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ヒクイト村

 今日は酷く暑い日で、朝の天気予報でも今年一番の猛暑になるだろうとお天気キャスターが物凄く嬉しそうに言っていた。1限目から講義があった僕は涼しい早朝の内に家を出れると思っていたのだが、それでも背中がぐっしょりと汗で濡れた程だ。信じられない暑さのせいか会う人は皆一様に元気がなく、それぞれが凍ったドリンクの入ったペットボトルをしゃかしゃかと振りながら歩いていたり、あるいは濡れたタオルを首にかけていたりと空しい暑さ対策をしていた。元気が無いのは人間以外でも同じようで、学校に行く道の途中、半ば猫の集会所と化している駐車場があり、そこでいつも朝一番に出てくる茶ぶちの小柄な猫がいて、そいつはいつも何かしらの虫を追いかけていたり、通りがかった人にすりよってはゴロゴロと泣いて餌をねだったりと騒がしい猫なのだがその茶ぶちですら駐車されている白いミニバンの鼻先で力なく横たわっているばかりだった。

 僕は素晴らしい文明の利器であるクーラーにありったけの感謝を捧げながら、このゼミではいつも隣の席に座っているエイラに話しかけた。

 「エイラ、今日のゼミは何をするって言ってたか覚えているかい?」

彼女は読んでいた日本文学史のテキストををパタリと閉じてこちらを見上げた。

「英くんが忘れるなんて珍しいですね。今日は夏期休暇中の課題についてですよ」

 そうだった、確かそんなことを言っていた。彼女は思いついたように人差し指をかかげ、少し身をのり出しながら僕の目を見て続けた。

「たぶんレポートか何かだと思うんですけど、実際はどうなんでしょう。よかったら一緒にしませんか? 課題をこなす上では都合がいいと思うのです」

僕は少し考えたが、おそらくバイト以外は特にすることもないだろう。断る理由はなかった。

「ああ、もちろんいいよ。僕も分からないことがあったら聞きたいし」

僕がそう言うと彼女は嬉しそうに微笑んで「ありがとうございます」と礼を述べた。するとちょうど教授が教室に入ってきたので彼女は慌てて机に出していた日本文学史のテキストを鞄にしまって教授の方に居を正した。僕も彼女にならって姿勢を正す。教授は持ってきたレジュメの束をガサガサと漁りながらこちらを見ずに話しはじめた。

「今から夏期休暇中の課題に関して説明するから静かにしてくれ。桐生、このレジュメをみんなに配ってもらっていいか」

そう言って教授はレジュメの束を僕に渡した。一応数えたがちゃんと人数分あるようだったので全員に配る。すると教授は僕に「すまん、俺の分もくれ」と言った。どうやら一枚足りない。

「英くん、よかったら一緒に見ませんか?」

ありがたいお言葉をエイラからもらえたので僕は自分の分を教授に渡し、彼は「すまんな」と言って受け取った。

 全員が席に着いたのを確認して教授が話しはじめた。

「突然ですまんが君たちの夏期休暇の課題はフィールドワークに決まった。一昨日あった会議で突然学部長が言い出してな。とりあえず君たちにはフィールドワークを通じて特定の地域の文化や因習、民俗などを調べてもらいたい。調べたらレポートにまとめてそれを夏期休暇明けの一番最初のゼミの時間に提出してくれ。調べる地域は日本国内だったらどこでもいい。あまり遠くへ行く必要もないぞ。文字数や様式はレジュメに書いてある通りだ」

レジュメには8000字以上と書かれていた。教授はしばらく間を置いて今日はもうすることがないから解散という旨のことを言い、足早に去っていった。


 僕とエイラは駆を待ちながら食堂で課題について話し合っていた。

「できれば特徴的な民俗を持った地域にしたい。その方がまとめるのが楽だし文字を稼ぐのにもちょうどいい」

「そうですね、でもどこがいいでしょうか?」

 その通りだった。この辺りの地域についてはよく分かっているのだが、求めているような条件の地域がない。となると遠出になりそうだ。いっそのことその地域にしばらく滞在して旅行気分で課題をこなすのも悪くないかもしれないな。

「どうせなら遠くに行って旅行がてらにフィールドワークをしないか。宿をとってしばらくそこに滞在するんだ。どうだろう?」

すると彼女は喜んで顔を綻ばせながら諸手を叩いた。

「いいですね! 一緒に行きましょう!」

まさか了承されるとは思わなかった。男と一緒に二人旅なんて普通気が進まないだろう。何か間違いがあったらどうするつもりなのだろうか。もちろん寝込みを襲う気など更々ないのだが。もしかして外国の女性は皆こうなのだろうか。もちろんそんなはずはないだろうが。

