52 流れゆく
(作者的には)ある意味リベンジ。
前半はヤクモ視点、後半はノルン視点に移ります。
前回のあらすじ:過去の夜雲によく似た"彼"は、ヤクモの存在を狙っている。
背中に薬草が生えた龍が浸かったお風呂は、薬草風呂になるのかな。
小さくなった秘薬華龍――リンちゃんが入ったお湯入りの桶を捕まえて、じっと観察してみる。……こころなしかお湯が緑色っぽいような気がする。
「クゥ?」
「いや、なんでもないよ」
じっと見つめられてることに気づいたのか、お湯につかって満足そうに目を閉じていたリンちゃんが不思議そうに見上げてくるけど、それに笑って返す。桶から手を離せば、お風呂の水面をゆっくりと遠くへ流れていった。静かな揺れが心地いいのか、リンちゃんはまた目を閉じると、快く息を吐いた。
穏やかな心持ちだった。
ついさっきまで、平常心じゃなかったんだなと分かる程度には。
横になってお湯の中に沈み込む。
黒い石材のせいか、こうしているとあの、おそらく【混沌の器】の内部だと思われる空間に似ているようにも思えた。静かで温かく、少し苦しくて、どこか安心感を覚えるような……。
そしてここには、夜雲に似た彼はいない。
代わりに――
「ヤ、ヤクモちゃんが溺れてます!?」
アーシュの悲鳴が響くと同時、転移の時に感じる浮遊感がわたしを襲った。
● ● ●
「大丈夫ですか!? 気分悪くないですか、頭が痛かったり胸が苦しかったりしないですか!?」
「ふゃあ!? ごめん紛らわしいことしたのは悪かったから! と、とりあえず離してー!」
アーシュの目の前に転移させられたわたしは、心配そうな顔であちこち触ってくるアーシュから全力で抵抗した。……抵抗した、けど、さすがに相手は神様の一柱、わたしの抵抗などものともしない。
正面から抱き着くような格好だけど、これむしろ調べにくくなってるんじゃないかな!?
「別になんともなぃ……っ」
「ちゃんと大人しくしててください!」
顔を背けたり目を閉じたりしながら抵抗していたのがよくなかったのか、アーシュの手が肩にのせられた次の瞬間には、わたしは床に押し倒される形になっていた。固いはずの床はなぜかわたしを柔らかく受け止め、暴れるのを抑えるようにアーシュが四つん這いになっている。
思わず見開いてしまった視界に暴力的なまでに白い肌が移りこんだ。
「今調べてるんですから、じっとしてくださいね?」
滑らかな手がわたしに触れて。
アーシュの体から滴り落ちた水滴が、わたしの上を流れていく。
「……――――〜〜〜〜っ!?」
羞恥心が一周回って冷静になったのか、アーシュが驚くほどの速さで転移を実行。
ただしやっぱり急いだせいか、目標からは少しずれ、派手な音と飛沫を立てて水面に飛び込むことになった。
「……けほっ、こほ」
「無事?」
「うん、少し咳きこんだだけ……」
自分も飛沫を被っただろうに心配してくるカグヤに返事を返して、桶ごとひっくり返ってしまったリンちゃんを助けおこす。とても迷惑そうな目で見られてしまった。
うん、ごめん。でも今のはしかたなかった。しかたなかった……。
忘れるように頭を振り、頬の熱さを誤魔化すようにお湯をかけた。
「アーシュもちょっと過剰だったね。ずっと見てたんだから溺れたわけじゃないのは分かってたでしょ」
「……う。まぁそうなのですが」
心配で、と小さく付け足してアーシュは気まずそうに目をそらした。
「一応両成敗ってことでお互いに謝っておくのがいいんじゃない?」
「そうですね……。ごめんなさいヤクモちゃん」
眉を下げて伏し目がちに謝ってくるアーシュは初めて見るくらいに萎れていて、慌てて居住まいを正した。勝手なことして勝手に慌てたようなものだから、そんなにされると罪悪感が刺激される。
「わたしこそごめんなさい。……あと、心配してくれてありがとう」
――あのおそらく【混沌の器】内だと思われる空間から帰還して。
恐怖によるものか――自分のことながらよく分からない――わたしはアーシュに抱き着きながらも震えながら事の顛末を語った。真剣に聞いてくれるアーシュに励まされるように、あまり上手くない説明ながら全てを話した後、少し気分を変えましょうか、というアーシュに連れられるようにしてお風呂までやってきた。
正直、一緒に入るのにはまだ抵抗があったけど、それ以上にあの時は精神的に疲れてることもあって流されるままお湯に浸かることにした。カグヤとノルンも少し遅れて参加して、今に至る。
何も考えずお風呂に入っていれば、不思議と心が落ち着いて、疲れが抜けていくような気がした。
……さっきのは少し、いやけっこう慌てることになったけど。うん。
「いやーそれにしても、のんびりお湯に浸かれるなんていつぶりかな? いつもは神力でぱっと汚れ落として終わりだもんね」
いつまで経っても記憶が消えず、頭を振り続ける挙動不審なわたしの元にノルンがやってくる。お湯に溶けていきそうなほど緩い顔の彼女も、あからさまに妙な動きをするわたしを見て怪訝な顔をした。
「……何してるのさ」
「な、なんでもない……」
「やっぱり頭に」
「ごめん大丈夫だから!」
だからアーシュは大人しく体洗っててくださいせめて頬の赤みがとれるまで!
