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ウォーキング・デッド・ベビー 中編

 1時間半後、僕は駅前のコンビニの前に来ていた。正確には約束した時間の15分前である。僕はヒトを待たせるのがあまり好きではないのでよっぽどのことがない限り自分が待つように時間を調整する。エイラはいつも時間の10分前にくるので彼女に対してはこの時間だ。

 ぴったり5分後、エイラがやってきた。なんだか服装がやたらとヒラヒラしている。大学にはもうちょっと露出が控えめな服を着てくるのが常なのだが、一体どういう心境なのだろうか。

「すいませんお待たせしました。待たせちゃいましたよね?」

彼女は軽く走ってきたのだろうか、頬には赤みが差していて少し息が上がっている。肌が白いから余計に目立つのだ。

「いや、さっき来たばかりだ。気にする必要はない」

「そうなんですか? 英くん、いつも先に来てますから毎回待たせてしまうのが申し訳なくて……」

なるほど、相手によってはこういう要らぬ心配を掛けてしまうこともあるのか。こんな言葉、駆の口から絶対に出てこないないだろう。今後、彼女と待ち合わせるときは時々彼女よりも遅く来てやる必要があるな。

「いや、本当に大丈夫なんだ、それじゃ行こう」

「はいっ、行きましょう」

 僕はエイラを連れて行きつけの喫茶店に来ていた。この喫茶店は紅茶全般が美味しい。なんでもここを経営している主人がスリランカで茶園のオーナーをやっている人と懇意にしているらしく、優先的に良質な茶葉を安価で仕入れさせてもらっているそうだ。人脈とはこういうときに役立つ。

 窓際の席に座った僕達は早速注文を取ってもらった。エイラは僕が勧めたミルクティーを、僕は昼食がまだだったのでサンドイッチとコーヒーを注文する。

「英くんはよくコーヒーを飲むんですか?」

「ああ、レポートの提出がギリギリになることが多々あるからその時はお世話になる。そういえば君の国ではコーヒーがよく飲まれるんだったな」

「はい、朝に飲み、昼に飲み、お客さんが来ては飲み、休み時間に飲みといった具合で常に飲んでいる感じです。日常のありとあらゆる場面で飲まれているんですよ」

「ここのコーヒーは比較的に浅煎りだから君の口に合うと思うよ。今度また来たときに頼んでみるといい」

「そうですね、その時はまた連れてきてくださいね。約束ですよ」

「ああ、それくらいならお茶の子さいさいだ」

そうこう言っているうちに注文した品がやってきた。相変わらずここのサンドイッチは美味しそうだ。一口かじってみる。うん美味しい。

「ところでだな、昨日の通り魔なんだが今朝捕まったらしい」

正確には死体になっているのを犬の散歩をしていた老人が発見したのだが、それについては敢えて言わない。変に不安を煽ることもないだろう。

「えっ、そうなんですか。捕まって良かったですね」

「ああ、そうだな」

 言わなければいけないことは言ったのでその後はこの間の夏期休暇中に駆の里帰りに連れていかれた話をした。駆の母親が豪快でどぎつかったとか、風呂が釜を沸かすタイプで、僕が入っている間に駆が大量の薪と空気を火に投入し、尻に火傷してしまった話だとか、そんな下らない話ばかりだったが、エイラはその一つ一つの話を一生懸命聞いては毎回笑っていた。どうやら彼女の笑いの沸点は低すぎる。

 

 ふと窓から外を眺めてみると、向かいの道で髪の毛を金髪に染めてだらしない服装をしている男二人がこちらを指差してお互いに何かを話し合い、ニヤニヤしていた。あまり気分が良いものではない。エイラは彼らに気づいていないようだった。

「エイラ、場所を変えよう」

僕は残っていたコーヒーを一気に飲み干す。

「? 分かりました。行きましょう。でもどこに行くんですか」

「君は前に日本の漫画喫茶に行ってみたいと言っていたな。そこを案内しよう」

「本当ですか! ありがとうございます!」

僕達が動き出すと金髪の男達も動き出す。まずいな、このままだと回り込まれる。僕は会計を済ませ、エイラの手をとって店を出た。男達とは反対側へと速足で進む。僕は男達を撒くために狭い路地へ入っていった。

「ちょっと英くんっ、手をつないでくれるのはその……凄く嬉しいですけど、何でそんなに急いでいるんですか?」

今はエイラに構っている余裕はない。面倒事はごめんなので、一刻も早くこの場を立ち去らなければならない。

「あのー、すみません、ちょっといいですか?」

後ろから男に話しかけられた。さっきの奴らだろうか。それにしては柔らかい物腰で違和感がある。たが話しかけてきたのが何者であるにしろ今は急いでいるのだ、構う余裕はない。

「ごめんなさい、いま急いでいまして――」

次の瞬間、僕は地面に横たわっていた。話しかけてきたのはやはりあの金髪の男達で手にはスタンガンを持っている。おそらく僕が振り返る前に首の後ろをあれでやられたのだろう。

「英くん起きて! 英くん!」

薄れ行く意識の中で視界に映ったエイラは男に後ろから羽交い締めにされて連れていかれるところだった。僕も男に担ぎ上げられ、そのまま男達に運ばれていく。エイラの首にもスタンガンが押し当てられ、彼女がガクリと気絶したところで僕の意識も飛んでしまった。