「ありがとう。じゃあ場所についてだが何かいい場所に心当たりはあったりするか? 多少遠くても大丈夫だ」

彼女は顎に手をやって少し考えたが、ややあって残念そうに首を振った。そりゃそうか。

 なおもしばらく僕たちはお互いに候補地について考えていたが良い案は出そうにない。エイラはまた顎に手をやって難しげに考えていたが、食堂に入ってきた駆に気づいて手を軽く振った。振られた駆はすぐに気づいたようで、こちらを見つけると大きく手を振り替えし、ひょいひょいと縫うように椅子や机の間を蛇行してこちらに近づき、僕の隣にドカリと座った。

「わりぃわりぃ、待たせたな。ところで聞いてくれよ、さっきコンビニでタバコ買おうと思ってレジの兄ちゃんに注文したんだけどよ、そいつがめちゃくちゃに無愛想で腹が立ったわ。返事は小せえし釣り銭は投げて寄越すしよ。しばいたろかこいつと思ったがなんとか踏みとどまったぜ。おう英二、心優しい俺を誉め称えていいぞ。ところで何を話してんだ?」

その前に僕の肩に置いたその手をどけてくれ、重たい。それとうるさいもちろん誉めるつもりもない。僕は駆が組んできた肩を外すと、クスクスと何か可笑しそうに目を細めてエイラが笑っていた。何か勘違いしているようだが僕と駆は別に仲良しさんなわけではない。

「今までエイラと夏期休暇中の課題について話してたんだ。課題の内容はフィールドワークでどこの地域を調べようか検討中だ」

「ああ、なんか言ってたなそんなこと。もうなんか当てはあんのか?」

「いやまったく」

その言葉を聞いて駆はニヤっと異様に口角をあげて笑った。最近知ったがこれは嬉しいときの表情らしい。

「ならよお、実はちょっと調べてほしい村があんだよ。ちょいと行ってきてくれねえか。いや、むしろ連れてけ」

そう言って駆は幼少期のことについて話しはじめた。

「俺がまだ小せえ頃に住んでた村の話だけどよ、裏手に山があって、さらにその山の裏にもう一つ村があったんだ。俺が行きてえのはその村なんだよ」

「なぜ今になって急に? 山で隔たっているとはいえ近くに住んでたなら行く機会はいくらでもあったんじゃないか? それに、そんなに近くなら村同士で多少の交流があってもいいはずだろう。そうなれば山道だって整備されているだろうし」

僕は当然の疑問を口にしたが駆は渋い顔をして言葉を続けた。

「それが交流とかは一切なかった。うちの村はなんだかんだで他のところと交流したりしていたから、たぶん裏の村が閉鎖的なだけだったんだろう。それ自体は別に珍しい話でもねえ。ただ気になるのは俺のじじいがやたらと俺に向かって、やれ裏の村には行ってはならんだの、裏山には近づくなだのと口酸っぱく言ってきやがってたんだ。おかしいだろ、こっそり行こうものなら一晩近くの墓地にたってる木に縛り付けの刑よ。別にとって食われたりしねえのによ」

確かに駆の言う通りそのおじいさんの言動は過剰に感じる。だが駆がまだ子供であったことを考えれば一人で山に入って遭難なんてこともありうるだろうし、その場合は単に過保護なだけだったということも考えられる。あるいはそのおじいさん本人が昔、裏の村の人間とイザコザがあったりしてそれを根に持っていた、とかだろうか。まあ何にしろ色んな可能性がある。

「なあ、エイラはどう思う」

僕は先ほどから黙って駆の話を聞いていたエイラに話しかけた。

「とっても気になりますね」

眼を輝かせながら即答された。ときどきこの子がよく分からなくなる。今の話を聞いて何か怪しいものを感じなかったのだろうか? 

「私、日本の古い家屋を見学してみたいんです」

ああ、なるほどそっちか。僕は駆に向き直った。

「なるほど事情は分かった。でもなぜそこまで行きたがる。単なる好奇心ってわけではないんだろう?」

駆は僕の言葉を聞くと黙ってテーブルに置いてある備え付けのナプキンを一枚とっておもむろに端の方をちぎりながら話しはじめた。

「実はだな、その裏の村には仲のいいダチが一人いたんだ。俺がこっそり山に入って遊んでたときに知り合ってな。それからは毎日のように裏山で会うようになって暗くなるまで遊んでたんだ。だけど一年ぐらいしてからそいつが急に来なくなっちまってな。体調を崩してて来なかったなんてことは前にもあったから最初は気にしてなかったんだがいつまでたってもそいつは来ねえ。結局俺も山に行くのをやめちまったよ」

「なるほど、それでその人の行方を知りたいんだな」

「そういうこった。久しぶりに会って話してえし」

なるほどなるほど、それで僕たちの課題の話を聞いてものはついでに、といった具合か。

「で、行くのか、行かねえのか?」

駆の手元には何の罪もないナプキンが無惨な姿で散らばっていた。僕はメモ帳とペンを取り出して二人の前に広げた。

「それじゃ、計画をたてようか」



 その日の帰り道、夜はもうすっかり降りていたが、猫の集会所と化している駐車場の横を通ったとき、異変に気づいた。暗くてはっきりとは見えないが、朝に見た茶ぶちの猫が今朝に居た場所と同じ場所で寝ているのである。なんとなく嫌な予感がした僕は茶ぶちの状態を確認しようとそっと近寄っていった。だが茶ぶちが起き上がる様子はなく、一向に横たわったままである。それは茶ぶちのすぐ側までやってきても同じだった。僕はスマホを取り出してライトを点け、茶ぶちに向ける。それと同時に猛烈に後悔した。

