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ウォーキング・デッド・ベビー 前編

 図書館というのは本当にすばらしい場所だ。静かで快適で何より読みたい本が山のようにある。ここで住みたいと言った人間が昔いたらしいがその人の気持ちは痛いほど分かるというものだ。かく言う僕も休日以外はほぼ毎日のように図書館に通っており、授業の時間やエイラや駆と一緒に過ごす時間以外はほぼ図書館にいると言っても過言ではないだろう。

 今朝は図書館に来てまず新聞を手に取った。僕は独り暮らしをしているので新聞をとっていない。だからまずは新聞を読む。スマホを持っていればインターネットから夥しい量の情報を瞬時に仕入れることができるし、そちらの方が便利なのは確かだろう。しかしながら新聞には紙媒体としての良さがあるように僕には思えるのだ。この御時世、情報を敢えて人の手で運ぶというところに何とも言えない魅力を感じるではないか。そうだろうエイラ?

「そうですね、英くんがそう言うなら間違いないありません」

エイラはニコリと笑って答えてくれた。いつも素直なので本当にありがたい。駆と違っていちいち文句を言ってこないからだ。

 僕とエイラは図書館にある新聞の閲覧スペースに来ていた。ここは休憩所も兼ねていて一般書架がある閲覧スペースとは隔離されており飲食や喫煙も可能である。僕はタバコを吸わないが駆は喫煙者なので、彼と一緒に来ると必ずこの場所に連れてこられる。

 エイラは日本の新聞を読むのが好きらしい。なんでも手触りが良いとかいう理由だった。記事の内容がといった理屈ではなく、感覚的なところで決めるのはいかにもエイラらしい。

 もちろん記事も読む。しかしながら彼女はまだ日本語を読むということに不慣れで読めない漢字が多く、読めない記事があれば僕が代わりに読んでいた。

「いつもありがとうございます、今度なにかお礼をさせてくださいね」

なんのことはない。数少ない友人の頼みなのだ。これぐらいはしてやりたい。

 彼女は地方欄を読んでいるところだった。その内の記事の一つを読んで顔をしかめている。

「どうしたエイラ」

「この事件なんですけど……酷いですね」

見てみると記事は次のようなものだった。

 近頃女性ばかりを狙った通り魔殺人が起きており、被害者は皆一様に腹を刃物で真っ二つに切り裂かれている。しかも傷口の断面には生体反応が見られるということだった。要するに生きたまま切り裂かれているのである。しかも犯人は腹の中に手を突っ込み子宮を鷲掴みにして引きずり出そうとしている形跡がある、と警察は発表しているようだ。

「確かにこれは恐ろしいな、異常性癖の類いか?」

「分からないですけど……こんな事件が起きてるって知ってしまったら私一人で夜道を歩けません。英くん、よかったら今日家まで送ってくれませんか。英くんぐらいしか頼める人がいないんです」

彼女は心底から怖がっている様子だった。確かに僕としてもエイラには危ない目にあって欲しくないので、彼女が言わなかったら僕の方から申し出ていただろう。

「分かった、僕に任せてくれ。しかし記事によると通り魔は凶器を持っているのだろう。なら僕だけではエイラを守りきれるか不安だから駆にもついてきてもらうことにしよう。あいつは荒事に強い。いざとなったら僕より頼りになる」

僕は彼女を安心させるため、万全の態勢でエイラを守れるようにと駆の同行を提案したのだが、彼女は何故か不満そうだった。頬を膨らませてむくれている。

「そういうことじゃないのになあ……」

と、彼女は小声でつぶやいた。どういうことなのだろうか。

 この後すぐに駆に電話し、事情を説明すると二つ返事でOKをしてくれた。持つべきものは友である、友達が少ない僕にとって痛感することがよくある言葉だった。

 

 その日の帰り道、僕と駆はエイラを挟むようにして歩いていた。これならその通り魔とやらも近寄ってはこないだろう。僕は駆と通り魔について語り合っていた。

「駆、今回の通り魔についてどう思う?」

「どうもこうもねえ、変態は何処にでもいるってこったろ。ただ変態がダメってわけじゃねえぞ。それで人様に迷惑掛けんのはいただけねえだけだ」

おっしゃる通りだ。駆も倫理的にまともなことが言えるんだなあと素直に感心してしまっていた。すると駆がいきなり僕を睨み付けてくる。

「お前、今俺に対して失礼なこと考えただろ、分かんだぞそんくらい」

勘が良いのがあまり可愛くないなと思う。

「よく分かったな、お互い付き合いが長いだけはある」

「ふふふ」

と、エイラが笑った。僕と駆が何か言い合いをしていると彼女は時々笑いだすことがある。おそらく仲が良くて微笑ましいと想っているのだろうが、駆とは幼いころから付き合いがある腐れ縁というだけで一緒にいるに過ぎない。一応彼女に断りを入れておく必要があるだろう。