ついさっきまではのんびりしてたはずなのに、一度意識してしまったせいか全くもって落ち着かない。獣人の五感は鋭いので、視覚は当然聴覚や嗅覚なんかもばっちりなんだぜ。……もうみんなから距離をとって壁でも向いていようかな。
「(でも手遅れだよね、忘れてるみたいだけど妹ちゃん以外はみんな読心がデフォだよ?)」
「……っ!?」
こそっと耳元で囁かれた!
波が立つほどの勢いでノルンに振り向けば、楽しむような困り顔が出迎えた。
こころなしか、カグヤの位置がさっきより近づいてる気がする。
「お年頃だもんね、気になるよね。お姉ちゃんの艶姿が焼き付いて離れないんでしょ」
わなわなと震えるわたしに構わず、ノルンは上機嫌に口を動かし続ける。最後には肌が触れるほどの距離に近づいて、慈愛の笑みを浮かべて言うのだ。
「大丈夫。妹ちゃんがどんな色欲を抱えてても、みんなちゃんと受け入れて……」
「うわぁあああああああぁ、ノルンのばかぁ!!」
――いろいろと耐え切れなくなったわたしにはもう、大声で場をひっくり返して逃げ出すこと以外何もできなかった。
● ● ●
逃げるように(ようにもなにもそのままだけど)地上に戻ってきて十数分。
着替えて瞑想してベッドの上でひとしきり暴れて、ようやく正気が戻ってきた。
「ふわぅ、もう……。まだ顔が熱い気がするよ……」
というか、今ここで顔の熱が引いたとしても、これからどんな顔してみんなに会えばいいのか分からない。絶対いろいろ意識しちゃうじゃん。記憶を消す道具とか【倉庫】に転がってたりとかしないかな。
「カグヤが帰ってきたときに、もし普段の無表情以外だったら心が折れるかもしれない」
例えば軽蔑の目とか。近寄ったら距離を取られる感じで。もしかしたら羞恥とか。会話する時も目を合わしてくれないような。……ダメだな、確実に引きこもる。または「たびにでます。さがさないでください」……。
いやカグヤのことだし。きっといつも通りの無表情で帰ってきてくれるはず!
……それはそれで内心何考えてるか分からないってことか。
「ああぁ、もうどうすればいいのさぁ!!」
「ヤクモ?」
「ふわぁああう!?」
タイミング!
大声を上げた瞬間にカグヤから声をかけられて、驚きのあまりベッドの上から転がり落ちてしまう。床に衝突する前にカグヤが支えてくれたから痛みなんてないんだけど、痛み以外の要因で震えが止まらない。
ぷるぷる震えるわたしは不審者です、しばらく放っといてください……。
「そういうわけにも。大丈夫?」
……大丈夫じゃないのかもしれない。主に頭が。
いやそういうのはいいんだよ。
「カグヤ、ありがとう」
「ん。ヤクモはわたしが守る」
そのまま支えてもらいながら、ベッドの上に座りなおしてカグヤと正面から向き合う。
いつも通りの無表情で目も合わせてくれるので少し安心しつつ、内心何を考えてるか分からない問題は解決してないな、なんてことも思った。
だからといって自分からあの話題を振るなんて自殺行為できないけど。
……ええい、引きずりすぎだわたし。
カグヤも表面上普通だし、もう別の話題に切り替えよう、そうしよう。
「えっと……。そういえば、帰ってくるの少し遅かったね、何かあった?」
あれ、もしかしてこれ話題切り替わってないかも。わたしが落ち着くのを待ってたとか言われたら、いたたまれなさがもう一度限界を迎えるぞ。次はどこに逃げればいいんだ。
「……【混沌の器】の対処について話し合ってた」
「あ、そうなんだ」
さっきの予想が違ったようで何より。でもそれ、わたしが参加しなくていいのかな。
不思議に思って首を傾げて見せれば、伝わったのかカグヤはゆるゆると首を横に振った。
「……対処はアーシュ達がしてくれるから。他の人員は必要ないって」
「それならそれでいいけど」
んー、でも少しだけ、“彼”との決着は自力でつけたいような気もする。
わたしにべったり関係あるのは間違いないんだし。
「気にしなくていい。ヤクモは守られてくれたら。それで」
「……カグヤ?」
「ヤクモはわたしが守る。から」