 茶ぶちはもはや絶命していた。頭は何か巨大なものに押し潰されたかのように潰れ、昼間のアスファルトの熱さにやられたのか肉が半分焦げている。死体を中心に広がった血はすでに乾いていて所々が剥げたようになっており、潰れた頭の付近には丸々と太った蝿や蛆が素晴らしいご馳走を見つけたと狂喜乱舞していた。

 市役所か保健所に連絡して回収してもらわねばと思ったが、いかんせんもうこの時間はやっていないだろう。ということは明日の朝にまた改めて連絡しなければならない。

 僕は鬱屈とした気分になりながらも横に目をやった。朝に駐車されていたはずの白いミニバンはそこにはなかった。



 フィールドワーク出発当日、僕とエイラ、そして駆の三人は電車やバスを乗り継いで県の外れにあるという駆の故郷の村に向かっていた。エイラは朝早くから酷くはしゃいでいたせいか、電車の振動にゆらゆらと揺れ、僕の肩の上に頭を置いて口元を綻ばせながら眠っている。たぶんその内、口の隙間から漏れた涎が僕の肩を濡らすだろう。

「ところでよう」

と、いぶかしげな目をしながら駆は口を開いた。

「お前とエイラって付き合ってんのか?」

「そんなわけないだろう」

僕は溜め息をつきながら答えた。その手の質問は同じゼミの友人にもよく言われるからだ。確かにエイラは僕に多少の好意を抱いてくれてはいると思うが、それは僕も同じだし、それと同じくらいの好意を駆にも抱いている。特別な意味合いは何もない。

「そりゃそうだよな、第一そんなことになってたらまず俺に言うだろうし」

「その通りだな、もし彼女なんてできた日には真っ先にお前に報告して悔しがる顔を見てみたい」

「言ってろタコ助」

と、つまらない会話をしていると寝ていたエイラがモゾモゾと動き出して薄目を開けた。どうやら起きたようである。口元を見ると大きな涎の滴が僕の肩に掛かろうとするスレスレのところまできていた。危ないところだった。

「よく眠れたか。もしかして昨日寝れなかったのか?」

エイラの顔を覗き込むとまだ半分寝ぼけているようだった。遠足の前日の小学生のようだが彼女ならあり得る。エイラは自分が僕の肩に頭を乗せているという状況に気づいたのかガバッと飛び起きて僕の顔を見て「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」と何度も頭を下げた。幾分顔が赤くなっているのは急に動いたせいだろうか。目がまだ寝ぼけ眼で若干涙で潤んでいる。これでは僕が泣かしてしまったみたいではないか。すると駆がその様子を見てからかうような口調で言った。

「あまり女を泣かしてやるなよこのスケコマシ野郎」

「失礼なことを言うな、僕は全く悪いことはしてないしお前も今の状況を見てただろう」

「ばーか、今じゃねえ、これからの話だよ」

意味がよく分からない。エイラはエイラで今は席の端の方に座って顔を伏せ、縮こまっている。そう言えば駆に聞かなければならないことがあったのを思い出した。宿のことだ。

「駆、宿の話なんだが、悪いがお前の実家に滞在させてもらってもいいか。調べたんだがあの辺りには宿が一件もなかったんだ」

計画を立てた初日、家に帰った僕は駆に聞いた村かあるいはその近くに宿がないか調べた。一件だけ民宿があったのだがそこはもうやっていないらしい。

「あー、わりいがそれは無理だ」

「そうか、やはり突然だったな。すまない」

「いや、ちげえんだ。俺の住んでた村なんだけどよぉ、実はもう廃村になっちまったらしいんだ。3週間くらい前にお袋から手紙が来てな、廃村になっちまったから自分たちがそこには住んでねえってことと新しい家の住所が書かれてたよ。いきなりだからビックリしたぜ」

「それはいきなりだったな、そんなに過疎化が進んでたのか?」

「いや、去年帰ったときにはそんなこと微塵も感じなかったぞ。だから余計に不思議でな」

 なんだか嫌な予感がする。奇妙な感覚だが駆の故郷の村に行ってはいけないと本能的に感じた。腕時計を見ると正午を回ったところだった。予定ではもうすぐ目的の駅についてバスに乗り変えれば村の最寄りのバス停に着く。そうすればあとは北に伸びた道を真っ直ぐたどれば、もう廃村になっているという駆の故郷の村に到着する。

「よし分かった。宿を探すのは村に着いてからにしよう。廃村になっているとはいえ、家屋が残っているはずだ。最悪の場合は駆の実家に行って滞在させてもらいたいんだが、それでいいだろうか」