「エイラ、君はたぶん分かっていないのだと思うが僕と駆はそこまで仲が言いわけではないぞ」

僕の言葉を受けても彼女はまだ微笑んでいた。

「そんなことはありません、英くん、駆くんと話すときはいつも笑ってるんですよ。顔にはあまり出ていませんが……。いつも見てるから分かるんです」

彼女はこういうことをストレートに言えるから本当に凄い。素直な気持ちを表現するのは人付き合いにおいて大事なことだ。だが自分が言われると少々気恥ずかしい。僕が顔を伏せると駆がニヤニヤしながら覗き込んできた。

「おいおい、言われてんぞ。そんなに俺と話すのは楽しいか、お?」

僕はもはや顔を背けることしかできない。「なんだ、素直じゃねえなー」「ふふ、そうですね」と駆とエイラが会話している。しばらくこのネタで二人にいじられそうだ。いじられるのは個人的に苦手だ。全くおいしいと思えない。


「きゃあああああああああああああ!! 誰か助けてええええええええ!!」

と、突然悲鳴が聞こえてきた。一気に全身の筋肉が固まる。どこかで誰かが襲われているのだ。時計を見ると午後6時を差していた。通り魔が出没すると言われている時間だ。

「駆、例の通り魔だ」

「だろうな」

悲鳴は鉄道の線路を隔てて南の方角から聞こえた。そこはあまり人が通らない道で不審者に注意するようにと言われている場所だった。駆が走り出す。

「急ぐぞ!」

エイラを一人にするのはまずいので彼女も連れていく。高架下をくぐり、線路の反対側に出て今も止まない悲鳴の元へと向かう。

「痛い痛い! やめてえええええええ! お願いだからああああああああ! お腹がああああああああ!」

しかし、その声が助けを求める声から命乞いをする声に変わったとき、僕達は絶望的な気分になった。もしかしたら襲われている女性はもう助からないかもしれない。だとしても通り魔は絶対に捕まえなければならない。僕達は足を速めた。

 既に女性の悲鳴は聞こえなくなっていた。しかし耳を澄ませると微かに刃物が肉を切り裂く音が聞こえてくる。僕達はその音を頼りに狭い路地を進んでいった。

 しばらく走ると僕達は目的の場所まで来ていた。次の角を左に曲がった先に通り魔がいるはずである。

「駆、分かってるな」

「ああ」

もう襲われた女性は助からないと確信した僕らは通り魔の不意をつくために奇襲を仕掛けることにした。まずは僕が路地を覗き込み、様子を見る。

 いた。男は倒れた女性に屈みこんでゴソゴソと手を動かしている。新聞記事には、通り魔は切り開いた腹に手を突っ込んで子宮を引っ張り出そうとした形跡があった、と書かれていたが、おそらくその真っ最中なのだろうか。もしその行為が異常性癖によるものなら今しかチャンスはないと思った。男は今、自分の性欲を満たすのに夢中になっているのである。ならば男には周囲の状況に注意する余裕はないだろう。僕は駆の腕を軽く叩いて突撃の合図をした。駆に腕を叩き返される。準備万端ということだ。あとは僕が飛び出せば駆も一緒に飛び出す。後ろのエイラの様子を見ると、不安で顔が青ざめていた。近くに殺人鬼がいるのだ。当然の反応と言える。これ以上彼女が不安にならないよう、なんとしてでもここで奴を捕まえ、警察に突き出さなければならない。しまった、先に警察に電話をするべきだったか。僕が一抹の後悔心を抱いていると通り魔は恐るべき行動をしていた。

 なんと女性の腹から赤黒く濡れた何かを取り出したのだ。その赤黒い物体からは管がのびていて女性の腹の中へと続いている。それはよく見ると人間の胎児だった。それに気づくと同時に僕の後ろでプツリと何かが切れる音がした。何の音だと確認するよりも早く駆が通り魔に向かって突進していく。

