51 深層
ずいぶん遅くなってしまいました。
今回の話は、少し毛色の違う雰囲気になってます。
次回以降は元に戻る、はずです。
前回のあらすじ:神様たちと会議をすることになったようだけど……。
心地よい解放感を感じながら暗闇の中を揺蕩っている。
ゆっくりと沈んでいくのを感じながら、時折黒以外の色が混じる視界をぼんやりと眺めていたけど、ふと気がついた。
――ここ、どこだろう?
全く見覚えのない場所だった。いつからここにいるのか、どのくらいの間こうしていたのかも分からない。頭を下にして沈んでいる感覚があること、辺り一面真っ暗なことから深海みたいだと思わなくもなかったけど、水の感触は感じないし、そもそも普通に呼吸もできる。
明らかに異常事態。だけどわたしは不思議と焦りは感じず、むしろ安心感さえ覚えていた。【空覚】を使えばもっと詳しい情報が分かるだろうけど、それをしようという気にもならない。
「ずいぶん深くまで沈んできたものだね。戻れなくなるよ?」
声がした。
すぐ近くからだった。
一瞬毛並みが逆立つような緊張が走ったけど、それも揺蕩う安心感に呑まれて消えていった。
わたしはゆっくりと声のしたほうに体を向けると、いつのまに現れたのか一人の人物が逆さまの状態で(わたしが頭を下に沈んでいるから、その状態が本来普通なのだろうけど)わたしを見つめていた。
着ているのは、少し大きめでサイズの合っていない、わたしが通っていた高校の制服。
真意の読めない薄い笑みを浮かべるその顔は、今までの人生、鏡の中で見続けてきた顔。
「……え?」
「ふむ、こうして客観的に見てみると、ずいぶんと顔面偏差値が上がったな、なんて思っちゃうね」
今、わたしの目の前にいるのは、転移する前のわたしだった。
● ● ●
予想外の人物に頭が回らなくなる。何をすれば、何を言えばいいのかまるで定まらずに口をぱくぱくさせることしかできない。
「おお、ずいぶん混乱してるね。うん、いいリアクションだ」
からかうように言いながら近づいてくる彼はにやりとした笑みを隠そうともせず、あまり好意的とは思えないその顔を見て、なんだか逆に落ち着いた。
「あなたは誰?」
「ん、俺か? いやいや分かってるだろ? 俺はおまえで……」
「嘘だよ」
予想通りの返答を切って捨てる。
「確かに顔は同じだけど、わたしはそんないやらしい顔しないし」
「それはどうだろうな。自分の顔なんて普通には見れないだろ? 信じたくないかもしれないけど実際にはこんな顔してたんだって」
にやついた顔のまま軽い口調で語る彼は、馬鹿にした目でわたしを見た。互いの顔しか見えない距離まで近づいてきたせいで、黒い瞳に反射して、白金色の狐耳少女、今のわたしの顔が見える。
「おかしいのはおまえのほうだ。こんなファンタジー美少女のどこが俺なんだ?」
「…………」
囁くような彼の問いかけに、思わず口を閉じる。
別に今さら自分のことを疑ってるわけじゃない。わたしはわたしだし、ちゃんと夜雲から繋がってる存在だ。ただ、随分変わってしまったのも確かなことで。見かけ上の話で言うなら、わたしよりも彼のほうが夜雲っぽいなぁ、なんて思ってしまった。
まぁ、引っかかったのは少しだけ。
「言いたいことは分からなくもないけど、話がずれてるよ。わたしはあなたが誰なのかを聞いてるの」
「……は。俺はおまえだって言ってるだろ? 詳しく言うなら、そうだ。今のおまえになるまでに捨てていった過去の残骸っていうのはどうだ? ほら、おまえがしないと言い切った表情も、捨てたものだっていうなら納得できるだろ。だから……」
「あなた、自分の発言を信じさせる気ないよね」
終始薄気味悪く笑いっぱなしなうえ、今思いついたとばかりに軽く述べられる内容に、信憑性を感じろと言われても難しい話だ。
そして多分だけど、わざと信じられないように話している気がする。表情もそうだけど、一言話すたびにわたしの顔を覗きこんできて、完全に私の反応を見て遊んでる。
夜雲の顔をしているのになんかだんだん憎らしく感じてきた。
「もう一度聞くよ? わたしのスキルでも情報が読めないあなたは一体誰?」
彼は――ひどくおかしそうに、声をあげて笑った。
初めは小さく、だんだんと耐え切れなくなったのか、次第に声を大きくして。
「――はははっ! もう少し動揺してくれてもいいと思うんだけどなぁ。それならキミが今乱発してるスキルにも僕が夜雲だって情報が出るよう改竄できたのに」