「それなら全然いいぜ、電気はねえが幸い風呂は釜だから問題ねえ。食いもんは駅に着いたらコンビニで買っていこう。それほど村から離れてるってわけでもねえし、必要になったらまた戻ってくればいいだけだしな」

風呂があるのはよかった。僕と駆だけなら問題ないが女の子のエイラにとって風呂なしでしばらく過ごせというのは辛いだろう。横目で彼女を見ると風呂があることを聞いて安心しているようだった。

 バスを降りるとそこはもう山の中といった具合で道の両側には多くの木が鬱蒼と茂っていた。駆とエイラがバスを降りたの確認して辺りを見渡すと、バス道から逸れていくような形で北の方向に森の中へと入っていく道があった。たぶんあれが駆の村に続く道だろう。

 降りてきた駆は僕達についてくるように促し先頭に立って歩き始めた。僕達もそれについていく。山道を歩いている途中、僕は駆に話しかけた。

「そう言えば君の住んでた村の名前を聞いていなかったな、なんという名前なんだ?」

「山手村っていうところだ。山の手にあるからな。何の変哲もねえ名前だろ」

「確かにな。じゃあ裏の村の名前は何て言うんだ」

駆は少し考えるそぶりを見せ、思い出したというような顔で答えた。

「確か引井戸村って名前だったな、ただ昔は牛義村って名前だったらしい。村長の名前が牛義って名前だったからみたいだが、引井戸村になってからは知らねえ。名前が変わったのは俺が物心つく前だったけどな」

ヒクイト村か。当然だが聞いたことがない。横を見るとエイラがそろそろ疲れてきた様子だった。見ていられないので彼女の荷物を持ってやる。

「わ、いいですよ英くん。自分で持ちます」

彼女は慌てて僕から自分の荷物を奪い返そうとするが僕はそれを制した。

「いや、大丈夫だ。それより道の凹凸に気をつけろよ。」

「えへへ、ありがとうございます。それではお言葉に甘えて」

彼女がお言葉に甘えるということはよっぽど疲れていたのだろう。朝から無理をさせてしまったのかもしれない。以後は気をつけたいものだ。

 


 20分ほど歩くと道が開け、大きな土地に出た。どうやら駆の故郷に着いたらしい。天気が非常に良く、抜けるよう青空とちぎれた雲が爽やかな印象を与えてくれる。空気もおいしい。だがそこには信じられない光景が広がっていた

「人がいる?」

なんと畑で人が仕事をしていたのだ。それだけでなく村全体を見渡してみるとちらほらと人が歩いていたり作物を載せた軽トラックが走ったりしている。要するに普通の生活が営まれているようだった。駆も驚いたようで困惑している。

「駆、村は廃村になったんじゃなかったのか。なぜ人がいる」

「いやそんなはずはねぇ、確かにお袋の手紙には廃村になったって書いてあった。そんなつまらん嘘をついてもしょうがねえ」

その通りだ。しかし現実として人がそこかしこにいる。ここは村民らに事情を聞く必要があるだろう。

 僕達はとりあえず畑で何か作業をしている人がいたのでその人に声を掛けることにした。

「すみません、この村の方ですよね、少しいいですか」

その人はこちらに振り返るとぎょっとしたような顔をした。僕らみたいなよそ者がいきなり声を掛けてきたのに驚いているのだろう。

「はいはい、何かな?」

そのおじさんは和やかな声でこちらに向き直り、作業を止めてこちらまで来てくれた。あの距離だと少し声を張らなければならなかったのでありがたい。

「あのですね、この辺りに吉岡さんという方はいらっしゃいますか? この村が廃村になると聞いていたので会いにきたのですが」

僕はとっさに適当な名前をでっち上げてその人に会いにきたことにした。おじさんは少し考えてから残念そうな顔をして僕に告げた。

「すまんが心当たりはないな。それと廃村になるという話だが誰から聞いたんだい? この村が廃村になるなんてことはしばらくないと思うよ」

「やっぱりそうですよね。僕もおかしいと思ったんです。ありがとうございました」

何かがおかしい。僕たちはおじさんにお礼を行ってその場を立ち去る。おじさんから離れたところで駆が僕に話しかけてきた。

「おい、英二、ちょっと聞いてくれ」

やたらと声をひそめるので僕も声を潜めた。

「どうした、さっきのおじさんのことで何か在るのか」

「実はだな、さっきのおっさんなんだが、俺の知らない奴だった」

「どういうことだ」

「俺はこの村の人間の全員と顔見知りなんだ。それだけじゃねえ、周りを見渡しても知ってる奴が一人もいねえ」

奇妙な話である。駆が去年の夏にこの村へ帰省したらしいがそれから一年の間に人の流入と流出が突如集中したのだろうか。ありえるかもしれないが、その可能性は薄いだろう。

「ということはお前の実家にも家族はいないのかもしれないな」

「そうだな、引っ越したのかもしれねえ、だが何で廃村になったなんて書いたんだ」

「それが問題だな」

突然裾が軽く引っ張られたので何かと思ったらエイラだった。前方を指差している。

「誰か人が来ますよ」

彼女が指差す方向を見てみると初老の男性がニコニコしながらこちらに歩いてきていた。得体のしれない不気味さを感じるがひとまずその男性が来るのを待つ。男性は僕達の前まで来ると立ち止まって僕らに握手を求めてきた。