わたしが座っていて、カグヤは立ったまま。だからだろうか、少し下を向いて話すカグヤの顔が泣きそうなように思えてしまった。
● ● ●
「ずいぶんと厄介なことになっちゃったね」
最初に見たときは、触れさえしなければ安全な類のものだと思ってたのに。予想を超えて暴れだした現状に溜息が漏れる。
少し前まではびっしりと文字が書かれていた情報を何度めくっても、そのページに何も映し出されない事実は変わらない。完璧なまでの白紙。
ここには【混沌の器】の情報が載っていたはずだ。
これらの情報は叡智の神の管轄で、私に気づかれることなくいじることなんてできないと、思ってたん、だけどなー……。
「やはりヤクモちゃんの言う“彼”の影響でしょうか」
「たぶんそうだと思う。これ現象としては白紙に書き換えられたように見えるけどさ、実際には情報が映し出せないレベルにまで過負荷をかけられてるっていうのが正しいから。偶発的なバグとかじゃないよ」
情報が消えたのではなく、無駄な情報を大量に送り込み続けることで本来の情報をかき消しているのだ。常にロード中、スクロールバーが欠片も動きませんと、そういう状態なわけだ。
そして、それを維持するために、
「常時何かしらからの干渉を受け続けている、ということになりますか」
「そうなるね。気づいたときに私のほうでも対抗策を打ってみたけど、笑えるほど簡単に迂回されちゃった」
いやほんと、自信失くすね……。
「少なくともノルンを上回るほどの実力を持つ、神界を脅かす敵、ですか」
「そうなるなぁ。私達に対処されるとまずいことをしてるから、情報を隠すんだろうし」
……でも、情報を手に入れたところで、私達に何かできるんだろうか。
妹ちゃんが語った【混沌の器】内での出来事だって、私はおろか、アーシュも、【契約】を通した繋がりがあるカグヤでさえも感知することができなかったのに。
はっきり言って、神界が現体制になってから最大の危機だ。
「こうなるとさ、いると思うんだよね。【混沌の器】が原因なのはほぼ間違いないから、事態収束のためにスキル所持者を殺せって言いだすやつ」
そしておそらく、解決の方法としてはそれも間違っていないのだ。彼女を殺せば、当然魂に紐づく【混沌の器】も消失し、神界への影響はなくなる。
……まあもしそんなことを実行するなら大戦争だろうけど。
私も暴れるけど。
「そんなことは許しません。それに、その方法で解決したとしても守られるのは今の神界ですから、意義もないでしょう」
アーシュが今不思議なことを言った気がする。
今の神界を守るために一番尽力してきたのはアーシュだろうに。
役割に埋もれ、誰かに会うこともなくただ指示だけを淡々と出し続け、時にその身を削ってまで。
あのとき、アーシュが統一神を名乗ってから、今までずっと、変わることなく。
「妹ちゃんが大事だから、方針を変えるの?」
「それも否定する気はありませんが、それだけではないです。……単純に、そろそろ変わるときだろうと」
答えるアーシュに、考えながら話している様子はない。
きっと、今この場で思いついたことでなく、もっと前から考えていたことなのだろう。
「神界はもう限界です。本来なら、もう崩れ去ってもおかしくなかったものを、無理やり安定させてきたのだからまだ保ったほうかもしれませんが」
回復の目処が立たない損耗が多く、後はもう削れて壊れ、朽ちていくだけだ、と。
――このまま何もなければ。
「ヤクモちゃんと“混沌”の影響は大きく、神界の今後を左右しかねないほどだと認識しています。それをただなかったことにしても、今あるマイナスは消えません。もちろん見守るだけでもいけません」
アーシュが私を見た。
かつて私達をまとめ、今に至るまで統べている――力ある瞳だ。
「この件を排すべき障害ではなく待ち望んだ合図としましょう。焼け跡を耕すばかりでなく綺麗な花を咲かせる種を植えましょう。“安定”ではなく“変革”をもって、私達の未来を造りましょう。遺された私達が、過ごしやすいように。
――協力してください、ノルン」




