第十六話
良い時と言うのは続くもので、それからすぐに、お屋敷にウェザーからの手紙が届いた。
『ラフレッチェの姫君が、君に興味を持っている。こっちに来て、入団テストを受けないか』
俺はすぐに手紙を返した。『すぐにでもそちらに行きたい。行ってもよいか』と。
ラフレッチェを率いているのは、セントサイモンの第四王女である。その姫様が、直接見たい、だなんて。
このチャンスを生かさないわけにはいかない。
数日後に、再びウェザーから手紙。
『迎えを寄越すらしいので、お屋敷で待っていてほしいとのこと』
そういうわけで、俺はラフレッチェに行くということを両親に伝えた。
「これで駄目なら、まあ、もう駄目でしょう。諦めます」
そう言いながらも、俺は自信に満ちていた。
あの球は、早々打たれない。打たれないはず。いや、きっと。たぶん。できるはず。
日がたつごとに、徐々に失っていたけれども。
「カズヤさん? これが、石鹸、これが、髪につける油、これが、内臓を整える薬ですからね」
と、アリーシャさんは俺がこの家を離れると知って、アリーシャさんは色々なグッズを取り揃えてくれた。
「これが、簡易テント、野宿をしても大丈夫なように。これが、幸運のペンダント、これを着けてさえいれば、旅が無事に終わるらしいわ。これが幸運の壺、ああ、それと、『よくわかる! ラフレッチェの道筋』の本も持っていかないと」
「……いや、お母様? さすがにこれを全部持っていくのは、しんどいんですが」
「でも、途中で何かあったら……」
「大丈夫ですよ」
「そうかしら? あ、そうだわ。忘れないうちに、これを……」
と、アリーシャさんが差出したのは、グラブだった。
「私が作ったの。ぐらぶって、守っている位置によっていろいろあるのね。カズヤさんのはピッチャー? だったかしら?」
おお……
凄い。ぴったりと嵌る。しかも、市販の物とは違い、小さめなサイズ。コントロールや変化球を重視するピッチャーに向くのだ。
「ありがとう、お母様……ん?」
グラブのベルトに、何か文字が書かれてある。
そこには母親であるアリーシャ・ベルモントと姉であるアーニャ・ベルモントの文字。
「辛い時でも、私たちはあなたを見守っていますよ」
こ、これを着けてテストに行けと? 試験官がみている前で……?
「お父様の名前もと思ったのだけど、断られたわ。あの人ったら」
「いえ、えっと……」
アリーシャさんは小首を傾げる。その顔を見て、俺は「有難うございます」と言うしかなかった。
……グラブはラフレッチェに貸してもらおう。
「ええと、あとは、そうね……」
と、アリーシャさんは背を向けて、お役立ちアイテムの選別に再びかかる。
その背を見ながら、俺は、いつしか言おうと思ったことを口に出そうとしていた。
魔法を使えない俺が、どうにかチャンスを得られたのは、あの時アリーシャさんに叱咤してもらったおかげだ。
そもそも、五体満足に生まれてきたし、これまで何不自由なく育ててもらったのだ。感謝しか出てこない。
そんなことを言おうとしたのだけど。
「……」
言葉が出てこない。
何なのだろう。子供の時は、こんな言葉もするっと出てきたんだけど。
照れくさい。ええい、しかし、こんな時じゃないと言えないぞ。
「お、お母様」
意を決してアリーシャさんを呼んだその時、部屋の中に使用人が飛び込んできた。
「坊ちゃま! 門の前に、あの、お迎えの方が!」
「え?」
「あの、あの、ラフレッチェから来たと仰っておられるのですが」
お迎え? にしては、何でこの使用人は慌ててるのだろう。
ともあれ、俺は荷物を持って、玄関へと向かう。
「あら、カズヤさん? グラブを忘れているわ」
……やはり誤魔化せなかったか。渋々と俺はグラブを荷物に収めた。
玄関を出ると、「遅いわ!」と一喝された。
気の強そうな金色の瞳。ウェーブがかかった桃色の髪が、風でなびいている。
赤色のこれでもかと言うくらいに気合の入った豪奢なドレス。茶色のブーツをのっしのっしと踏み鳴らし、彼女は否応なしに俺の手を握った。
「時間がないのよ!」
「え? すみません……ええええ!?」
門の前に立っている生物を見て、俺は驚いた。
王族にのみ使用を許可された幻獣ペガサスが、門の前で手綱を結ばれている。
「と、ということは、あなたはラフレッチェの姫様?」
直接? 何で? んなバカな。
俺が問うと、彼女はキッとその瞳を向けてくる。
「うるさいわよ! とにかく時間がないんだから! しっかり捕まってて!」
いうや否や、彼女は俺をペガサスに載せて、手綱を引いた。その瞬間、視界は空高く舞い上がる。
「あわわわわ! ちょっと落ちる! 落ちる!」
「急ぐんだから! 口閉じてないと舌噛み切るわよ」
それから、ジェットコースターのような空の旅を、俺は一時間満喫することになった。