「ようこそ、引井戸村へ。遠いところからよくいらっしゃってくれました。私はこの村の村長の朽山です」

いまこの男はなんと言った? 僕は気を取り直して聞いてみた。

「すいません、この村はなんとおっしゃいましたか」

もはやこの村に対する違和感が拭えない。

「ヒクイト村です。引っぱるに井戸と書きます。何もないところではありますがゆっくりしていってくださいね」



 村長に案内されたゲストハウスで僕と駆は話し合っていた。エイラは「これが日本の古きよき古民家なのですね」と家中をくまなく見学している。今は天井の瓦葺を見て「おー」と圧倒されているところだった。

「状況を整理しよう。僕達は駆の故郷である既に廃村となった山手村に向かっていた。だが実際に来てみれば廃村になどなっていなくて、そこら中で生活が営まれている。それだけではなく村の名前が山手村から裏山の向こうにあったはずの引井戸村に変わっていた」

「さっぱり分からねえな。来た道を間違ったわけでもねえし。俺の村はどこに行っちまったんだ」

考えられる可能性があるとすれば山手村が引井戸村にのっとられてしまったということだ。では何のために? しかしそうなるともともと山手村にいた人々はどこに行ったんだ。どこかに引っ越したのだろうか。駆の母親は新しい住所送ってきたらしいが、こうなってくるとその手紙も信じられない。

 とりあえずこの村を調べてみる必要があるということで駆と意見が一致した。もしかしたらこれは警察沙汰になるかもしれない。だとしたら証拠をおさえる必要があるし駆の家族の行方も気になる。

 ひとまず現在時刻が午後4時なので暗くならない内に本来裏山の向こうにあったはずの引井戸村を見に行こうという話になった。僕達の予想が正しければそこにはもう廃屋が残るばかりで何もないはずである。エイラは昨日徹夜したらしく、ゲストハウスを一通り見回ったところで「眠くなってきました」と言い出したので休ませることにした。裏山には僕と駆の二人で向かうことにする。

 エイラを布団に寝かせ、ビデオカメラやライトなどの準備をした僕達は早速出発しようとしたのだが、玄関を開けるとすぐ目の前に村長がいた。

「おっとすいません、泊まって行かれるのでしたら今日の夕食についてのことを話さねばと思って来たのですが、どちらかお出掛けですか?」

相変わらず貼り付いたような笑顔が不気味だが言葉や語調に悪意は感じられない。善意も感じないが。もともとそういう顔なのだろうか。そうならばお気の毒である。

「いえ、村を見て回りたくて。普段は都会暮らしなものですからこういった自然豊かな空気をもっと感じたいのです」

「そうでしたか、よかったら案内をつけますが」

「いえ、結構です。お手を煩わせるのも悪いですし、その辺を見て回るだけですので」

「そうですか、分かりました。ではお気をつけて。特に畑の横などは足を踏み外して落ちてしまうということもありますので」

「お気遣いありがとうございます」

僕達は会釈してその場を立ち去ろうとしたがまた呼び止められた。

「すいません、本来の目的を忘れるところでした。夕食はどうしましょうか」



 僕は今夜は泊まらせていただくという旨を伝え、夕食の時間とその他もろもろの注意事項についての説明を受けた。その注意事項の一つに裏山に近づいてはならない、というものがあった。

「どう思う?」

僕と駆は裏山に向かいながら話し合っていた。

「どうもこうもあの村長といいこの村は何もかもが胡散臭え。それにさっき裏山には熊が出るから近づくななんて言ってたがありゃ嘘だ。あの山に熊が出るなんて聞いたことねえ」

やはり嘘だったか、と僕は合点がいった。ということは村長は僕達を裏山に近づけたくないのか。ならなおさら裏山に行かなければならない。

 僕達は人目を避けながら裏山に向かう。幸いにも誰とも出くわさず裏山の麓までこれた。一度森の中へ入れば誰かに見られる心配もないだろう。

 森に入るとまだ日が出ているにも関わらず途端に辺りが暗くなった。周囲の気温がぐっと低くなったことを肌で感じる。それと同時に空気にぬめりを感じるようになってなんとも嫌な気分になった。それは駆も同じだったようでお互い言葉も少なくなる。辺りには枯れ葉を踏む乾いた音と小枝が折れる小気味のいい音しか聞こえなくなった。駆が先導し、僕が後ろを警戒しながらついていく。