いくら【慧眼】を発動させても彼の情報は出てこない。正確には、何枚も出てくる情報窓が全て白紙のままなのだ。
もし彼の言うように隙を見せていたら、この白紙が誤情報に書き換わっていたんだろう。
「でもま、何度聞いても僕の答えは変わらないよ。なんたって嘘はついてないからね。僕はキミだ、もう既に」
目の端に涙を溜めながらも、笑いの収まった彼はそんなことを言った。にやにや笑いは跡形もなく、ひどく爽やかな表情だった。
……何が言いたいのか、結局彼が何者なのかまるで分からないけど、これ以上聞いても答えてくれないんだろうな。少なくとも、どこか意味深な今の言葉以上には引き出せそうにない。
「さあ、もう僕のことはいいだろ? 後で勝手に想像してくれ。それよりも、この場所についての話をしようじゃないか」
おおげさに両手を広げると、芝居がかった口調で提案した。
さっきまでの笑い方が演技だったんだなと分かる程度には晴れやかな態度に、振り回された側としては顔をしかめたくなる。
「……もし、情報交換がお望みなら、わたしはここのこと何も知らないけど」
「僕が一方的に教えるさ。もともとキミに会いに来たのはここの説明をするためでもあったし。……というか僕としてはもっと早くに聞いてくるかと思ったんだけど、気にならなかったのかい?」
いや、気になってはいたけど、どう考えても夜雲似のあなたの正体のほうが優先度高かったんです。
「……そうだな、ここがどこか、はまず置いといて経緯からかな。キミはここに来る前のことどこまで覚えてる?」
来る前、と言われて首を傾げて考える。
確か初めてカグヤとの模擬戦で一撃入れて、【叡智の書庫】に行ってノルンに自慢して、そしてそれから……。
「……神様たちを集めてもらって、会議してたはず」
「そこまで覚えてたら十分だよ。でもたぶん、内容については覚えてないだろ? キミはそうそうにダウンしたからね」
詳しく話を聞くと、どうやらわたしは会議に集まった神様たち数十人分の神力にあてられて気を失ってしまったらしい。いくら私が規格外でも人と神、根本的に存在の格というものが違うようで、白熱した会議にヒートアップした神様たちが漏らしてしまった神力の威圧についていけなかったらしい。
……自分から集めておきながら最後までいられないとか、申し訳なくてしかたない。
「気にすることはないと思うけどね。今回ははっきりいって神族側の不手際だ。普段はきっちり抑えてられる神力を、感情が昂った程度で乱すなんて、言い訳の余地もなく修練不足としか言いようがないね」
「上から目線なうえに辛辣だね。……そういうことが言える立場なの?」
今回は演技じゃなく、本気で馬鹿にしているようだった。
言ってることはもしかしたらその通りなのかもしれないけど、実感なくてもわたしの義兄姉だ。その態度がなんだか気に食わなくて非難めいた言葉を投げかける。
……なんだか彼に対しては、平常心で会話することが難しい。同じ顔の他人に出会ったら、否応なしに殺し合いになるって話をどこかで聞いた気がするけど、そういうのなのかな。
まぁそれはともかく。
思わず言った言葉だったけど、案外的を射ているかもしれない。よく考えてみれば【慧眼】の情報源は神様の領域だ。それを改竄できるっていう彼は神様っていう可能性はある。前にアーシュとカグヤが喧嘩して、職業の神様のところにお世話になったときみたいに、彼は気を失ったわたしを介抱してるっていう……。
「残念、それじゃ外れだなあ。そもそも僕は何回もキミだって言ってるよね?」
「……まだわたしは口に出してないよ」
少なくとも、彼は読心ができるくらいの実力があるらしい。
呼吸をするように自然な読心はそれこそ神様たちの専売特許だと思うんだけど……違うのか。カグヤもできるし、天使とかそういう存在かもしれないけど……。
「はいはい。妄想、想像は楽しいけど、もう少し我慢してね。今からするのは肝心なこの場所そのものの話。聞き逃しても二度は言わないよ」
言われて、思考に沈みだした意識を引き戻す。
すぐに答えは出ないだろうし、それが答えだという確証も得られないのだ。情報は全部もらってからのほうがいい。
「さて、それじゃあ始めようか。さっきの続きにもなるけど、キミは神力にあてられて気を失った。当然自力での移動はできない状態だ。だけどね、辺りに満ちる神力はそう簡単に消えてなくならない。キミはそんな中、これ以上のダメージを防ぐためどうにか行動しなきゃならなかった」