 目が覚めるとそこは打ち捨てられたオフィスのようだった。おそらくここは廃ビルなのだろう。割れた窓を見るとまだ明るい。ということはそんなに時間は経っていないはずだ。僕は足と手を縛られ、身動きが取れないようにされている。呼吸がしづらいなと思ったが、どうやら口にガムテープをされているようだった。

 僕はエイラを探したが彼女は目立つ場所にいたのですぐに見つけることができた。オフィスの一角にある応接スペースに設置された高そうなソファに座らされている。彼女はまだ目覚めておらず、肩を上下させてゆっくりと呼吸していた。

 すると西側の扉から誰かが入ってきた。見覚えがある。さっきの男達の片割れだった。ニヤニヤしながら僕を見つめている。だが僕が気になったのはその男が入ってきて開けっ放しになった扉の向こうの部屋の様子だった。そこには手拭いを口に詰め込まれて助けを求めることもできない僕と同じぐらいの年齢の女性が裸に剥かれ、下卑た笑いを浮かべた男達に襲われているところだった。どうやら金髪の男の仲間は少なくとも三人以上いる。控えめに言って厄介な状況だ。

「お、やっとお目覚めか兄ちゃんよ。てめえが起きるのを待ってたんだぜ」

なぜ僕達を襲ったのかとか色々と聞きたいことはあるのだが、口のガムテープが邪魔で喋れない。男はエイラの隣に座るとますますニヤニヤしながら僕とエイラを交互に見る。

「綺麗な女の子連れてるお前がムカついてよお、んだからてめえの彼女を目の前で犯してやったらどんな顔すんのか見たくてな」

なるほどそんな理由でさらったというのか。何ともつまらない理由である。

 僕はこの状況を打開するためにありとあらゆる場所に注意を向ける。応接スペースのテーブルに置いてある灰皿は武器になるはずだ、だがあれを取るには僕の拘束をはずさなければならない。後ろ手に縛られた手にチクリと刺さるものがあった。触ってみるとそれは鋭利なガラス片のようだ。オフィスの窓が割れていたところをみると、ここまで破片が飛んできていたのだろう。僕は運がいい。男に気付かれないよう、腕を縛っていた縄をガラス片で切り裂く。切れた。続いて足を縛っている縄も切る。まだ奴は僕が自由の身になっているのに気付いていない。後は不意をついてエイラを犯そうとしている男を昏倒させ、彼女を連れてビルを脱出するだけだ。

 男がエイラの身体に触ろうとしている。おそらく男はまずエイラの乳房を触り、僕の反応を見るだろう。案の定、男はエイラの乳房を揉みしだきはじめ、こちらの様子を伺ってきた。男は満足そうな顔をしてエイラのスカートに手をかける。彼女のスカートの裾は膝より下にあった。ということは座っているエイラのそれを僕に見えるように捲りあげるのには少し手間取り、隙が生まれるだろう。そこをつく。

 男はエイラのスカートを捲りあげ始めた。わずかにエイラの下着が見えたが、スカートが彼女の座っているソファの木部にできたささくれに引っ掛かった。とっさに男がスカートの引っ掛かりをとるために屈む。今ならこちらを見ていない。僕は背筋の瞬発力で立ち上がり、そのまま男に向かって駆け出す。デスクの上に重石があったのでそれを取った。突然僕が立ち上がったのに驚いて男がぎょっとしている。


「ぎゃあああああああああああああああ!」

と、突然隣の部屋から男の悲鳴が聞こえてきた。驚いて僕は立ち止まる。対する男も驚いているようで、立ち上がると隣の部屋の様子を見に行った。

「おい、どうしたんだよ?」

そう言って男が部屋を覗き込む。次の瞬間、男は凄まじい力で部屋の中へと引きずり込まれていった。

 そこからは悪夢のような怒号と悲鳴が隣の部屋から聞こえ続けた。女性の悲鳴、男達の命乞い、断末魔の叫び声、肉が千切れる音、血が飛び散る音、肉を咀嚼する音。地獄のような時間だったが、その中で最も印象に残ったのは。

「んあ~うひぃひぃ、きゃっきゃっきゃ」

と、時々聞こえてくる赤ん坊の笑い声だった。

 

 いつまで僕はそこに立ち尽くしていただろう。ペタペタと遠くへ去っていく足音を最後に隣の部屋からは何も聞こえなくなっていた。僕がいる場所からは隣の部屋の様子は見えない。先程隣の部屋で暴れていた何者かがこちらの部屋に来ていたとすれば僕もエイラも命はなかっただろう。今日の僕は本当に運がいい。隣はどうなっているのだろうか。こちらの部屋まで飛び散っている血を見るにあまり愉快な光景は広がっていないはずである。だが僕はここにいる以上、隣の部屋がどうなっているかを確認する必要がある。僕はそっと歩み出て、隣の部屋を覗いた。死ぬほど後悔した。

 そこにはおおよそ人の形をとどめている者はいなかった。四肢は千切れ飛び、強大な力で投げ飛ばされた死体が血で濡れた天井や壁に貼り付いている。男達に襲われていた女性はかろうじて人の体の形をとどめていたが、それでも無惨なものだった。全裸にされた女性の股は大きく開かれていたが、文字通りそこにあるはずの股座は無くなっていた。断面を見るにおそらく噛み千切られたのだろう。女性の股座は大きな空洞になっていたのである。

 ふと出入り口を見ると、そこには小さな小さな赤ん坊の赤い足跡が外までずっと続いていた。

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