 しばらく歩くと駆が立ち止まって足元を指差した。何かに気づいたらしい。彼は僕を呼ぶとこう言った。

「この道はつい最近大勢の人間が通ったらしい。他のところと道の様子が違うし足跡もある」

足跡は分かりづらかったが、今僕達が歩いている場所と他の場所との地面の違いは一目瞭然だった。明らかに枯れ葉が少ない。人が踏み荒らした跡だった。

「これは引井戸村の人間のものだろうか?」

「たぶんな。俺の記憶が正しければこの跡を辿っていくとガキの頃によく遊んでいた洞窟に着く。秘密基地ってやつだ」

更に歩いて行くと駆の言った通りそこには洞窟があった。その前は少し開けた広場のようになっていて、大勢の人間が集まって座り込んでいたような形跡がある。それを示すようにその広場の中心には焚き火の後があった。洞窟はそれほど深くはないようで、ライトを向けると一番奥の壁が見える。確かに子供の遊び場には最適なように思えた。昔はここで駆と件の引井戸村にいたという友人が二人で楽しく遊んでいたのだろう。だがそんなことよりも気になることがあった。

「なんだこの臭い?」

洞窟の奥から微かな腐臭と血の臭いがするのである。それには駆も気づいたようで「何だよこれ」と半ば言葉を失っていた。

 僕と駆は洞窟の奥へと進んでいく。おそらく中で動物が死んでそれが腐っているのだろうと思いながら。だが僕の頭の中では恐ろしい妄想が膨らんでいった。そしてその予想は的中してしまったのだった。

 それは洞窟の奥の方、少し窪んだ場所におぞましいほどうず高く積まれている骨を見れば明らかだった。ところどころにある頭蓋骨を見れば、それが人間の骨であることがすぐに分かる。

「おええ!」

あまりの光景に僕と駆はほぼ同時に嘔吐をしていた。辺りの腐臭に混じって胃酸の酸っぱい臭いが立ちこめる。そして人骨の山の横には干からびて緑色に変色した人間の内臓が山をなしていた。それはよく見ると脳髄と肺、それから食道だろうか、管のようなものの三種類しかなかった。胃や腸、肝臓などはないようである。よくよく見れば洞窟の壁際には長机が設置されていて、その上には斧や包丁、まな板、鍋などが整理されて置かれていた。僕は何とか平静を取り戻し、この状況から推察できることを考える。選別されたように捨てられた臓器、僅かに肉がこびりついた骨、そして一般家庭にあるような調理器具。まさか……。

「喰ったのか?」

口にするのも恐ろしかったがそれが真実なのはほぼ確実だった。信じられないことだが引井戸村の人間は人肉食を行っている。しかもつい最近に始まったことではない。駆は昔、山の裏にあった牛義村の名前が引井戸村に変わったと言っていた。それは牛義村の人々がある日やってきた引井戸村の人間に襲われ、喰い尽くされてしまったのだろう。

 ドサリと隣で駆が膝をついた。おそらく僕と同じ結論に至ったのだろう。目の焦点は合っておらず、ただ無表情に正面を見つめて何事かをブツブツとつぶやくばかりだった。家族が何者かに食べられたのだ。気がおかしくなっても仕方がない。

 僕はこれからしなければならないことを考えた。とにかく今は一刻も早く駆を正気に戻し、エイラを迎えにいってこの村を脱出しなければならない。彼女を一人にしてしまったのは完全に失策だった。ポケットから携帯を取り出して見たが案の定圏外だったので、僕は露骨に舌打ちをしてしまった。急いで行動を起こさなければならない。いつ村人達が本性を表して襲いかかってくるか分からないからだ。

「駆! 頼む正気に戻ってくれ! ご家族のことは本当に残念だった。でも今はエイラが危ないんだ。僕と一緒に来てくれ!」

僕の叫びも空しく、駆の様子は一向に変わらない。おそらくこの状態の駆を連れてこの村を脱出することは無理だ。

 僕は予定を変更し、村を脱出することは諦めた。今はエイラを迎えに行ってここまで連れてくる。そして駆を拾って一晩の間、山の中へ身を隠し、頃合いを見計らって村を離れることにしよう。今はそれが最善手だ。

「待ってろよ駆!」

僕は今来た道を走っていく。途中で振り返って駆の様子を見ようとしたが、やはり洞窟の中は真っ暗で駆の姿は見えなかった。

 森を抜けて村へ戻ると、もう日が沈み始めていた。畑仕事を終わらせた人々が家へと帰っていく。見た目は普通の人間に見えるがこいつらは人喰いなのだ。僕はなりふり構わず、全力でエイラがいるゲストハウスを目指す。

 途中で軽トラックに邪魔をされた。いや単に道が狭かったので向こうから走ってきた軽トラックの横を走り抜けることができず、立ち止まって避けたというだけのことなのだが、今ではそんな他愛のないことですら僕を苛つかせる。

 頼む間に合ってくれ、と僕はひたすら足を動かし続けた。ゲストハウスが見えてきたので更に足を速める。

「エイラ!」

と僕は乱暴に戸を開けた。引き戸が溝から外れて一瞬倒れそうになる。しかし、僕の声に対する彼女からの返事はなかった。まだ寝ているのかと思い靴も脱がずにそのまま上がり込む。しかし、家の中にエイラはいなかった。トイレにもいない。背中に寒気が走り、自分の顔が青ざめるのが分かった。

「間に合わなかったのか……?」

僕は途中ですれ違った軽トラックのことを思い出した。あれは裏山の方に向かっていった。ということはあれにエイラが乗せられていたのか?