「行動って言ったって、自力で動けないのに……無意識に転移したとか?」
自分を守るためなら、無意識に転移をしてもおかしくない……いや、やっぱ無理か。転移系の力は結構高度で複雑な処理が必要だから、転移初心者のわたしはひっくり返っても無意識でとかありえない。
「キミの幸運ならできそうだけどね。話はもっと単純さ。精神に防壁を張って、自分の内側に逃げ込んだのさ。移動できない体はともかく、少なくとも脆い魂はこれで守られる」
「精神防壁とか習ってもないんだけど……」
まるで、ここが一番おもしろいとでも言いたげに、彼は満面の笑みで力強く答えた。
「できたのさ。キミにはその【器】があるから」
――器、と聞いて思い浮かぶのは、わたしが獲得した特殊スキルのうちの一つ。
アーシュたちに使用を禁止された、人が持っていることが本来ならありえないレベルの、神級のスキル。
「……【混沌の器】」
「そう、混沌の器には全てがある。キミの精神が逃げ出す場所も、守るための防壁も、――何も知らないキミに説明をするための僕みたいな存在も、ね」
● ● ●
その言葉を聞いた瞬間、わたしの周りの暗闇がざわめいた。
いや――これは、暗闇じゃなかった。
防壁だ。
外界を完全に遮断する堅牢な壁。
この境界が世界の果てだとでもいうように……内側のわたしも外に出さない強固な壁。
「言っておくけど、スキルの暴走とかじゃないよ。ここは心地いいだろ? ちゃんとキミが初めに望んだ役割は果たしてる。それがちょっとした墓穴で……僕がそこに土を被せただけさ」
喉に圧迫感――コマ送りの映像のように、突然目の前に移動してきた彼がわたしの首を掴んでいた。
「…………っ!」
「ふふ、キミがスキルを使いこなせてない以上、“混沌”の所有権はキミにあるけど、支配権はまだ僕が持ってるんだよね」
わたしを掴む手はひどく冷たく、それでいて、わたしの呼吸が苦しくなるほどには締め付けていなかった。
「だから……これで終わりだと思ったんだけど……、存外キミの適正は高いみたいで。それに持ち前の幸運も発揮されちゃうと、どうにもトドメは難しそうだ。ほんとはもっとキミにとって不都合な形にしたかったんだけどさ。脅かすくらいが限界だね」
首から手が離されるのとほぼ同時に、壁が綻んでいくのを感じる。
沈んでいた身体が浮かんでいく。
取り残される彼は真意の読めない薄い笑みを浮かべて、これが最後と呟いた。
「僕が思うに、キミはキミが思ってるよりも不安定だ。容姿も精神も劇的と言っていいほど変わったのに、それを受け入れて自分を形作っている。聞こえはいいけど、それなら……キミの一部たる僕が、キミの記憶を全て知っている僕が、キミの精神に成り代わっても――」
――“ヤクモ”という存在としては、何の問題もないと、そう思わないかい?
そんな声を置き去りに、わたしは急速に外へ向かって浮かんでいった。
● ● ●
「…………ぅあ?」
「……あ、ヤクモちゃん。目が覚めたみたいですね」
気がついたときには、そこはもう当然のように色のついた景色だった。頭に感じる感触は柔らかく、声のする位置から考えても、どうやらわたしはお姉ちゃんに膝枕をされているようだった。
視界の端には宙に浮かぶ本棚。【叡智の書庫】の風景だ。
ゆっくりと、感覚を確かめるように体を起こす。手を握って開いて、何も問題はない。うん、大丈夫。ちゃんとわたしだ。
「まずはごめんなさい。もっとヤクモちゃんの負担を考えて、なにかしらの対策を取っておくべきでした」
「……うん。次がなければ大丈夫」
体の調子を確かめ終えて、お姉ちゃんに向き直る。膝枕をしていた姿勢のまま床に正座しているお姉ちゃんは、立っているわたしからは見下ろす形になる。
「それより、お姉ちゃん。ちょっと立ってくれる?」
「……え、と。なんでしょう」
突然の要求に戸惑いながらも立ち上がってくれるお姉ちゃん。
膝枕も悪くはなかったんだけど。
でも。
「ひゃっ!? な、ヤクモちゃん!?」
立ち上がったお姉ちゃんに正面から抱き着く。
背中に手を回して、体重をかけて、できるだけくっついていられるように。
力を込めた。
「……どうか、したんですか?」
お姉ちゃんの体温が、ただひたすら暖かかった。