「なにやってんだてめえええええええええええ!」

駆の叫び声を聞いて通り魔はビクリと肩を震わせると、僕達とは反対方向に向かって駆け出した。その手にぶらんぶらんと胎児をぶら下げて。へその緒は既に切断されていた。

 通り魔は逃げるが駆の方が早い。駆はあっという間に通り魔に追い付く。しかし通り魔は懐から銀色の缶を取り出し、それを駆に向けた。

「な!?」

急に立ち止まった通り魔に不意をつかれる形で駆は前につんのめった。その駆の顔面に向かって銀色の缶から霧が噴射される。

「があっ!? ちくしょう!」

おそらくあれは催涙スプレーだ。おまけにここは狭い路地だ、その場で暴れる駆に阻まれ、僕も足を止められてしまう。通り魔はそのまま黒のボストンバッグに胎児を入れて走り去ってしまった。


 僕達は警察に連絡し、参考人として事情聴取を受けていた。僕と駆は残り、エイラは警官の同行でそのまま安全に自宅へ帰ったのでそれが救いといったところか。

 僕達は通り魔の服装や身体的特徴など様々なことを聞かれたがそれと同時にこういった緊急事態に陥った際の対処法についてもこってりと指導された。まず女性の悲鳴が聞こえた時点で警察と救急車、両方に通報するべきだったということ。そしてもう1つ、相手は凶器を持った通り魔なのでむやみやたらに立ち向かっていかないこと、ということである。特に前者に関しては僕自身が猛烈に後悔していた。早急に救急車に連絡し、被害者の女性が適切な治療を受けることができていれば助けられた命かもしれなかったからだ。それに関して駆は「あれは救急車を呼んでいても間に合わなかった。お前のせいで死んだわけじゃねえ」と慰めてくれたがおそらく今回の出来事は一生忘れないだろう。


 翌日、僕の元にニュースが入ってきた。通り魔の男が死体になって見つかったというのだ。

 男が見つかったのは僕達が逃げられた場所からそう遠くない位置にある河川敷の橋の下だという。男は何かに喉を噛み千切られて死んでいたらしい。どうやら抵抗したらしく男の手にはナイフとまだ未発達の赤ん坊の腕が握られていたそうだ。しかしながらその肝心の赤ん坊はどこにもいなかったらしい。警察の見解によると、身を隠すために河川敷までやってきた男はそこで何者かと出くわし、襲われる。男はナイフを使って応戦するが取っ組み合いの末、男は喉を噛み千切られて絶命。襲った人間は男のナイフを使って赤ん坊の左腕を肩から切り落とし、それを男に握らせてから、赤ん坊を持って逃走した、ということらしかった。奇妙な話ではあるが、現場に残った結果に何らかの合理的な説明を与えるのならばそうとしか考えられないように思うが、果たしてそうなのだろうか。

 とりあえずエイラを安心させなければならないと思った僕は彼女に連絡を取ることにした。せっかくの休日なのだ。気になる点はあるが彼女にもう通り魔はいなくなった伝えるついでに心優しい友人と一杯のコーヒーを飲む権利ぐらい、僕にもあるだろう。

 彼女の携帯にコールを掛けると2コールで応答があった。

『もしもし、英くん! 大丈夫ですか!?』

よっぽど心配したのだろうか彼女にしては珍しく声が大きい。僕は苦笑しながらも彼女を安心させるために柔らかい口調で言った。

「ああ、大丈夫だよ。心配掛けてごめんねエイラ」

僕の声を聞いて安心したのかほっと溜め息をつく彼女の声がスピーカーから聞こえた。

『よかった、英くんになにかあったら私どうしようかと思ってたんですよ』

「そんな大げさな、ただ警察で事情聴取を受けていただけだよ」

『大げさなんかじゃないです。私にとって英くんは凄く大切な人なんですから、何かあったら困るんです』

そこまで言ってくれるのは友人として非常に嬉しいものがある。素直な気持ちとは癒しにも成りうるのだとこの時初めて知った。

「ありがとうエイラ。それで今日なんだが、よかったら喫茶店でお茶でもしないか。昨日のことについても話したいし」

『本当ですか! 是非行きたいです。どこで待ち合わせしましょうか』

思ったより食いつきいいのでびっくりした。彼女も暇をもて余していたということだろうか。

「じゃあ駅前のコンビニの前で1時間後に落ち合うというのはどうだろう」

『え、1時間後ですか?』

「そうだよ」

スピーカーから彼女の「うーん」と悩んでいる声が聞こえる。

『すいません、1時間半後ではダメでしょうか?』

「もちろんいいよ。それじゃまた後でな」

『うん! それじゃまた後でお会いしましょう』

僕は彼女が言い終わってから一瞬待って電話を切った。彼女はこちらが電話を斬るまで絶対に自分から切らないからだ。それにしても最後の返事は元気が良かった。よっぽどいいことがあったのだろう。

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