「まずい、まずいぞ」

僕はまた走ってきた道を引き返す。が、家を飛び出したすぐのところで村長に呼び止められた。

「どちらへ行かれるのですか? もうすぐ御夕食の時間ですが……」

僕は彼の目を見た、見てしまった。彼の貼り付いた笑顔、細められた目の奥、明らかに僕のことを食料として見る目だった。

「くそ!」

僕は村長を無視して走りだした。

「待ってください! 待って! こっちに戻ってきてください!」

後ろを見ると村長が追いかけてきていた。それに気づいた村人が、一人、また一人と村長に加わって僕を追いかけてくる。

 途中、通りすぎた民家の前で食器を荷車に載せて準備している女性を見かけた。その周りを小さな男の子が無邪気な笑顔で「やった! 今日は御馳走なんだね! やったやった!」と飛びはねている。悪夢のようだった。

 山の麓まで来ると先ほどすれ違った軽トラックが停めてあった。当たり前だが中に人は乗っていない。おそらくもうエイラは洞窟まで連れていかれている。急いで追い付かなければならない。

「いやあああああああああああああああああああああああ!!」

と、洞窟がある方からエイラの声が聞こえた。

「エイラ!」

僕は全速力で山を登り、森を駆け抜けていく。追っ手はもうすぐそこまで迫ってきていた。

「助けて! 助けてえええええええ!」

エイラの悲鳴が段々と近くなっていく。もうすぐ洞窟に着く。彼女の声は断末魔のような雰囲気ではなかったので、おそらくまだ解体は始まっていない。僕はエイラが縛り上げて吊るされている光景を想像した。一刻も早く助けなければならない。

 洞窟が見えてきた。それと同時に洞窟から飛び出してくる人影が見える。あれは……。

「エイラ!」

「英くん!」

エイラは僕を見つけると飛びついてきた。きつく抱き締められる。身体はガクガクと震えていて服がところどころ破けていた。間一髪というところだったのだろう。恐ろしい思いをしたに違いない。僕は彼女を安心させるように抱き締め返す。しかし、まだ終わっていない。後ろから追っ手が迫っているのだ。枯れ葉や枝を踏みしめる音が聞こえてくる。

 その時、ザザザと洞窟の方から音がした。目をやると血まみれになった駆が出てくるところだった。おそらく駆自身は無傷で血は返り血なのだろう。手には血濡れた斧を握っていてもう片方の手には見たことのある顔をした男の首がぶら下がっていた。村で最初に話しかけた男のものだった。

「殺してやる、殺してやる、殺してやる」

駆はそうつぶやきながら持っていた首を投げ捨てた。彼の後ろにはバラバラになった男達の死体が散らばっている。洞窟からは先ほどとは比べ物にならないほどの血の臭いと生温い空気が漂っていた。

 追っ手が追いついてきた。僕を追いかけていたのには違いないのだが、この状況では血の臭いに誘われてやってきた亡者のようにしか思えない。振り返ると彼らはもうすぐそこまできていた。手には鍬やシャベル、出刃包丁と思い思いの凶器を持っている。目はどれも血走っていて狂気にのまれているのが一目で分かった。このままではまずい。僕は大丈夫かもしれないがエイラは腰が抜けていて逃げ切れそうにない。ならここで迎え撃つしかないが相手は大の大人が十人前後、しかも各々武器を持っていてこちらは丸腰。洞窟の中に武器になるものがあったはずだがそれを取りに行くのは隙が大きすぎる。駆が加勢してくれるとしてもこの人数を裁ききれるかどうかは微妙だ。考えている間にも村の男達はジリジリとこちらに近づいてきている。徐々に広がっているところを見るとどうやら僕達を取り囲もうとしているようだ。時間が経てば経つほどこちらが不利になる。

 すると突然、後ろにいた駆が男達に突進していった。

「おらぁ! ぶっ殺してやるよおおおおおおお!」

 それからは一方的な殺戮だった。駆は一番右端にいた男に襲いかかり、斧を振り下ろす。男は手にもった鍬の柄でそれを受け止めようとしたが、駆の斧はその防御ごと男の肩から胸にかけて叩き割った。

「があああああああああああ!!」

駆けるはそのまま叩き斬った男を前蹴りで突飛ばし、その後ろにいた男を巻き込んで転倒させて、倒れた男の足に斧を振り下ろした。鮮血がほとばしって足がちぎれ飛ぶ。その駆の後ろからシャベルを振り下ろそうと別の男が大きく振りかぶった。

「うらあああああああ!!」

駆はふりむいた勢いで斧を振り回し、そのまま無防備にさらけ出された男の首を撥ね飛ばした。首がなくなった男は首の断面から噴水のように血を吹き出し、ビクビクと痙攣しながらその場に倒れ、既に絶命しているはずなのにそこら中をのたうち回る。

