50 成長の一撃
今回少し短いです。
前半はカグヤ視点。後半からヤクモ視点に戻ります。
前回のあらすじ:ヤクモの見ていないところでも、事態は動いていきます。
誰もいない武道場に一人。
荒い呼吸音と風を切る音だけが響いている。
今日の特訓はもう終わって、ヤクモはルシア強化計画とやらを練るために【叡智の書庫】に行ってしまった。……正直、神族数十人がアドバイザーな時点で通常の人類が実行するには非常に厳しいものになるとしか思えず、その点はルシアに同情を禁じ得ないわけではあるが、だからといって積極的に止めようとも思わなかった。
わたしに、そんな余裕はないのだ。
――顔のすぐ横を、拳が通り抜けていった。
相対する輪郭が曖昧な姿の敵は、ともすれば消えそうなほど、幻影のようにも思われるが、仮想敵ではなくわたしのスキルが生み出した実体がある本物。
……だからこうして、物理的に追いつめられることもある。
「…………っふ!」
壁際まで押し込まれたことに気づいて、無理に方向転換しようとしたのがまずかった。バランスの崩れた体の死角を縫うように振り上げられた蹴りを避けきれず、視界が揺れている。
あまつさえ、その隙を突かれて首を掴まれ持ち上げられてしまった。
こんな様では、ダメなのだ。
「――ァアア!」
気合一閃。
掴んでいる手を基準にして、揺れる視界を補正する。片足で絡めとるように敵にしがみつき、そのまま残った足に魔力を込めて振り回した。
「 ―――― 」
振り抜かれた足はわずかな抵抗しか残さず、敵は空気に溶けるように音もなく消えていった。それがどうにも、余裕を持って去っていったように感じられて、少し心がざわめいた。単にそういう仕様なだけではあるが。
「……思った以上に弱体化してる」
煉獄に堕とされる前なら、あの程度の敵は苦戦することもなく倒せた。
それが勝ち負けも怪しい状態にまで落ちているのは、単純にわたしが弱体化しているからだった。
長い間動けなかったことによる戦闘勘の鈍りもさることながら、スキルを剥奪されていたのが致命的だ。煉獄解放後にいくらか戻ってきたものの、ほとんどは消滅してしまった。
天使内最大だった魔力量や特殊スキルが残っているのは幸いだが。
……幸運の女神の聖炎を受けてなかったら、これらも消滅していたのではないだろうか。その場合はそもそも煉獄から出られていないだろうから無意味な仮定か。
こうしてヤクモの見ていないところで力を取り戻そうと努力はしているが……。
「『リアライゼーション』」
小さく零すような呟きではあったが、魔法は効果を発揮した。
―――リアライゼーション:情報開示―――
名前:カグヤ
性別:女
種族:熾天使
職業:使徒(幸運)
状態:疲労
所属:冒険者ギルド(Fランク)
【特殊スキル】
光を掲げる者
紙一重の誇り
【種族スキル】
天の瞳
天の衣
天の翼
思考把握
完全擬態
無制限転移
【職業スキル】
神の加護
確率補正
【通常スキル】
天界闘術LV3
極魔法LV4
精密魔力操作LV7
魔力回復速度上昇LV3
身体能力強化LV2
統率LV6
【称号】
再興の熾天使
神殺し
幸運の使徒
「……全然足りない」
フェールリアで活動する分には十二分ではあるが、ヤクモの足元にも及ばないステータス。今は経験の差でヤクモとの能力差を埋められているが、それは性格が戦闘に向いてないということや、体の動かし方も含め、まだ自分の体に慣れていないこと等、ヤクモ側の理由も大きい。
これからの旅で、否応なしに経験を積んでいくことになるだろうヤクモは、これから間違いなく強くなっていく。
……事実、今日の特訓で、わたしは早々にヤクモからの一撃をもらってしまった。
当分当てさせるつもりなどなかったわたしは、はっきりと顔に出るほど驚いた。流れた汗も含めて【天の衣】――天使系種族専用の隠蔽系スキル――を全力で使って誤魔化したからヤクモにはばれていないはずではあるが。
