表情が強張った。唇がわなわなと震え、がっくりと手を床につく。その反動で、彼女のズボンのポケットから、例の盗難品が転がり出てきた。被害者の杉並さんが顔を綻ばせ、そのシャーペンを拾い上げる。波多さんが語り始めた。
「私は、私は……。このシャーペンが欲しくって、沢山コロナを買って応募しまくったんだ。それでも、一枚も抽選に当たらずに、送られてきたのは残念で賞のコロナのシール一枚。そんなの、あんまりじゃないか!」
「だからと言って、人のものを盗むことは、犯罪だわ」
漸く、私も口を開いた。タクは隣で静かに波多さんの様子を眺めている。
「でも! そんなの、不公平じゃん! 杉並さんは一枚しかはがきを送ってないって言ってたんだよ!? 少しくらい、私に分けてくれたって、いいじゃない!」
波多さんは嗚咽する。しかし、下を向いている彼女の表情は、誰にも見ることが出来ない。
教室内は静かになった。私は深く息を吐く。
悲しきかな。人の過ぎた欲望が、犯罪を招くのである。
昼休みの終盤、岡部は次の授業の資料を持って、校舎三階の廊下を歩いていた。その時、彼女は子供の泣き声を耳にした。五年三組の教室からだ。岡部は血相を変え、教室の扉を開いた。
「どうしたの!? 喧嘩でもしたの!?」
必死な声を出しながら見た光景は、教室の中心に集まった児童たちの姿だった。彼、彼女らは冷めた目つきで岡部を見据えている。
「あぁ、先生来たわ。席座ろー」
「次、何の授業だっけー」
何事もなかったかのように解散していく児童たち。彼らが取り巻いていた中心には、床に手を付く一人の女子がいた。岡部は、きっとその子が泣いているのだろうと近寄りかけたが、あっさりと立ち上がったその子は、ケロッとした表情をして自席に戻って行った。
「ケイドロ、今回は男子の勝ちだな」
クラスでも人気の高い男子、藤村君が一人の女子に向かって言った。学校内でもダントツに背の高いクラスのムードメーカー、種田さんは悔しそうに頬を膨らませる。
「令状にさえ気づいていれば、今日は勝てていたわ……。次こそは負けないんだから!」
そんな会話をした後、二人も席に戻って行った。教壇についた岡部は、二人の会話から教室で為されていた遊びを推測した。彼女は、ケイドロってそんな遊びだったっけ? と小学生の演技力に苦笑いを浮かべていた。