 エイラはこの地獄絵図を目を見開いて見つめていた。もはや腰は完全に抜けてしまっていてその場にへたり込み、全身がガクガクと震えている。口からは極限までか細くなった息が漏れるばかりで、声を上げることもできなくなっているようだった。

 駆は既に七人の男を絶命させていた。それにも関わらず駆の身体にはまだ力がみなぎっていて、渾身の力で目の前の男達を殺し尽くそうと斧を握る手に力を込めている。対する男達は駆の気迫に完全にやられてしまっているようで戦意を喪失してしまっていた。何とか隙を見て逃げようとしている。そのまま逃げてくれればありがたいのだがおそらく駆は彼らを逃がさないだろう。

 とつぜん木の陰から何か小さいものが風を切る音が聞こえた。何かと思ったが間髪入れずに肉に固いものが叩きつけられる鈍い音が聞こえる。

「がはっ!」

駆が後頭部をおさえてその場に倒れてしまった。見ると彼のすぐ側に拳くらいの大きさの石が転がっている。一部が血で濡れていたので、その石が木の陰に隠れていた何者かによって投げられ、それが駆の頭に直撃したのだと分かった。

「うおおおおおおおおお!!」

と、村の男達が一斉に駆に飛びかかっていった。駆は何とか抵抗しようと倒れたまま斧を振り上げるが、その駆の腕にシャベルの刃が突き立てられた。

「ぐああああああああああ!!」

暗くてよく見えないが駆の右腕が切断されたのが見えた。なおも駆の身体には鍬やシャベルや包丁が叩きつけられる。人体はあんな音を立てることもできるのか、何故か僕は感心してしまっていた。駆の体から血と肉と脂肪が飛び散る。ヌメヌメとした赤紫色の内蔵が引きずり出される。駆だったものがただの肉の塊になっていく。エイラは既に気絶していた。僕はエイラを連れてここから離れるべく、彼女を担いで走りだした。

「よくも! よくも又兵衛を! この糞野郎!」

「死ね! 死ね!」

幸いにも村人たちは僕達のことなど眼中にないようだった。一心不乱に駆の身体をぐちゃぐちゃの挽き肉にしようとしている。駆はもう助けることはできない。

 僕は山を越えるべく闇夜に紛れていった。もう奴等に見つかる心配はない。この暗闇から僕達を見つけ出すのほ至難だろう。洞窟の方からは復讐の快感と御馳走が手に入った喜びで高笑いを上げる村人達の声がいつまでも聞こえてきていた。

 


 山の中で眠れない一晩を過ごし、携帯の電波が通じるところまでやってきた僕達はすぐに引井戸村のことを警察に通報した。間もなく警察がやってきて保護された僕らはそのまま署まで連れていかれて事情聴取をされ、解放されたときには午後三時を回っていた。僕の証言を元に警察は村の捜査を行い、件の洞窟を発見。それを証拠にして村人は全て警察に逮捕されたという。

 駆の死体は見つからなかったそうだ。おそらく彼も例に漏れず奴等に喰われたのだろう。ある民族には戦争で勝利した相手の民族全て食べてしまうものがあるという。それには相手の魂を鎮めるという呪術的な意味合いがあるらしい。彼らもまた、略奪した村の人を喰らうことによってその魂を鎮めようとしていたのだろうか?

 


 1週間経った今、僕とエイラはいつも通りに生活していた。特にエイラは引井戸村で起きたことを忘れようとしているかのように明るく振る舞っている。もともと人懐こい性格ではあったのだが、あの事件が起きてからというもの更に人懐こくなったように見えるのが痛々しい。彼女の傷が癒せるとは思えないがそのための努力は続けていくべきだろう。まさしくその努力にこそ意味があり、そうすることでしか僕達を生かしてくれた駆への感謝を示せないと思うのだ。

 今日の予定は午後からエイラと会ってショッピングに行く予定だ。何でも買いたい服があるようで、それが似合っているかどうか見てほしいのだという。

 僕は課題のフィールドワークをどうしようかと思いつつ家を出た。おそらくエイラはすっかり忘れてしまっているのではないだろうか。

 待ち合わせの駅に向かっている途中、向こうから軽トラックが走ってきた。道が狭かったので無理せず立ち止まって道の端に身体を寄せる。軽トラックは僕の横を通る際に徐行したのだが、そのすれ違いの際に運転手に見られているような気がした。窓にはスモークが貼られていて中の人間を確認することはできないが、窓の向こうから突き刺さるような視線を感じる。

 軽トラックは僕の横を通りすぎるとそのまま走り去っていった。さりげなくナンバーを確認すると、そのナンバーには見覚えがあるような気がした。

 腕時計を見ると時刻は12時45分を差している。待ち合わせの時間まであと15分しかない。

「やばいぞ、これはやばい」

僕は走り出した。猫の集会所と化した駐車場の横を通りすぎる。茶ぶちの死骸はもう綺麗に片付けられていた。

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