想定よりもだいぶ早いが、ヤクモが強くなるのは喜ぶべきことだ――わたしが、その成長スピードについていけないという一点を除いては。
確実に、わたしが力を取り戻すよりヤクモが力を使いこなすほうが早い。
このままだとそう遠くないうちに戦力差が逆転する。
わたしの必要性が減って、わたしが要らなく――
――芯まで凍えるような冷たさと、背を向けるヤクモを幻視した。
「…………っ!?」
妄想だと分かっているにもかかわらず、怯えるように背筋が跳ねて、思わずぺたりと座り込んだ。
……何を不安になってるんだわたしは。
何があろうと、わたしがするべきことも、したいことも変わらない。
ヤクモを守る。それだけだ。
わたしがヤクモより弱くなったとしても、それでヤクモを守れなくなるわけじゃない。これからもこれまでと同じように、ヤクモが傷つかないように努めていけばいいだけだ。
「……ヤクモ……」
呟いた名前には、当然返事は返ってこなかった。
● ● ●
今日のわたしはいつもより上機嫌だ。
自然と尻尾が揺らめいて、それを意識してはいるものの止めようという気にはならない。頬も緩みっぱなしでだらしない顔をして……こっちはまずいか、なるべくきりっとした表情を保つように頑張ろう。
「お。妹ちゃんだ、おはよー。なんか機嫌いいね、いいことでもあった?」
「おはようノルン。ふふん、聞いてくれる?」
今日の分の特訓を終えて【叡智の書庫】にやってくると、早速とばかりにノルンに声をかけられた。
溢れんばかりの上機嫌オーラについて質問されたので、そこそこある胸を張って嬉々として答える。
「なんと! わたしカグヤに一撃当てたんだよ!!」
「え?」
わたしも空間転移が使えるからと秒単位で容赦なく転移しまくって逃げ回り、触れることなく拳圧(?)で人ひとり(というかわたし)を吹き飛ばし、なにやら幻術っぽいのまで混ぜてくる相手に! くっきり一撃入れてやりました!
「……え、ガチでもう当てたの!?」
「ふふん、わたしも日々成長してるってことなんだよ!」
目を見開いて驚くノルンにどや顔を披露。
調子乗りすぎかもしれないけど、今くらいは乗りに乗っていいと思うんだ。
「さ、さすがは妹ちゃんだね」
ノルンは引きつった、微妙な顔で褒めてくれた。
……そんなにわたしのどや顔はダメだったか。
「むう……、反応が悪い。もっと頑張らなきゃダメ?」
「あぁいや、むしろ早すぎるっていうか……えっとほら、よしよしー」
わしゃわしゃと頭を撫でまわされた。
そこはかとなく誤魔化された感があるけど、まあいいや。次は素直に褒めさせるくらいに努力すればいいし。
「それで妹ちゃん、今回はどんな用事?」
撫でるのが一段落した後、改めてといったようにノルンがそう切り出してきた。
どことなく警戒しながらもやや諦めた風にも見えるのは、厄介ごとを持ち込んだ回数が多いからか。
……迷惑をかけた後ろめたさがなくはなかったけど、今回の用事にはそう問題は起こらないはずなので、さっくと説明する。
「――ルシアって子を鍛える計画を相談するのと、今まで会ってなかった義兄姉との顔合わせのために【叡智の書庫】を一部貸してほしいと」
「うん。ここ以外に神様たちが集まれるようなところ知らないし、いい機会だから」
ほとんどノリと勢いでらしいけど、贈り物もいろいろもらってるからそのお礼もしないとね。
「あー、そっか……。遅かれ早かれ必要なことではあるけどねー……」
ノルンはしばらく考え込むように俯いていたけど、おもむろに、まあ大丈夫かな、なんて呟くと、わたしに向かって笑みを浮かべた。
「じゃあ、さっそく呼び集めようか。アーシュには先に声かけないと拗ねそうだからそうするとして……それ以外は一斉に、かな」
準備は着々と。
2/3 矛盾が出そうな後半の描写を一部変更。




